2009/4/3 オランウータン飼育のプロ

今週は、多摩動物公園で働く、オランウータン飼育のプロ、黒鳥英俊さんの情熱物語。

黒鳥英俊さんが多摩動物公園に着任したのは、2002年の4月のことでした。
そしてその1年後からオランウータンを担当されています。

当時6頭いたんですね、それで担当してすぐに工事が始まるというんで、今いるのは新しい動物舎なんですが、その前にいたのは75年にできた古い動物舎だったんですよ。 それを立て替えるというので、すぐ1ヶ月後、引っ越しが始まりまして。。。古い動物舎に動物を移して、そこで1年か2年過ごして、その間に新しいのを建てて、それができたらまた引っ越しで、ずっと忙しくしていましたね。

オランウータンの飼育施設を新しくする。
そんな大きなプロジェクトがスタートしました。

オランウータンは野生では高い木の上にいますし、木登りが得意で楽しそうに遊ぶんですね。それまでは平面にいて、地面で生活していたんです。立体的に使えなかったんですね。 あと、多摩動物公園というのは、緑がありますから、それを残していこうということで考えていたんですね。実は当時まだ使っていなかった雑木林があったんです。 そこを一般のお客さんにも解放して、しかもオランウータンがそこで遊べるように、ということで飛び地、という発想があったんですね。

そこにあったコンセプトとは。。。

少し離れた場所にある飛び地=雑木林へオランウータンが移動するために「スカイウォーク」が導入されることになりました。
アメリカの動物園で最初に作られた「スカイウォーク」は、 いくつかのタワーをロープでつなぎ、そこをオランウータンが渡っていく、という施設。
日本でも旭山動物園がいち早く取り入れていましたが、多摩ならではのアイディアは、渡って行った先に雑木林があること。 
自然を存分に活用するスカイウォークは これが初めてだったのです。

『 多摩動物公園の一番奥にあるオランウータンの飼育施設。
おとずれた子どもたちは 上のほうを見上げています。
視線の先にあるのは、オランウータンが野生に近い状態で活動するために導入された「スカイウォーク」。
9つのタワーの高さ15メートルほどのところが数本のロープでつながれています。
そこをオランウータンが器用に渡っているのです。
しかし、スカイウォークの完成当初、黒鳥飼育員は不安を抱えていました。

スタートの第1タワーから第9タワーまで150メートル近くあるんですが、とにかく一番苦労したのは、最初ですね。本当に渡ってくれるかどうか、それが渡ってくれなかったんですね。 最初にオス2頭に渡らせようとしたんですが、点検ばかりして渡りませんでした。2005年の4月28日にオープンで 6月の2日、その日に初めて渡ったんですね。

最初に渡ったのは、子どものオランウータン ポピーでした。
母親チャッピーがそれに驚いて後を追い、さらに、おばあちゃんのオランウータン ジプシーが
「自分だけ置いて行かれては」と渡っていく。 
これが2005年6月2日の出来事です。

今や毎日のように、飛び地と呼ばれる雑木林で遊ぶオランウータン。
そして、それを見守る黒鳥飼育員。
しかし、見つめる瞳には、また別の想いも宿っていました。
オランウータンのふるさと、ボルネオ島への想いです。

実は今、野生の状態がよくないんですね。今、彼らの住む現地というのがどんどん開発されて、農場ができて、彼らの住んでいた森が切り倒されて、追いやられているんですね。 ボルネオ保全トラストというのは、そこにいる野生動物を救おうということで立ち上がったNPOなんですけど。 やっているのは、緑の回廊計画というもので、今、森が分断されているんですね。昔はオランウータンがいろんなところを自由に行き来できたんですけど、今、彼らが森を自由に行き来できないんですね。 それで、森を買い戻して森と森をつなぐ、ということ。それから川に消防ホースをかけて、それを使って渡ってもらおうと。

開発によって分断されたボルネオ島の森。
そこを流れる川に消防ホースで橋をかけて、森と森をつなぐ。 
これは、多摩動物公園で飼育施設に使われている消防ホースを参考に生まれたアイディアだったのです。

動物園のお仕事をスタートして31年。
その大部分を類人猿と過ごしてきた黒鳥英俊さん。
日々 オランウータンに接していて思うことは?

やさしいんですよね、彼らは。

気持ちがやさしいのと、相手のことをすごく心配してくれるというか、仲間に対してもそうだし、私たちにとってもそうなんですよ。
気持ちはやさしいですよ。それは人間も見習ったほうがいいかもしれないですね。