2010/1/8 小田急ロマンスカーのHidden Story

今週は、年末年始に乗車された方もいらっしゃるかもしれません、小田急ロマンスカーのHidden Story。

その名を広く知られる「ロマンスカー」。
誰が名付けたのか? どんな思いを込めて命名したのか?
そして、呼び名として いつから定着したのか?
実は、いくら倉庫を探しても、記録は残っていません。 
小田急電鉄の新井優太さんも、分厚い資料をめくりながら、こんなお答え。

ロマンスカーという名前がいつ定着したかについては、記録がありません。 一説によれば、戦後、映画館で二人がけのシートが流行しまして、それをロマンスシートと呼んでいたことが起源、という説があります。 当時の特急列車については、横並びの座席を採用した特急列車をロマンスカーと呼んでいたということです。


戦後まもなく、小田急電鉄は、新宿・小田原間をノンストップで結ぶ「週末特急」を運行。
特急電車内に配置された横並びのシートをロマンスシートと呼んでいたことが、「ロマンスカー」の始まりだと されています。
その後、1957年、一台の新型車両が製造されます。
これが、今のロマンスカーの原形です。

57年にSEという車両がデビューしました。 この電車につきましては、当時の技術の粋を結集して作ったものです。 当時の電車はみんな四角い角張った電車がほとんどの時代に、新幹線の原型となったSEという車両は流線型の先頭の丸みを形であるとか、コーナーを速くまわれるように台車の車輪の部分を工夫したり、あるいは軽量化ですね、当時の技術の粋を集めて作ったもので世間的にも大変好評を博しまして、ロマンスカーという名前が一気に広がったとされています。

1957年。 新幹線は、まだありませんでした。
小田急電鉄が開発した車両の名前は、Super Expressを略して、SE。
SEは、当時の最高速度記録を作りました。

直線の線路があるところでしかスピードは出せませんので、国鉄東海道線の線路をお借りしてですね、国鉄と私鉄が協力して高速試験を行いました。 そこで時速145キロ。

今考えると大したことないかもしれませんが、新幹線もない時代にその速度を達成できた、という画期的なことでした。
それがのちの新幹線の開発につながったそうです。

新幹線の源流には、ロマンスカーがあったのです。
新宿と箱根湯本のあいだを結ぶ特急列車、ロマンスカー。
その後、高度経済成長の追い風を受け、利用者もグングン増えていきました。

小田急電鉄が運行する「ロマンスカー」。
1960年代になされた一つの工夫が、さらに大きな人気を呼ぶきっかけになりました。


NSE

1963年には、NSE New Super Expressがデビューしました。 1980年にはLSEという車両がデビューしています。 さらに1987年にはHI-SEが登場しています。

これら3つのロマンスカーの特徴としては、運転席を2階に上げています。
それによって、1階の先頭部分に客席を持ってきました。
展望席を配置できたんですね。
展望席では運転士になったような気分を味わえるということで、今でも人気を博しています。


LSE / HI-SE

進化を続けるロマンスカー。
今、一番人気があるのは、VSEというタイプの車両です。

2005年にVSEという白いロマンスカーがデビューしました。 こちらは箱根専用の敢行特急として、今一番人気があります。

新宿と箱根を結ぶ電車として定着していると思うんですが、単に移動する電車としてではなく「新宿から箱根までをゆったりと、その電車に乗ることが楽しみ」ということを目指して作った車両です。
景色を楽しんでいただくために、展望席をHI-SE以来、10年ぶりに復活させたこと。

一般の座席についても、窓は4メートルの連続窓にして、展望席でなくても存分に景色を楽しめるようにしました。
また、建築家の岡部憲明先生にお願いして車両の中と外をデザインをコーディネートしていただきました。

車内は、間接照明を採用。
天井も高くして、快適さを追求しました。
箱根まで1時間25分。。。新宿から すでに旅は始まっているのです。


誰が呼んだか、ロマンスカー。
のちに新幹線にも応用される 最先端技術を搭載した1950年代の車両から、リラックス空間を演出する最新型まで。
時代とともにスタイルを変えながら、新宿と箱根を結びます。
あるときは恋人たちを乗せ、またあるときは あたたかな家族を乗せて。
  
» 特急ロマンスカーのご利用案内(小田急電鉄)