2013/4/12 合羽橋「釜浅商店」のHidden Story

今週は、明治41年創業。浅草・合羽橋の料理道具店『釜浅商店』。
四代目の社長に、そのHidden Storyを伺いました。

合羽橋の商店街、同じような外観のお店が続くなか、そこだけ、違った空気が流れています。
商品が棚に積み上げられたディスプレイではなく、明るい店内に、すっきりと見やすい配置。

のれんにある文字は、「釜浅商店」。
出迎えてくれた四代目の社長、熊澤大介さんが早速、店内を案内してくれました。

2年前にリニューアルをしまして、それまでは「バー」っと棚が並んでいて、そこに天井まで商品が「バー」っと並んでいたんですけど、今、考えると不親切な並べ方だったですよね。

まず「見やすく」ということを心がけていまして、「見やすく、選びやすい」ということですね。
刃物屋さんって「バー」っと商品が並んでいて、「どれを選んでいいのか分からない」「かと言って意外と声もかけづらい」雰囲気も多いものですから「見やすく、分かりやすく、お伝えしやすく」ということを心がけて、こんな風にやっているんですね。

見ていただくと特徴的なのは、真ん中にある大きなカウンター。
ここ実は、黒い色の部分がまな板になっていまして、包丁って実際、手に持って使う道具なので、ですから、必ず何本か気になる商品は、実際持ってもらって、まな板素材になっているので刃を当ててもらうこともできるので、納得いただいて選んでいただいています。

釜浅商店が、今のようなスタイルに大きく変わったのは2年前のことでした。
変化することになった背景には、こんな想いがありました。

昔は商売を始めるんだったら合羽橋に来ないと始まらなかったのが、郊外のホームセンターでも業務用のものが手に入ったり、インターネットでも手に入ったり、やっぱり、僕が子どものころの合羽橋に比べるとだいぶ人も減っちゃいましたし、「寂しくなってきたな」というのは感じていたんですね。

「何かしなきゃ」というのはそれぞれ思っていて、あるお店はネットで売ることを考えよう、逆にそっちに力を入れて頑張っていて売り上げを上げている所もあるんですけど、それっていうのは、街ということで考えると、寂しいと思うんですよね。
この街に足を運んでくれる人が増えるわけではないので。

「何しろ、この街に来て欲しい」「この街を知って欲しい」という想いがずっとありまして。

熊澤さんいわく、「壁にぶつかり、悩んだ日々」。
ある出会いが、新しい風を吹き込みます。
見やすく、分かりやすく、そして、伝えやすく。
釜浅商店は、生まれ変わったのです。

4代目の社長、熊澤大介さんに数ある商品の中から、一番売れているものをご紹介いただきました。

うちで一番売れているのは、鉄の打ち出しのフライパンなんですけど、普通のは機械でプレスして終わりなんですけど、そのあとこれ、ハンマーで数千回叩き、叩き締めて作っているフライパンなんですね。

そうすることによって、引き締まって丈夫になるというのが一つと、叩くことで表面に微妙に凹凸ができるので、油のなじみも、とっても良くなるという効果があるんです。
「使えば使うほど、どんどん良い道具に育っていく」というフライパン。

使えば使うほど「育つ道具」。
そんな道具があることを伝えたい。
これが、明治41年創業のお店が、リ・ブランディングすることを決めたもうひとつの理由でした。

うちで扱っているものは料理の道具なんで、料理の楽しさを知ってほしいというのが一つ。

あと、わりとここ数年、特に、何でも便利に簡単にできる調理器具、キッチンツールが多く出回っていて、それはそれでいいんですが、ただそればっかりじゃない、料理の道具っていうのは、手入れをしなくちゃいけなかったり、めんどくさい部分もあるかもしれないけれど、きちっと手入れさえすれば長く使えるし、ひとつで何役もできるとか、そういう優れた機能はないかもしれないですけどこれをやらせたら誰にも負けないですとか、道具って本来そういうものだと思うんですよね。

それを伝えていかないとなくなっちゃう。
文化というと大げさかもしれないけれど、「そういった事も伝えていかないといけないな」っていう想いもあったんですね。

取材中、店頭では、職人さんが包丁を磨いでいました。

本来道具っていうのは、ちょっといいものを買ってあげて、手入れをしながら長く使ってあげる。で、「使えば使うほど、自分自身の道具に育っていく」というところがあると思うんですね。

それを包丁を研ぐっていうのが、とてもよく表していると思っていて。
店頭でやっているという事で、うちの考え方がよく出ていると思っているんですけど。

いいものを手入れしながら、長く使う。
古くて新しい、東京のスタンダードです。