2011/6/3 俳優、松崎悠希さんのHidden Story

今週は、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン〜生命の泉』に出演した日本人俳優、松崎悠希さんのHidden Story。

ジョニー・デップ主演の大ヒット・シリーズ『パイレーツ・オブ・カリビアン』。
最新作で海賊ガーヘンを演じるのが松崎悠希さんです。
今やハリウッドの俳優となった松崎さんですが、まずは、その船出。 俳優への第一歩を語っていただきました。

7歳のころから英語劇をやっていたんですね、宮崎の方で。 11年間やってたんですけど。
だから英語で演技をするということが自然だったんですね。 はじめは演技学校に入学しました、東京なんですけど。 そのときに先生が、僕が意見を言うんですね「ここはこうしたほうがいいんじゃないか」と。 それをご覧になって、「悠希のその姿勢は日本よりもアメリカの業界向けじゃないか」と言われたんですね。
僕も「もしかしたらそうかもしれない」。 で、昔から英語劇をやってきたので、「ハリウッドでも使えるかもしれない」と思ったんですね。 しかも、ハリウッドで俳優になったら お金がたんまり稼げるんじゃないかと思ったんですね。 それは大きな間違いだったんですけども。 それでじゃあ、ハリウッドに行こう!と思い立ちまして。

18歳の松崎さんはアメリカ行きを決断します。
最初に降り立ったのは、ヴァージニア州のヴァージニアビーチという街。

僕は宮崎出身なんですけど、宮崎県宮崎市の姉妹都市であるヴァージニアビーチで、姉妹都市関係を利用して演技学校に入れてもらおうと思ったんです。
そしたら、その演技学校が「高校」だったんです。 僕は高校は卒業しているので、入れなかったんです。

それでここにいても意味がない。 ヴァージニアビーチはアメリカの東海岸ですから、東海岸で演技といえば、ブロードウェイがあるニューヨークだ!と思ったんですね。
それでニューヨークへ向かいました。

予定を大幅に変更してニューヨーク、マンハッタンへ。
しかし、ここでさらなる問題が発生します。

所持金を全部とられました。
アメリカに着いて4日目だったんですけども。 それで無一文になりましたね。

それでどうしようかと思っていたら「あそこにホームレスの施設があるよ」と言われたので入所しました。 窓が開きっぱなんですよ、寒いんです、本当に。
一日目にして体調をくずして風邪をひきまして、「このままここにいたら死んでしまう」と思って外に出たんですけど、そしたら親切な日本食料理のお店の方がいて、「うちの資材置き場があるんだけど、そこなら使っていいよ」と言ってくれたんで、そこをホームベースにして、食費を稼ぐためにニューヨークで一番の繁華街であるタイムズスクエアで「日本の童謡を歌ってお金を稼ぐ」という生活を始めました。

歌ってました、日本の童謡を。 「真っ赤だな♪」とか(笑)。
これが難しいんですけど、ただ歌うだけじゃだめなんです。5秒間が勝負なんです。
5秒間というのは、その観光客が目の前を歩いていってしまう時間なんです。
だからどうしたかと言うと、ショーをやろうと。 「春を愛する人は……♪」ってあるじゃないですか。

色をつけたんです。

春だからやわらかく「春を愛する人は♪」
夏は男らしく「夏を愛する人は♪」
秋は秋っぽく「秋を愛する人は♪」
冬は冬らしく「冬を愛する人は♪」

これを9ヶ月間かけて学びました。

出だしはトラブル続きのアメリカ生活。
そして、松崎悠希さんの人生は、このあと大きく舵をきることになるのです。

マンハッタン、タイムズスクエアで、日本の童謡を歌っていた松崎さんにオーディションの話が舞い込みます。

ニューヨークからバスで3時間揺られまして、ペンシルバニア州へ行きました。
そこでオーディションを受けたんですけど、それが人生初のオーディションだったんですけど、キャストされたんです。 B級アクション映画で、「忍者を演じろ」と言われて、演じたんですね。

そのあとで、僕は運良く『ラスト・サムライ』にキャストされたんですね。 トム・クルーズさんと共演させていただいたんですけど、「まげを切れ〜」という役で。
その『ラスト・サムライ』に出演したあとにそのB級映画がですね、DVDとビデオで市場に出たんですね。そしたら何が起こったかというと、批評家がですね、「これはひどい、こんなにひどい作品は見たことがない」「このひどい映画で誰よりも一番ひどいのは松崎悠希だ」と僕を名指しで批判したんですね。 ま、その作品をなぜ言いたくないかと言うと、確かに自分の人生としては重要な作品ですけど、ぜひとも見てほしくない作品なんです。

厳しい批判を力に代え、松崎さんは演技に磨きをかけました。
2006年にはクリント・イーストウッド監督の作品『硫黄島からの手紙』に出演。
そして、今回は、ハリウッドの大ヒットシリーズ『パイレーツ・オブ・カリビアン』で、海賊ガーヘンという役を射止めました。

今まで、『ラスト・サムライ』『硫黄島からの手紙』『ピンクパンサー2』と出演してきましたが、その映像をまとめたDVDがあるんですよ。 デモリールっていうんですけど。
オーディションに応募するとき、俳優は、顔写真と履歴書、それとこのデモリールの3点セットを送るんですね。 この3点セットがなぜか監督に流れ着いたんですよ。
その当時、監督はこのガーヘンという役をキャストするために、世界中でオーディションをしていたそうなんです。 何百人という俳優を見ていたそうなんですが、イメージに合わなかったそうなんです。

そこへ3点セットが流れ着いて、監督が僕のデモリールを見たんです。ある日。 だから、僕は予想だにしていませんでしたね。
そしたら電話が鳴りまして、「パイレーツオブカリビアンに興味はないか?」と言われまして、「いや、ありますよ」と。「でも、小さい役なんだ。台詞は2行しかないんだ。撮影は6ヶ月なんだ」って。「いや、いいですよ」と言ったんですね。

そしたらまた電話がかかってきて「じゃ、お願いします」と。 それでキャストされたんです。

『パイレーツ・オブ・カリビアン〜生命の泉』。 撮影秘話をひとつ。

撮影は去年の5月か6月くらいからだったと思うんですが、撮影の前に、「まずは戦闘シーンのリハーサルをします!」と言われたんですね。「え?」と思ったんです。

僕のなかではハリウッドの俳優というのはアクションをしないと思っていたんですね。
俳優はちょっとやるフリをしてあとはプロのスタントマンがやると思っていたんです。
そしたらみっちりしごかれまして、1ヶ月間、スタントの練習をさせられまして。 そして、ハワイで撮影だったんですけど、舟を一艘作っちゃったんですよね、アン王女の復讐号を。
その船上で夜通し戦い続けました。 大変でしたね、本当に。

松崎悠希さんが『パイレーツ・オブ・カリビアン』で演じたのは、自由という名の海を旅する海賊でした。
向こうみず。でも、明るく大らかに風まかせに進んで行く。
その存在は、松崎さんの人生とも重なって見えてきます。