2012/2/17 『THE FUTURE TIMES』のHidden Story

今週は、アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さんが編集長を務める新聞、『THE FUTURE TIMES』のHidden Story。
後藤編集長自ら、想いを語っていただきました。

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2011年7月、CDショップやカフェ、ファッション系のお店を中心に、無料の新聞が配られました。
『THE FUTURE TIMES』。
編集長を務めるのは、アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さんです。

もともと問題の中心にあるのは、エネルギーの問題ですね。もう端的に、原子力発電についての問題。
「それを、みんなと、どう共有していくのか、考えていくのか、結論づけていくのか。そういうのを始めないといけないな」というのは思いましたけどね。

ひいては、そのほかの社会的な問題についても、もういよいよ、いろんなことを先送りにして、人任せにして、何か起きた時だけアタフタしたり、誰のせいだと言ったりするんじゃなくて、普段から自分たちで考えて行動し、意見を表明し、選挙にも行き、自分たちの国を動かす人たちを選び、そういうことをやっていかないとね、本当に大変なことになる、なった。やっぱりうまくいかないことがドンドン出てくる。ん〜、だからまず、そういうところから変えていきたいというのはありますけどね。知らなかったじゃ済ませないというか。

創刊へ向け準備を始めたのは、2011年4月のこと。
しかし、実はそれよりずっと前から、後藤さんはエネルギー問題について考えていたのです。

直接的なきっかけは、2008年に『六ヶ所村ラプソディー』という映画を見て、それで、原子力発電所から出るゴミの問題ですよね、放射性廃棄物の問題、それにまつわる再処理の問題を知ったわけですよね。

もともと大学生のときに、15年前くらいでしょうかね、一般教養の科学で学んだときに、原子力サイクル、再利用って夢があるなと思ったんですね。使用済みの核燃料からプルトニウムを取り出してそれをどんどん回して行くことで、半永久的にエネルギーを得ることができるというふれこみだったんですけどね。でも、高速増殖炉がいっこうに商業化されないなか、使う場所がないのに、ただ燃料を処理している。燃料を処理することで高レベルの廃棄物もどんどん生まれますから……「そういう現実を知らされていない。それが怖いな」っていうのは思いましたよね。

2010年から始まり、震災のため途中で中止になることとなるライヴツアーの最中には、六ヶ所村、そして、中国電力が原発の建設を計画する祝島へも足を運びました。

「どういう場所に作るのかな」というのは、すごく興味があったんですよね。
インターネットで調べれば、地図上、どこで、そういうことが行われているのかはわかるんですが、実際の距離感って、行ってみないとわからないんですよね。新幹線の駅からレンタカーでどのくらいかかるのか? ん〜。

2011年3月8日。
震災発生の3日前、後藤さんは、ある文章を書きました。

3月8日に日記を書きました。原子力発電についての。
はっきりと「これは捨てる場所のないものを生み出しています」と。「ただ、我々はその便利さを享受しています」と。

もちろん原子力のことを書くとね、ものすごい反論もありましたけどね、「お前らミュージシャン電気使ってるだろ」って。でも、原子力発電って「自分が進んで建てた訳じゃなくても普通に暮らしているなかでも使っていたわけだし、手を貸してはいなくても黙認していたのかな」とは思いますけどね。反対する機会は調べればあったわけで。疑いもせずに飲み込んできたのは誰か?

僕はでも、誰かを責めるよりは、今、自分自身がどうだったかとか、これからどうしていくのが良いのかと、自分に問うてみたときに、こうして新聞を作ってね、考えるきっかけを、自分も考えるきっかけになるし、作るのがいいのかなと思ったんですね。

では、表現のメディアとして、「新聞」を選択したのは、どんな理由からだったのでしょうか?

ここ何年か、ミュージシャンの歴史みたいなものを読んでいくなか、例えば中世の吟遊詩人、ヨーロッパ中の荘園を流浪しながら音楽を奏でる旅芸人とか、そういうミュージシャンたちがニュースペーパーの役割を果たしていた。例えば、あそこの荘園ではあの豪族が戦争の準備をしている、あそこの荘園ではこういうものが流行っている、そういうのを伝え歩いていた。そういう面白いポピュラーミュージックの歴史があって。 そこから着想を得て「新聞は面白いかもしれない」と思ったんですね。

再生可能エネルギーを推進するプロフェッショナル。
九州で、避難してきた人々を受け入れる場所を作る建築家。
後藤さんがエネルギーに関心を寄せるひとつのきっかけとなった映画監督。
新聞に登場する人々が語るのは、未来への願いです。

悲しいことを悲しいっていうのは、そんなに難しくないんじゃないか、というのは、曲を作っていても感じることですね。

ん〜、だって、悲しくないわけないじゃん、と思うんですよ。
それは、僕はビートルズの曲を聴いていても感じるんですけど、「生きることそのものが持っている悲しみ」というか。「いつか死ぬ日のために生きている」というか、そこからは逃れられないから、それを踏まえるとね、この短い人生の間にいったい何ができるだろうと。

それは震災を過ぎて、なおさら思いますけどね、自分の命については。

悲しくない訳がない。
だけど、悲しいことを悲しいと言うだけではなく、できることをやる。

ミュージシャンであり、取材者であり、編集長でもある男、後藤正文さん。
静かな、でも力強いその言葉には、固い決意が滲んでいました。