2008/8/8 オリンピック代表選手のコーチング

今週は・・・オリンピック代表選手のコーチング。北島康介選手を20年に渡って見続けるひとりのコーチの情熱物語。

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北京オリンピック、競泳 男子平泳ぎの北島康介選手。ご存知のように、4年前のアテネでは 100メートル、200メートルでともに金メダルを獲得しました。今回も金メダルが期待されているわけですが、、、コーチの平井伯昌さんは、、、「アテネのときとは、かなり状況が違います」そう切り出しました。 アテネ・オリンピック直前、北島選手を追いつめるひとつの記録が出たのです。

直前にね、僕らはスペインで合宿していたんですがその最中に、ライバルのブレンダン・ハンセン選手が全米選手権で世界記録をきったんです。それは衝撃でしたね。そのときは康介は全然調子悪くてですね。。。次の日の朝、体操をしているときに、康介に「お前、きられたぞ」と言ったら、康介も「ん〜」何もいわないですよね。

アテネ・オリンピック直前、最大のライバル、アメリカのブレンダン・ハンセン選手が当時 北島選手が持っていた記録を更新し、世界新記録をマーク。王者としてのぞむはずのアテネが、一転、挑戦者としていどむアテネとなったのです。 しかも、調子を落としていた北島選手。でも、、、 平井コーチは信じていました。

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あのときは、康介もそうですけど、僕も負けたらどうしようということを1回も考えたことがなかったんですね。銀メダルだったらどうしよう?とか。世界記録をやぶられたけど、どうやったら勝てるか、どうやったら金メダルをとれるか、としか考えませんでした。そういうことだけを思い描いていたんですね。

勝つことだけを想い描いていた。スペインでの合宿からオリンピックの選手村へ、そして競技の当日まで、、、平井コーチは 打てる手は全部打ちました。

予選、準決勝、決勝のすべてのレースで相手をたたきのめそうと思っていたんですね。予選から全力でいって、「北島、調子いいぞ」と。相手があせってくれないと勝てないと思ってましたから。あとは、同じ時間帯にウォーミングアップしてますからハンセンのウォーミングアップも見てね。ハンセンのコーチと一緒に歩いて、ストップウォッチをばちっと押したりね。コーチにもプレッシャーをかけようと。あとは、レース分析といって、決勝のウォーミングの前に話をしたんですよ。飛び込んだら康介が出て、50メートルはハンセンが出て、ターンはハンセンがうまくないからまた康介が出て、最後はタッチの勝負だと。で、タッチの練習をしていたんです。

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平井コーチの読み通りのレース展開で、最後はタッチの差で北島選手が勝利。歓喜の瞬間がやってきました。北島康介選手の原点は、東京都豊島区駒込、、、JRの巣鴨駅から住宅街に入ったところにある「東京スイミングセンター」。 小学校低学年のころ、このスイミングセンターへ初めてやってきた北島選手は、「あまり泳げないクラス」の生徒でした。時は流れて、中学時代、、、

印象としては、おとなしいタイプで、でも試合になるとがらっと変わるんです。こういう本番で強い選手こそ、オリンピック向きなんじゃないかな〜と。その次の年ですね、中学3年とき、全国中学というのが高松でありまして、それで優勝するんですけど・・・そのあとに、この選手だったら、コーチ生命じゃないですけど自分を懸けてやれるな、と思って。帰ってきたら「オリンピックに行きたいか」と本人に言ったら、「何言ってんだ、この人」って顔してましたけど。

目指すのは、オリンピック選手。北島選手と平井伯昌コーチ、ふたりの挑戦が始まりました。

目先の結果を出そうと思っていたんじゃなくて、例えば、インターハイっていうのが8月にあるんですけど、その前に7月に都の大会があるんです。そうした大会の時は、わざと朝にきつい練習をして疲れた状態でのぞむとか。将来のことを考えて、オリンピック選手になったときに困らないように、根性つけとくというんですかね、そういうことをしてたんですよ。ああいう中学とか高校のときの、苦しいときの基礎があるから今があるんじゃないかと思うんですけどね。

平井コーチにとって、これまでで一番嬉しかったレース、、、それは、アテネの金メダルでも、世界選手権の金メダルでもありません。2000年、シドニー・オリンピックの「代表選考会」。2ヶ月前に腕を故障、不安を抱えての日々を乗り越えての平泳ぎ100メートル優勝。平井コーチが オリンピック選手になりたいか?と北島少年に問いかけたその答えがこのとき出たのです。その後の活躍はみなさんご存知の通り。アテネで金メダルを二つ。今回の北京でも、目指すのは金メダルだと平井コーチははっきり語ってくれました。

自分がコーチになって、1988年に鈴木大地君が金メダルをとってそのときびっくりしたんですね。大学を出てコーチになりたいと思ってなったんですけど、僕の仕事の頂点というのは金メダルがとれるんだなと。ただ、鈴木大地のときも、恭子ちゃんのときも、奇跡の金メダルとか言われてて。じゃあ、康介のときは、世界選手権でも金メダルをとって、世界記録もとってみんなに期待されて金メダルをとりたいと。一番難しいことだけど、そういうのが 康介にできないかなと思ってて。

世界記録保持者としてのぞむ北京オリンピック。コーチの夢と選手の情熱が プールの中ではじけるそのときがやってきます。