2012/2/3 バレエ・ダンサー 岩田守弘さんの情熱物語

今週は、ロシアのボリショイ・バレエ団で日本人ただひとりのソリストとして活躍されてきた岩田守弘さんの情熱物語。

岩田守弘さんがモスクワにあるバレエの学校に留学するため、日本を出発したのは、1990年1月1日のことでした。19歳で飛び込んだ、言葉も分からぬ異国の地。当時は、まだソビエト連邦の時代です。

習慣も違うし、人との対処の仕方も違う、食事も違うし、いろんなものが日本と違う国で、日本はモノがたくさんあるけれどもソ連ではモノが全然ない、というところに行くから、不安もありましたが、それ以上にバレエを勉強できるのが嬉しかったですからね。それは楽しみだったことと、ソ連でバレエを勉強できるというのは自分でも誇りに思っていたのかもしれないですね。

岩田さんは、2年間、モスクワのバレエ学校で学んだのち、ひとつのバレエ団に入ります。

ロシア・バレエ団というバレエ団がありまして、そのバレエ団はモスクワには拠点がなくて稽古場だけあるんですが、いろんな劇場を舞台に使わせてもらって、特に海外公演が多かったから、3ヶ月ドイツ、イギリスに行って2週間モスクワ帰ってきて、またメキシコに1ヶ月行ってまた帰って来て、というようなバレエ団だったんですね。海外公演に行くと舞台が毎日のようにあるから、ひとつ嬉しかったのは、舞台経験が多いということですね。ところが舞台がたくさんあるがゆえにリハーサルする時間がないんですね。だからしっかり役のことを練習して舞台に備えて踊るということができないバレエ団だったので、そこに不満があってそこを退団したひとつの理由ですね。もうひとつは、ちょうど子どもができたのでモスクワを拠点に働きたいと思ったのがボリショイに入団しようと思ったきっかけのひとつです。

93年、国際バレエコンクールで金賞を受賞。
翌94年、ロシア・バレエ団で出会ったロシア人の女性と結婚。
そして、お嬢さまが生まれたことをひとつのきっかけに、岩田さんは、人生の夢、ボリショイ劇場の門をたたこうと 決意しました。

ボリショイで仕事できるとは思ってなくて、ずっと仕事をしたいと思って、ダメだダメだと言われながらも待ってたんですね。今から思うと無謀ですけど、若いときの無謀さというのは大切ですね。それがなかったら、僕もこうして仕事できなかったし。とりあえず、ボリショイで稽古だけはさせてもらえるという許可書だけはもらって、話がずっとそこで止まってたんですね。ずっと入れるという保証がなくてそれが半年か1年くらい。だからよく覚えているのは、半年間一度も舞台に立たなかったことがあって、ずっと待ってたんですね、ボリショイ入りたいっていうので。

95年。
ロシア国立ボリショイ劇場バレエ団は、岩田さんを、研修生として受け入れることを決めました。

ボリショイ・バレエ団に、研修生として入団。
次の年96年、正式に団員として迎えられました。

ボリショイに入ってみると、そのなかで少しずつ役をもらって経験を積めば積むほど、そこにある伝統の重みが、すごいことに気づかせられますね。これはもう本当に特別なところです。これは見てもわからない。見たら素晴らしいなとは思うけども、どうしてそうなっているのかは教えてもらわないとわからない。その教えてもらって練習していく過程というのが素晴らしいから、、、踊り自体の質というか内容が全然違うと思います。だから僕は技術的にコンクールで賞をとれる実力はあったけれど、踊りを踊ったのは、ボリショイに入ってから踊りを教わったのかなと思いますね。

ボリショイのソリストとして、16シーズン目を迎えている岩田さん。
特に 思い出に残る舞台とは?

1回1回どんな舞台やっても大切なんですね。主役やっても小さな役やっても、自分でそのときそのとき一生懸命やっているから、全部大切だったかな。だめなときもありますからね、だめなときは落ち込みますね〜。よく踊れたときは誰に文句言われても全然関係ないですね。いいときはとってもいいときがあるじゃないですか。それはもうどうしてできるのかわからないですね。それは奇跡的な一瞬なんでしょうね。それが生の舞台のいいところでしょうね。それはもう二度とできないし、そういうときが何回かありますよね。

奇跡のような夜をいくつも過ごした、夢の劇場。
ボリショイのバレエ団を岩田さんは今シーズン限りで退団します。

自分のできること、やるべきことはボリショイではやって来たと思うんですね。それと平行して、次にやりたいことができてきたんですね。それは振り付けをしたいなと思いまして。作っていくということはとても興味がありまして、少しずつ始めてきて、とっても面白いということがわかってきて、これをやりたいんですね。それは平行してはできないんですね。平行してやっている人もいるけど、平行して振り付けして素晴らしいものを作った人をみたことがないんですね。で僕はやっぱり、人に感動を与える振り付けをやりたいと思っているので、それなので、ボリショイにいれば立場的にいいし、給料ももらえるし、生活面でも保護されているから安心なんですけどね、バチッと断ち切って、新たなチャレンジですね。

ロシア、モスクワ在住。ふたりの娘の父でもある 岩田守弘さん。
次の夢は、バレエの振り付け。
「いつか、自分が振り付けたバレエで来日したいですね」。

華麗なるバレエ・ダンサーは、そう言って、微笑みました。

» ボリショイ・バレエ2012年来日公演