2009/8/14 「うすはりグラス」のHidden Story

今週は、東京下町の名品「うすはりグラス」のHidden Story。

そのグラスを手にした人は、ガラスの薄さに息をのみます。
厚さは1ミリ以下。氷をいれた飲み物なら、その氷の感触がグラスを持つ手に伝わります。
それが、うすはりグラス。

作っているのは、墨田区にある「松徳硝子株式会社」。

結局、電球を作っていた技術が元になっていることは確かなんですね。 それと、昭和30年代には、いわゆる極薄グラスといって、これの前身が、料亭などで使われるマニアックなグラスとして存在はしていたんですね。 で、うちの場合は、平成になって、ショールームを作って、OEMが中心だったのを何とか自社製品にしたいと思いまして、商標を取ったんですね。うすはりという。 はり、というのはガラスを昔は“はり”と言っていたんですよ。 だから、薄いはりだから、うすはり。
松徳硝子は、1922年創業。 当時はまだ手がける人が少なかった分野 = 電球用のガラス作りに、今のヴェンチャー企業のようなノリで参入。

作れば作るだけ売れました。
その後、電球は機械で製造されるようになったため、ガラス食器をはじめとするガラス製品に 方向転換。

時は流れ、松徳硝子の3代目村松邦男さんの時代になって「うすはり」という名前をつけたグラスを発売します。
反応は素早く返ってきました。

例えばギフトショーとかイベントに出すとね、意外にも私の娘くらいの年齢のバイヤーさんが興味を示してくれて、本当に速かったですね。 あっという間に、都内のセレクトショップとか、たまたま海外のニューヨークのギフトフェアとか。 そういうところに出したら、いいんじゃない?ということで、ニューヨークのモスギャラリーという、世界中のセレクトショップなんですよ。 そんなところに並べてもらったり。

いつの間にかそういう風になっちゃったんです。

海外からも熱い視線を送られることとなった「うすはりグラス」。
厚さ1ミリ以下というガラスは どんな風に作られているのか?

東京 下町の名品「うすはりグラス」。
その製造が行われているのは、「松徳硝子株式会社」2階の作業場です。



ガラスの行程を最初からいうと、原料の調合から始まって、今日夕方4時に終わったら、明日の原料をるつぼに入れるんです。 夜中に“かま焚き”っていって、溶かすわけです。

朝になったら名人がきて、形をととのえて、グラスをつくるわけです。

それを竿からはなして、徐冷炉にいれてゆっくり冷まします。
それによって壊れにくいガラスになります。

出て来たものを、グラスにする部分、いらない部分とにダイヤモンドを使って分けます。
今度はやすりで研磨して、お水で洗って、ガスバーナーで一瞬とかして、丸くして。
それでグラスになるわけです。

ガラス作りの行程は、まさに 昔ながら。
名人が長い筒を吹き、ガラスがふくらませます。
厚さは、0.85ミリから0.9ミリ。
普通のグラスは、1.5ミリから1.8ミリと言いますから、その薄さは格別です。

結局ね、フレンチのレストランでも名シェフがいれば、その会社に名人がいれば育ちやすいじゃないですか。 上手い人がそばにいれば、周りの人にも技術が伝染しやすいんだと思います。

「うすはりグラス」が人気となった「松徳硝子」。
ここ数年は、新しい取り組みを始めています。
それは使用済みの蛍光灯のガラスを リサイクルすること。

金沢にさわやさんという電気工事の会社があるんですよ。 で、そこで電気工事の会社ですから電気工事して、新しい蛍光灯に変える。 で、変えたのはどうしよう?ということでリサイクルを考えだしたんですけどね。。。現在は日本でだいたい推定4億本と言われているんです。 そのほとんどが埋めたてられているんですね。

それで、さわやさんで始めて、蛍光管を分けると、金属、水銀、発光体、ガラス。

金属やなんかはリサイクルできたんですが、ガラスだけ出口がなかったんですよ。
じゃあ、ぜひ取り組んでみましょうと。


使い道のなかった使用済み蛍光灯のガラス。
これを利用したグラスができました。

1920年代、創業当初に作っていたのは、当時普及が進んでいた電球用のガラス。
そんな会社が 環境問題にスポットが当たる今、蛍光灯のガラスをリサイクルして グラスを作ります。

職人さんがガラスを膨らませるために筒に吹き込んでいるもの。。。
それは、その時代の空気なのかもしれません。

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