2011/12/16 マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴのHidden Story

今週は、世界じゅうの人の心に灯りをともし続けたアーティスト、マイケル・ジャクソンへの想いをのせたトリビュート・ライヴ!
2011年12月13日と14日に開催されたビッグ・イベントの舞台裏に迫ります。

今週、国立代々木競技場第一体育館で行われた、マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ。
企画の発案者は、音楽チャンネル『MUSIC ON! TV』の遠藤陽市さん。

とにかく、2009年の6月、マイケルが亡くなって、マイケルは日々聴いていたわけではないんですけど、亡くなってみたらすごい喪失感で、悲しくなっちゃったんですよね、単純に。

なんかこう、「やむにやまれない気持ち」になってきて、マイケルって、後半、残念な時期を過ごして来ちゃってて、彼の音楽的な功績が貶められたまま、終わってしまった気がして。本来の彼のやってきた事実というか、音楽的にも、あるいは、彼が戦って来た偏見とか差別に対して、世の中がそういうことを評価してこなかったということに憤りを感じて、これは「やはり伝えるべきだ」と思って。

伝えるためには、トリビュートをやるのが一番だと思ったんですよね。

遠藤さんは、『MUSIC ON! TV』の母体であり、マイケルが長年 所属した ソニー・ミュージックのスタッフに実現の可能性を聞いて回ります。
返ってくる答えは、「それは、無理だろう」。

まあでも、僕は『MUSIC ON! TV』というところで、番組を作れる立場にあったので「じゃあ、まずは番組を作ろうかな」と。その時、たまたまなんですけど、2009年の年末なんですけど、AIさんのツアーがあったんですね。その日のライヴで、AIさんがマイケルの歌を歌ったり踊りを踊ったりしていたところがあって、ステージ上でも「マイケル大好きなんだ」と話していたんで……「AIちゃんマイケル好きなんだったっけ?」と聞いたら、「好きなんてもんじゃないんです」って話で、それで、

「AIさんをホストに迎えて、マイケルの周りの人たちに話を聞いて行く」

という番組を、『AI miss MICHAEL JACKSON』という番組を作りまして。

インタビューの対象は50人にも及びました。
そして、ついに、マイケルの母、キャサリン・ジャクソンにも会うことができたのです。

キャサリンは優しく僕らを迎えてくれて、で、まあ、そこでね、僕としては、本当はやりたかった「トリビュート・イベントっていうのを実現したいんだ」と、キャサリンにお話したんですよね。

ていうのは、マイケルが亡くなったあと、マイケル・ジャクソン財団というものができて、そこが権利的なものをすべて所有しているんですよね。マイケルに関わることは財団の判断が必要だということで、でも、その財団のトップは、名誉会長的なポジションにいるのはキャサリンなんですよね。そのトップであるキャサリンに直談判してみようと、ダメもとで。

マイケルの母、キャサリンはこう答えました。
「では、とりあえず、あなたたちの番組を観てみましょう」。

本当に観て頂いたみたいで、ご家族みんなで。ジャネットとかラトーヤとかいるところで。

そのあと、キャサリンからお手紙をいただいたんです。AIさんと僕宛に。
「マイケルの番組は色々あって、結構期待して観た番組もあったけれど、最後まで見ていると嫌な気分になるものが多い中、あなたたちが作った番組はマイケルの本当の姿を伝えようとしてくれて素晴らしいものだった」と。「イベントで、そういうことを伝えてくれるなら応援したいと思う」と、いうことが書かれていて。

今年(2011年)3月14日。
日本で大きな震災が起きた直後、音楽チャンネル『MUSIC ON! TV』の遠藤陽市さんは、マイケル・ジャクソン財団のトップのひとり、ジョン・ブランカに会いました。

震災があった後なので、僕のなかでは「これは復興に向けてというか、震災で傷ついた人を励ます為のものにしたい」と、その場でブランカに話して。
「当然、マイケルはそういう人だったので、何らかの手を差し伸べたんじゃないか」と。基本的な趣旨を理解していただいて。

今月はじめ、遠藤さんは、AIさんとともにロサンゼルスのリハーサル・スタジオにいました。
AIさん、電話インタビューではこんな言葉を。

JK:マイケルとは AIさんにとってどんな存在ですか?

AI:自分が一番目指したいところ。
彼の言葉、今まで届けてくれたメッセージが、今も昔も常に必要だと思う。 彼がいいメッセージを届けてくれたから、自分の歌詞に盛り込んだりもした。 彼は、自然のことや人にやさしくするとか、困っている人がいたら助けるとか、そういうことを教えてくれた人。
私もそういうアーティストになりたいなと思いますね。

大きく傷ついた 2011年の日本。
東京、国立代々木競技場 第一体育館、師走の夜。

マイケル・ジャクソンの音楽、ダンス、エンターテイメントにかける「情熱」、さらには、「困難な立場にある人への想い」が人々の心を暖かく照らした夜でした。