2013/5/10 藤田俊哉さん スペシャルインタビュー

世界中で愛されるサッカーの日本におけるプロリーグ「Jリーグ」!
開幕からまもなく20年です。
今月は、Jリーグの歴史をたどりながら、その魅力に迫っています。

今日はJリーグで大活躍された藤田俊哉さんにお話を伺いました。

» 藤田俊哉「送別試合」特設サイト

__藤田さんと言えばジュビロ磐田のイメージですよね!様々な所でプレイはされていますが……

藤田:長いですもんね。11年半いましたし。
みんなに言ってもらえるんですよね。「あの時のジュビロはインパクトがあった」ってね。それは嬉しいですよね。辞めてからそんなこと言われるのはね。

__98年には藤田俊哉として17得点!通算100ゴール。
これはなかなかのウェポンですよ!

藤田:改めて言われてやっと感じますね。その時は「150点とか取っている人がいるのにまだ100点か……」とか、そういう感覚でしたね。

__藤田さんは他の選手達と比べて身体が特別大きいわけではないのですが、何が他の選手より特出していたんでしょう?

藤田:身体に恵まれていない分、技術とか、どうやったら人に負けないでプレイできるのかを考えてましたね。

__今年はJリーグが開幕して20周年。このJリーグによって日本のサッカーはどう変わりましたか?

藤田:やっぱり、この20年があったから今のようにヨーロッパで活躍する選手がこれだけ増えた。
Jリーグがあったからこそ、レベルは確実に上がりました。だって今って「誰がどこに居て何点入れたっけ……」って、考えないといけないじゃないですか?それだけでもすごいですよ、Jリーグは。

__藤田さんはJリーグでは選手会長も務めていました。主な業務は何だったんですか?

藤田:簡単に言ってしまうと「選手の環境改善」。
選手にある問題点をJリーグや日本サッカー協会と話し合いをして、サッカーの発展のために少しでも改善しようと頑張っていました。

僕で4代目だったんですが、始めはプレッシャーはありましたよ。
過去の面子(柱谷哲二さん・井原正巳さん・中山雅史さん)が濃いじゃないですか……「イケるかな?」って。

__現役のサッカー選手を続けながらでしたが、忙しくなかったですか?

藤田:めちゃくちゃ忙しかったですよ!
でも忙しいからっていう言い訳はあまり好きじゃなかったんで、上手く調整してやりました。

__Jリーグでの選手生活の中、藤田さんが得たことは何だったのでしょうか?

藤田:Jリーグで大好きなサッカーを思いっきり出来た。幸せな選手生活が送れた。それが一番ですよね。

__思い出のJリーグの1試合はなんでしょう?

藤田:97年にジュビロ磐田でJリーグ初優勝したんですが、そのアウェイでのジェフユナイテッド千葉(当時)との試合。「自分はプロになって優勝したい」という想いがずっとあったので、初めて勝ち取った優勝は泣きました。一つ結果を残せた安堵感。「まだまだ!」と思いながらも嬉しかったですよ。

__今、第一線を退き次のステージに向かい渦中、何か想うものはありますか?

藤田:今もやっぱり「プレイヤーが良いな」と思うことがあります。現役選手が一番だと、今でも思っています。

けれど、それは終わったこと。僕は次のステージ、指導者という第二のサッカー人生に向かっていく。その強い気持ちがあるので、気持ちはスッキリしていますね。

__今後のJリーグに期待することはありますか?

藤田:とにかくスーパースターの登場!
三浦知良選手、中山雅史さんに継ぐ選手の登場でしょう!

サッカー環境は改善され、サッカーのレベルも上がっています。
だからこそ、サッカー大好きな子どもたちが1人のスターを目指せるように!
「あの人みたいになりたい」と思われる選手が今以上に登場し、活躍することですね!
さらなる化け物の出現を期待しています!