2012/2/24 桜井勝延市長のHidden Story

今週は、アメリカの雑誌『TIME』が昨年、「世界で最も影響力のある100人」に選んだ日本人。
福島県 南相馬市長、桜井勝延さんのHidden Story。

東北新幹線の福島駅から、車で東へ1時間半。
川俣町や飯舘村を抜け福島県の太平洋側、いわゆる浜通りへ。
そこに、震災前は 人口7万人だった、南相馬市があります。
2011年3月11日。南相馬市も、もちろん激しい揺れに見舞われました。
南相馬市の桜井勝延市長は、その日をこう振り返ります。


南相馬市役所までは福島駅からクルマで峠をふたつ越えて90分です。

あの日は午前中が、中学校の卒業式で、原町第二中学校というところで卒業生に祝辞を述べて、で、午後から役所に戻って議会の一般質問に応じて答弁をしていたと、え〜「浪江・小高原発について、市長についての考えはどうですか?」という質問があって、「私の任期が26年の1月までしかないので、そのことについてコメントすることはない」という答弁をしたと思いますね。東北電力の浪江、小高原発ですね。

奇しくも、地震が発生した午後2時46分は、東北電力が建設を計画している原子力発電所について議会で答弁をしている最中でした。
激震。その後襲ってきた津波。
さらに、原発の問題が事態を複雑にしていきます。

(2011年3月)11日から12日にかけて「原発が危うくなっているらしい」と。これも側聞なんですよ。

我々のところに入ってきたのは、原発事故が12日の3時過ぎですか、警察の情報無線で原発が爆発したという情報が入って来て、正直言ってびっくりどころじゃなくて仰天で、最初は爆発事故があったということで屋内退避を広報で知らせたんですよ。ところが30分以上たってから、その事実は確認されていないということで屋内退避を解いた。これも広報でやって。その後5時過ぎだったかと思いますけども、テレビを見たら建屋が飛んでると。
「これはとんでもないことになった」ということで、もう一度、広報で屋内退避を指示したということで、我々自体が情報が混乱していたというのが事実ですね。

正直言って警察無線だけじゃなくて、県だとか国だとかから情報が欲しかったんですね。

原発事故が深刻さを増していった3月12日以降、南相馬市からマスコミの姿が消えました。

我々に「ここから退避します」とか断りも全く無いまま。「マスコミの人たちがいなくなったな」というのは後から気づいた話で。

情報まで、また、人的な交流まで、全く無くなるとは思ってもみませんでしたから。
「全く孤立させられちゃった」と。

孤立無援。
桜井市長は、市民からの提案を受け、動画投稿サイトYou Tubeにメッセージをアップしました。

市長の言葉には、英語の字幕が付けられました。
そして、そのメッセージは、世界に驚きを与えたのです。

福島県 南相馬市の市長、桜井勝延さん。
実はランナーです。
震災前は 毎朝およそ8キロを走っていましたが、再びランニングを始めたのは、5月になってからのことでした。

5月1日の早朝から走り始めました。
自分のなかでバランスを保てなくなると体調がおかしくなったり、精神的に追い込まれたりするので、少なくとも体力を維持していくというのが、自分の今まで長年にわたって築いてきた自分を支える手段なんですよ。

しかし、走るコースは、3月11日以前とはまったく違うものでした。

被災されて津波に流された人たちに私の知人が多い地区なので、そこで、瓦礫の中を捜索も含めて、行方不明者いっぱいいましたから、だから彼らの想いとか彼らと対話したいという想いがありまして、初めてというか、今まで走ってないコースだけど、浜に、流された浜に行って、7キロから8キロのコースをずっと被災されたあの瓦礫の中を走ってました。
それは今も同じですけども、瓦礫が少しきれいになったとはいえ、まだまだ見つかっていない人もいっぱいいるし、彼らを何とか見つけたい想いと、彼らの無念さを何とか声を聞きたいという想いもあるので、そこはそういう想いで毎日走っていますね。

南相馬市で亡くなった方は、600人以上。
桜井市長は 毎朝、その魂と向き合いながら走っているのです。

福島県南相馬市の市長、桜井勝延さん。
若き日に宮沢賢治に憧れ、岩手県の大学で農業を学びました。

彼が学んで、みちのくの農業現場を何とかしたいと思って学んできて、最終的には現場で苦しんでなくなっていくわけだけど、そのなかで、自然に対する畏敬の念とか、宇宙観とか、人間のあるべき姿を示してきていると思うので、今回、原発事故という本当に思いがけないことになって、運命が左右されることになってしまいましたけど、必要なのは「人間はおごっちゃいけないんだ」と。「自然の中でしか生きていけないんだ」と、「改めて今回の事故が、人間の生き方を示しているんじゃないか」と思ってますけどね。


桜井勝延市長は面会が立て込む中、にこやかに応えてくれました。

「人間はおごってはいけない」。

夕焼けに照らされた、市役所の会議室。
市長の目に、光るものがありました。