2009/5/29 横浜マリンタワーのHidden Story

今週は、先日リニューアル・オープンしたばかりです。
横浜マリンタワーのHidden Story。


港を行き交う船、ベイブリッジ、みなとみらいのビル群、足下には 山下公園と中華街。
高さ90メートルの展望台から見える風景からは横浜の魅力があふれています。

横浜マリンタワー。
誕生したのは、昭和36年 = 1961年。

市民の発意で、有志で建てられたと聞いております。
当時の写真を見ますと、港を見渡せるような高い建物はいっさいなかったようなんですね。 そんな中、開港100年を迎えるにあたり、そうした機運が高まって、こうしたモニュメントを作ろうじゃないか、ということで建設された、ということですね。

市民の声が後押しをして作られたマリンタワーは以後、人々から愛され、入場者数も伸び続けます。
しかし、1991年、105万人の来場を記録したのをピークに客足は伸びなくなってしまいました。
そして、ある決断がくだされます。

2006年の12月に営業終了しました。
施設そのものも老朽化してきたということもありますし、みなとみらいをはじめとして新しい施設ができてきたこともありだんだん入場者数が減ってきました。
そんな中、マリンタワーは民間が所有して運営しておりましたので、その運営会社がこのまま運営して行くのは困難だということで、2005年に営業終了を表明して、2006年に一時閉業となったわけです。

2006年12月、マリンタワーは営業を終了しました。
デート、遠足、家族旅行。。。
さまざまな思い出にいろどられたタワーが消えてしまう??
しかし、ここで、横浜市が立ち上がったのです。

端的にいえば、そのままタワーを壊して土地を売却してしまう、という考え方もあったわけです。
でも、横浜市としては市民の声をきき、また、開港100年のモニュメントですから、なんとか保存活用しようということで、取得をしまして、今回のリニューアルに至ったわけです。

横浜のシンボルのひとつで、市民からも 横浜を訪れる人々からも 親しまれてきた 横浜マリンタワー。
2006年にいったんクローズとなりましたが、翌年、横浜市がこれを取得。
再生させる事業がスタートしました。

このプロジェクトに当初からたずさわった 横浜市経済観光局の遠藤賢也さんにリニューアルの道のりを伺いました。

再生にあたっては横浜市が取得はするんですが、行政が直接運営する施設ということではいろんな意味で限界があると。
長きにわたって魅力的な施設でありつづけるためには民間のアイディア、経営資源を活用する必要があるだろう、ということで、このマリンタワーそのものを運営する事業者を公募しました。

2007年6月、事業者が決定。
横浜市とのあいだで、それぞれの想いを重ねあわせ、形にする作業が始まります。

「より多くの人に来てもらえるタワーにしたい」
さまざまなアイディアが詰め込まれました。

全部が全部作り直すのではなく、なつかしさも残しつつ新しい顔を作ろう、ということで、山下公園側はガラスでかこわれたスタイリッシュなガラスカーテンウォールで氷上を作り出そうと。
反対側には水町通りという通りがあるんですが、こちら側は昔の雰囲気を残しています。
塔の色は、外側がシルバー、内側がブラウンオリーブという2色でなりたっています。
展望台も一新しました。ガラスさっしの一枚あたりの面積を4倍にしております。
むかしは枠越しに風景をご覧頂いたと思うんですが、よりダイナミックに横浜の風景をお楽しみいただけます。

新生 横浜マリンタワーは、先週、5月23日土曜日にグランド・オープンしました。
いったんは消えかかった横浜名物は、装いを一新。
今後も、ここで、新しい思い出が、ひとつ、またひとつと刻まれていくはずです。


最後に伺いました。
マリンタワー再生プロジェクトを率いた横浜市 遠藤賢也さんの 仕事の哲学。

やはり現場が大事だと思います。

私は1 / 1というんですが、机上で話す時は、きちっとそこで作ってはいるんですが、現場にいくとズレが生じますよね。
そうしたときに杓子定規でやるんじゃなくて、現場の関係者と話して作って行く。

私も毎日のようにマリンタワーに通いましたが、ここでも1 / 1を哲学として頑張って来たなというのはありますね。

「1 / 1」現場を大事にしている、という言葉、参考になりますね。

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