2011/9/16 審判。深野悦子さんのHidden Story

今週は、もうひとりのなでしこ。
FIFA女子ワールドカップドイツ大会のピッチにも立った審判、深野悦子さんのHidden Story。

ワールドカップで2試合、主審を担当した深野悦子さん。
そもそも、審判をやろうと思ったきっかけは……

Jリーグという会社に勤務をしていまして、そこでの配属が『運営部』というところになりました。
で、運営部のなかでも審判の方を担当する部門になりまして、そこで審判の方のお世話をしていたんですけれども、大変そうなので、どのくらい大変なのかを自分でそちらの側に立ったほうがイイだろうなと思って、審判を始めました。(19)95年、です。配属してすぐやろうと思いました。大変さがすぐに分かったので「これはすぐに始めたほうが、相手のことがわかるな」と思いました。

Jリーグに勤務する深野さん。
審判の大変さを 身をもって感じたい……それが最初の想いでした。

一番最初はですね、小学生の女子を担当しました。
どこにいてイイかが分からなくて、グラウンド上の。パニックになったのを今でも覚えています。

ポジションと言えるものじゃなかったです。「その試合が無事に終わってよかったな」と思っています。それでやってみて審判の大変さっていうのを身にしみて感じました。体も走るので疲れますし、ルールを覚えるという意味では頭も疲れますし、失敗もしますのでへこみますし、それはそれは大変でした。

失敗を 経験という名の力に変え、審判の技術を磨く日々。
担当する試合も徐々にレベルアップ。 積み重ねた時間が、深野さんを世界へと導いたのです。

最初の国際試合は、タイで開催されたU19。
19歳以下の女子のマッチ。

今でも覚えているのが日本の3月はまだ寒いですよね、タイの3月は暑いんですよね。
試合中、暑くて暑くて、心拍数も上がって、1試合もつかなと思ってやってました。
なおかつ荒い試合だったので、警告もたしか5枚出たはずなんですけど……「国際試合は戦いだな」と思いました。

2008年、FIFA U17 女子ワールドカップ。
そして、2010年、FIFA U20女子ワールドカップ。
深野悦子さんは、大きな国際大会での審判を次々に担当します。

深野さんが参加した、2010年 FIFA U20 女子ワールドカップ。
実は、苦い記憶が残っています。

試合の途中でケガをしました。
右のふくらはぎの肉離れだったんですが、これは試合を続けられないと判断しました。前半20分くらいだったんですが。
そのとき副審はオーストラリアの二人で、英語で話したんですが「ケガをしてしまって試合を続けられない」と言ったところ、「ハーフタイムまで頑張れるか?」と言われて、「ハーフタイムまでは続ける」と話して、3人で励まし合いながらその試合のハーフタイムまで主審を務めて、ハーフタイムで第4の審判の方に交代してもらいました。

ケガをしたという事実を受け入れなければいけないことが大変でした。
その試合をきちんとコントロールしないといけなかったので、心の中は波打っていますけど表面上は「何事もないよ」という雰囲気でやっていました。

胸に残った悔しさ。
晴らすチャンスが巡ってきました。
ドイツで開催された、女子ワールドカップ。

副審の高橋さんと私が選ばれましたので、ふたりで励まし合いながらトレーニングを行いました。
私たち、短距離のトレーニングコーチをつけたんですね、世界から見ると短距離が遅かったので。
それを強化するためにトレーニングコーチをつけたんですけど、夜7時半スタートでやってました。

ドイツでは、2試合を担当。
1試合目は、カナダ対フランス。
2試合目は、スウェーデンが勝利することになる、スウェーデン対アメリカでした。

両チームともすでに2試合リーグ戦を行っていましたので、試合前にしっかりと試合の分析をしました。映像を見て、どういう攻撃をするのかとかどういう守備をするのかとか、それを頭に入れようと努力しました。また自分自身のの1試合目も見直して、よりワールドカップにふさわしいレフェリングになるように自分の映像も見ました。ひとつ言うとですね、ワールドカップはゆったりと試合が進むというイメージなんです。なのでジャッジをおこなうときもゆったりと行うようにこころがけました。ゆっくりやると失敗も少ないので。

深野悦子さんに最後にこんな質問。
「世界の舞台で審判をする際、どんなことをこころがけていますか?」

私のなかで「準備するということが大事」だと思っていますので、準備さえしっかりできれば、本番は落ちついてやるだけです。

大事なのは準備である。
そして、準備とは日々の積み重ねである。
深野さんはそう言って、さわやかに微笑みました。