2012/8/17 登山家・竹内洋岳さんのHidden Story

今週は、日本人初の快挙、世界に存在する8,000mを超える山、14座すべてに登頂した、竹内洋岳さんのHidden Story。
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登山家・竹内洋岳

地球上に存在する8,000mを越える山はすべてアジアのヒマラヤ山脈とカラコルム山脈にあります。
竹内洋岳さんが8,000m級の山に初めて登頂したのは、1995年。
世界で5番目に高いマカルーという山でした。

このマカルーという山はですね、まだ誰も登ったことがないルートから登るという登山隊で、チベット側から入って、まだ誰も触ったことがない尾根をたどって頂上に到達しようという、人間が初めて登るルートだったんですね。

当時はインターネットも何もない時代ですからまさに人跡未踏地。
それでロシアから取り寄せた非常に不鮮明な衛星写真を頼りに、マカルーの東陵、東の尾根の登り口を、私とメンバー4人でそこに入ってルートを探しに行った訳です。
まだ「外国人が初めて入る」というエリアの村の村長さんの家に一部屋借りてですね、そこから毎日、まさに探検隊のように、ルートを探しにいったわけです。

ルートが見つからないので、私たちの持っていった食糧がなくなって、チベットの方と物々交換をして食糧を分けてもらったりとか、あんなことはもうないのかなと思いますが、非常に楽しかったですね。

95年にマカルー。翌年、エベレストとK2に登頂。
そして2001年、竹内さんにとって大きな出会いがありました。

2001年に私はドイツ人のラルフ・ドゥイモビッツというクライマーが主宰した国際公募隊に参加して、ナンアパルパットというパキスタンの8,000m級の山に行くんですね。そこで彼らと一緒にナンアパルパットに登頂して、私はリーダーであるラルフと知り合うわけです。

ドイツ人のラルフ・ドゥイモビッツ。
オーストリア人の女性、ガリンダ・カールセンブラウナー。
そして竹内さん。3人のチームができました。

その翌年から私とラルフとガリンダの3人は毎年のように登山をするようになりました。

例えばカンチェンジュンガも戻れなかったときに、カトマンズに戻りながら「次どこ行こうか」と話しながら帰ってくるわけですね。でカトマンズのホテルのガーデンで打ち上げをしてるまでに何となく話は決まって、「じゃあ来年はどこへ行こう」と、「ならば来年の何月何日にここ集合」と。それでそれぞれ家に帰る。それで翌年の何月何日にそのホテルのガーデンで再会して登山が始まる。
で、登山をして帰ってきてそれでまたサクセスパーティをやっている間に、来年どこ行こうかと話して来年の何月何日集合ねと話して別れると。結果的にはラルフと私は7つの8,000m峰の頂上を共にして、ガリンダとは5つの8,000m峰の頂上を共にして。

竹内洋岳さんが、ICI石井スポーツに所属するプロ登山家として8,000mを超える山、14座すべてに登頂すると宣言したのが2006年。
しかし、10座目、ガッシャブルム2峰で大変なことが起こります。

10座目のガッシャブルムで巨大な雪崩に巻き込まれて背骨を折るというケガをしてしまうわけですね。
私が先頭で登って行く上部で雪崩がおきて、残念なことに4人のうちのひとりは行方不明、ひとりは亡くなってしまって、私は私たちより1日遅れできていた登山隊に助けられたわけです。

壮絶な痛みと遠のいていく意識。
そんな竹内さんを救ったのは、山の仲間たちでした。

結局、私はテントに収容されるわけですけども、痛みとそのパニックと呼吸ができないことで暴れるわけです。C2にたまたまあった医療用の酸素ボンベがあって、私にマスクをするんですけど、私はマスクを振り払うんです。それを、そこにいた各国のメンバー達が、一晩、交代交代で私をかかえて温めながら、振り払おうとするマスクを私にずっと押し当ててくれて。

ところが、酸素が一晩もつ量がなかったんです。そしたら、そこにいたひとりのドイツ人がもう暗くなっている中をですね、ひとりヘッドトーチをして下ってキャンプ2からキャンプ1におりて、酸素ボンベを担いで、また上がってくれたんですね。非常に危ないところをひとりで下って酸素ボンベをとって荷揚げをしてくれた。

彼の酸素ボンベが届いたことで一晩生き延びて、翌日さらにその下のキャンプまでそこにいた全員がルート工作をしたり、登山を中止して下のキャンプまで降ろしてくれるわけです。

そのなだれの翌年。
竹内洋岳さんはふたたび、ガッシャブルム2峰にのぞみました。

今の私の命は、あのとき山で出会った山の仲間たちに新しく与えられた命だと思うわけです。

だからこそ、助けてくれたみんなに「自分はまた山に戻って来た」ということを見せるためにも、翌年、ガッシャブルム2峰に戻って、登り直して、あのときは自分で降りてきませんでしたけど、頂上に立って自分で降りて来た。山というのは自分の足で登って自分の足で降りてくるものなんです。

あの時、私はですね、肉体は降ろしてもらいましたが、自分の心とか命はあそこに置いてきたような気がしたわけです。
山に帰ってきた、ということをみんなに知らせたかった。

今年5月26日。最後の14座目、ダウラギリに登頂成功。
それは、数々の山を登ったラルフやガリンダ、ガッシャブルムで命を救ってくれた人々。
そして、山に眠る友。
さまざまな仲間の魂とともに登った14座目でした。