2011/8/26 サッカー・ジャーナリスト、砂坂美紀さんに聞いたHidden Story

今週は、日本の女子サッカーを取材しておよそ15年。
サッカー・ジャーナリスト、砂坂美紀さんに聞いたHidden Story。

なでしこジャパンが優勝。日本のサッカー史にさんぜんと輝く成果を残したFIFA女子ワールドカップドイツ大会。
決勝のピッチをスタンドから感慨深く見つめるひとりの女性がいました。
砂坂美紀さん。
長きにわたって 取材をし続けてきた砂坂さんが、日本の女子サッカーにとって重要なゲームとして挙げたのは、2004年4月24日の試合。

国立競技場での試合だったんですけど、この試合に勝てばオリンピック出場権が得られる、という試合だったんですけど、その相手は、永遠のライバル、北朝鮮。いま、ライバルと言ってしまいましたが、7年間勝ってない相手なんですね、その当時で。北朝鮮が相手だったらオリンピックには行けないってことかなと思って取材に行きました。

で、まず、その試合の何がよかったかって言うと、最初に澤さんが相手に向かって、ショルダーチャージをガツンといったんですね。それを見て、ほかの選手たちが「あ、今日はやれる」と思ったそうです。澤さんがいくなら私たちも、と言って、その試合はそれだけで決まったと言ってもいいかもしれません。激しいショルダーチャージをガツンと一発かましたと。かっこいいですよね。私もほれました、その瞬間に。澤さん〜みたいな、みんなハートマークになってましたけどね。

北朝鮮に3対0。
澤穂希選手の強い気持ちが、チームに力を与えたのです。
この勝利によって、日本は、アテネ・オリンピックに出場。
ベスト8へ進出、という成果をあげました。
しかし、もちろんこれだけでは終わりません。
なでしこの花は さらなる大輪を咲かせる準備をしていました。
そのつぼみがふくらみ始めるのは2007年の冬。
きっかけは、あの人の就任でした。

監督が代わりました。佐々木則夫監督に。

前任の大橋監督のもとでコーチとして指導していた方なんですけど、すごく人当たりのいいというかですね、帝京高校のときはキャプテンをしていたというような、頼りがいのある方で。女子を率いているという感覚があまり出ないというか、サッカーはサッカーでしょというようなタイプの監督だったので、すごくよかったのかなと思いますね。

本当に2007年の12月といっても、実際に指導をし始めたのが2008年の2月の合宿からだったので、ということは、オリンピックが2008年の8月なので、約半年しかないなかでの就任だったんですね。すごいですね。

準備期間が短いなか、いきなり北京オリンピックでベスト4。
惜しくもメダルは逃したものの、世界になでしこの名前を広くとどろかせる結果となったのです。

そして、次なる舞台は、ドイツ。
2011年FIFA女子ワールドカップ。
栄光の瞬間が近づいていました。

なでしこジャパンをワールドカップ優勝へ導いたのは、佐々木則夫監督。
砂坂さんは、佐々木監督をこう捉えています。

佐々木さんの良いところは、ユーモアがあるところですよね。

だから試合中、どうしてもハーフタイムで引き上げるとロッカールームで、「ここはこうでしょ」と言い合いというか、険悪な雰囲気になることも、まあまあ、あるらしいんですね。
そんななかで佐々木監督はギャグをハーフタイムに入れるらしいんです。でそのギャグでご本人はウケているとおっしゃっているんですが、すべったところをみんなが笑ってるみたいな、すべりウケみたいな状態でハーフタイムを過ごすと、すこしリラックスできて冷静になってからサッカーの話ができるのでいい、なんてことを、澤選手は言ってましたけど。

「こんなにいいのかな」っていうくらい笑って、試合に入るんですって言ってましたね。

こないだワールドカップのときも笑ってる姿が見えたかと思うんですけど、アメリカ戦の前の円陣の笑顔なんて、まさか、あの場面で笑顔が出るなんて思わないですよね。

その「変わらなさ」が、いいのかもしれないですね。
女性にしたら、そんなに人によって態度を変えてほしくないし、場所によって変えてほしくないし、いつも同じでいてほしいじゃないですか。なので、そういう態度の変えないところとか柔軟なところは女子選手に支持されるところかなと思いますね。

人によって態度を変えないところ、場面に応じて柔軟なところが女子の選手に支持される理由である。
決勝、対アメリカ。PK戦の前の笑顔は、いつものことである。

そしてそのPK戦で活躍したキーパーの海堀選手については、こんなHidden Story。

海堀選手はもともと身体能力が本当に高い選手で、子どものころはフィールドプレーヤーをやっていたんですけど、あまりにも身体能力が高いということで有名だったんですね。
で、中学まではサッカーをやっていたんですけど、高校になるとテニスに行ってしまって、で、テニスを続けていたんですけど、高校2年のときですかね、大阪府代表として友達が女子サッカーの試合に出るということだったんですけど、たまたまそのときの大阪府代表のキーパーがケガをしてしまったと。それで、「代わりに出てくれない?」と頼まれて急にキーパーとして出たと。そのくらい身体能力があったということですね。

女子サッカーを見つめ続けて、およそ15年。
砂坂美紀さんは今回のワールドカップ優勝を振り返って、こう語ります。

ほんとに、今は、まだ信じられない気持ちでいっぱいですけど……「彼女たちが、ここまで来るために大変な努力をしてきて、いろんなものを失ったり、得たりしながら歩いた道なので、それを私たち報道陣はしっかり報道することが大事だな」と思います。

あきらめないで取材して来たことをひとつひとつみなさんに伝えて、欲しいという情報があれば、少しでも分かりやすくして届けられればいいなと思いますね。

いろんなものを失ったり得たりしながら 歩いて来た道。
そんな道の先にこそあった 喜びの涙。
大切な喜びだからこそ、大切に伝える。
砂坂美紀さんの取材は 今日も続きます。