2010/8/27 つけ麺の誕生秘話

今週は、今、空前の大ブームとなっている「つけ麺」。
その誕生から現在までを知る ひとりの人物に迫ります。

地下鉄有楽町線の東池袋駅を出てすぐの大通り沿い。
お店の軒先に、おおらかな笑顔のオヤジが座っています。
のれんにある文字は、「大勝軒」。
「つけ麺」の歴史は、このお店を抜きにして語ることはできません。

そして、軒先のオヤジ。 朝の開店時間から午後3時ごろまで、ひとりひとり客を出迎えているのが、山岸一雄さんです。

山岸さんが「大勝軒」という名前でいとこのお兄さんと一緒に お店を出したのは、1951年のこと。 場所は、中野でした。
そして、この中野の「大勝軒」で、つけ麺が誕生するのです。

» 大勝軒

 

1954年の12月ごろにお店を任されて、4月頃に、特製もりそばとか、カレー中華とか、たまねぎそばとか、新しいメニューを増やしたんですね。
その中に「特製もりそば」というのがあって、これがあっという間に売れちゃってね。
今のつけ麺につながるもとなんですよね。

1955年の春。
今のつけ麺につながる「特製もりそば」が生まれました。
それは、偶然が呼んだメニューでした。

湯のみ茶碗にたれを入れて、ネギをいれて、スープをいれて、一味をふって、こしょうもふってね、そこへ、ざるに麺がたまっているんですよ。余分にゆだったのが。 今みたいにカゴでひとつひとつやるような時代じゃなかったからね。

どーんと入れて、そこから網でパッパパッパあげて、それで出して、残ったのをざるにとっておく。
それを次に出す人にちょっと足して出す。
だから無駄にはならないんだけど、絶えずあったんです。

それを丼持って来て、それをつけて食べて、腹ごしらえをしてたんです。

私もそれを食べてたんだけど、それに、酢を入れて、砂糖を入れて、だんだん味付けをしてて、食べてたんですよ。
そしたら、ある日、お客さんが、「うまそうなの食べてるね、俺にも作ってよ」って。 で、出したら、「こんなにうまいんだったら、これは売った方がいい」って。

それで売る気になったんです。

山岸さんが厨房で食べていたものを、お客さんが「自分にも」と注文。
これをきっかけに「特製もりそば」を売り出すことが決まりました。
誰も知らないメニューだったのにもかかわらず、またたく間に人気となります。

自分でメニューを書いて、ただベタッと貼っただけなんで、いっさい宣伝はしてないです。
口伝いですね。 ひたすらうまいものを作れば、口伝いで広がって行く。

噂の「特製もりそば」、人呼んで「特もり」が、昭和の街を明るく元気にしたのです。

つけ麺の源となる「特製もりそば」。
山岸一雄さんが、当時、中野にあった大勝軒で生み出したメニューです。

看板メニューとなった この「特製もりそば」と共に、1961年6月6日、大勝軒は池袋へ移転します。

移り変わる池袋で、人々から愛される存在となった「大勝軒」。
お店を最も長く休んだのは、1986年から87年にかけて。
山岸一雄さんが最愛の奥様を亡くした直後のことでした。

女房が死んじゃったから、全然出来なくなっちゃって、7ヶ月休んだ。 ショックでね。

それで「しばらく休ませてもらう」というのをカレンダーの裏に書いて表に貼っておいたんですよ。 そしたら、その余白に、「大阪から来たのにやってなくて残念」とか「早く美味しい麺を食べさせて」とか書いてあって。
これはやらなきゃしょうがないなと……

その後、2007年3月20日。 地域の再開発の余波を受け、閉店。
その日は、大行列。 上空にヘリが舞い、ニュースでも取り上げられました。

ラーメン屋であれだけの騒ぎになるというのは今まで聞いたことがなかったし、自分でもびっくりしたし、なんか大事件みたいで(笑)

復活の日は、2008年1月5日。
こっそり再開するつもりが、数日前からスープの香りをファンがかぎつけ、開店の日は、またしても大行列となりました。

山岸さんが「特製もりそば」を最初に出してから55年。
そこに込めるのは、いつも変わらぬこの想い。

池袋界隈で仕事をしてた人が田舎に帰って、その人がまた東京に来たら、池袋に行って食べようというのが未だに続いてますよね。
「何歳のときに東京にいて、よく来たんだ」とか。 そういうのはこっちも懐かしいし。 いかに、このひとつのメニューが、お客さんとの会話、麺を通してその人を幸せに……そこまで言うと大げさかもしれないけど、そういうあれですよね。

一つのものを変わりなく作り続けるというのは、それが大事なことだと自分では思ってる。

山岸一雄さん、76歳。
取材の際はTシャツ姿。そして、そのTシャツにあったのは、麺の絆と書いて、「麺絆」の文字。
お客さん同士、お店とお客さん、時代の空気と重なる味の記憶。
そこには、麺を通して結ばれる さまざまな絆がありました。