2012/11/30 『東日本大震災復興支援・失われた街』のHidden Story

今週は、神戸大学・建築学科の学生たちが主体となって進める『東日本大震災復興支援・失われた街』というプロジェクトのHidden Story。
» 東日本大震災復興支援「失われた街」―LOST HOMES―模型復元プロジェクト

今、全国の建築学科の学生たちに広がる、ひとつのプロジェクトがあると聞きました。
多くの大学が、あるテーマで建築模型を作っていると言うのです。
神戸大学の大学院に通う学生、山田恭平さんにお話を伺いました。

プロジェクト全体のタイトルは、失われた街・模型復元プロジェクト、というもので、被災された街がたくさん東日本大震災後に発生したんですけど、その街を建築模型によって白い模型で作り直す。それで、それをその街に持って行って、現地の方にお話を聞いたりして、色をつけていく。という一連の流れのなかで、僕は主に、模型を現地に運んで、現地の方のお話を聞きながら、模型に着彩しながら、どんどん記憶を吹き込んでいくような仕事をさせてもらっています。

去年3月。東日本大震災発生から2週間後、神戸大学の槻橋修准教授が発案。
最初に、宮城県気仙沼市の、震災前の姿を模型で作りました。
大きさは、500分の1。

槻橋先生が親交のある方がいらっしゃったのが、気仙沼市だったんですね。そこで最も被害の大きかったであろう地域というのがあって、南気仙沼駅という駅があって、そのあたりが津波もそうなんですけど、そのあとの火災によって燃えた地域があって……気仙沼市全体から見たら、ごく一部の模型から作りました。

実際、最初の模型ができて思ったのは、やっぱり被災後の地図を見たり、そのあとにそこを訪れたりすると、本当にショックでしたね。
自分が模型で作った街が全部無くなっているので、「あんなにあったのに」という感覚になりましたね。

震災から3カ月後……
今度はその真っ白な素材で作られた「模型を被災した地域に持って行く」という計画が浮上しました。

6月の後半に、気仙沼に持って行かせていただいたんですよ。それが初めて現地に模型が入ったんですけど、そのとき僕もそのメンバーに加えていただいたんですけど、持っていったはいいものの、なかなか箱を開き辛かったんですよね。

そこから、いろんな方に、「どう思いますか」みたいなことを、コソコソ相談させていただいて、大丈夫っていうある程度のゴーサインが出てから模型をお披露目をしたんですね。

そこから、「ああ、これ、誰々さんの家だ」とか、「ここ、何々だ」とか、「この飲み屋さん良く行った」だとか、そういう話を、みなさんされ出したんですよね。

このときの経験が、白い模型に色をつけていく、「記憶の街」というワークショップにつながりました。

被災地の震災前の姿を500分の1の大きさで復元した、真っ白な建築模型。
「記憶の街」というワークショップでは、この模型に、被災した地域のみなさんが色をつけました。

2011年の8月に、気仙沼の4地域5地域くらいの模型を作って持って行って、そこで色を塗りながら、模型に、「ここ誰々さん家だ」と言われたら、ポストイットとピンで作った旗を、「誰々さん家」とか、「喫茶店アキ」とかいろいろ書いて、刺していって、それプラス、その名称だけじゃなくて、「ここ良く行った」とか、「みんなが好きだった」とか、ありとあらゆる情報を模型に刺しながら色を塗っていたんですよ。

それ見て、どんどん人が集まってきて、いろんなお話をしてくれるんですよね。

模型を前にすると、多分、辛い方もいらっしゃったと思うんですけど、自分の記憶をつむぐように語ってくださる方が多くて、それは模型の力だなと思いましたね。

街のみなさんとのワークショップでは、こんなこともありました。

この駅前のところに銀杏並木があったみたいな感じで、これは僕ら、木を作る準備とかしてなかったんですけど、参加してくださった、鈴木さんという方なんですけど、鈴木さんが「山の裏から苔持って来たよ」と、山苔なんかを使って工夫しながら桜と銀杏を作りました。「大川は桜並木なんだよー」と。

僕、模型のプロジェクトで、一番心に残ったのが、「ここの桜並木ね、三本だけしだれ桜なのよ」と。「そのしだれ桜が春になると綺麗なのよ」と教えてくださって、そういうことって、地図に載ってないんですよね。それを知ってて、次の街を考えるのと、地図だけ見て、ああこういう街だったんだなと思って次の街を考えるのとでは全然違うなと思って。

神戸大学大学院の学生、山田恭平さんに最後にもうひとつ質問。
このプロジェクト、どんな想いを持って、続けていきますか?

展覧会をこの先もやらせてもらいますが、その模型である街はプロジェクトのタイトルにあるように失われた街なんですよ。今、無かったり、まだ、街の機能が無かったりという街なんですよね。

被災地以外の方には、想いを寄せて欲しい。
被災地の方には(記憶が)無くなってしまう前に、どんどん記憶をつぎ込んで欲しい。
という気持ちがありますね。

失われた街・模型復元プロジェクト。
今、およそ30の大学、500人の学生がつながって、被災前の街の建築模型づくりが続けられています。