2008/7/18 痛くない注射針」を生み出した町工場の情熱物語

今日は・・・「痛くない注射針」を生み出した町工場の情熱物語。

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「注射針は痛いもの」そんな常識を覆したのは、東京の下町、墨田区向島の小さな町工場、、、1935年に創業された金属加工工場、岡野工業株式会社の二代目の社長、岡野 雅行さん。岡野工業とはどんな会社なのか?その仕事の原点とは...?

私はね、皆と同じようなことはやりたくないわけ。普通のプレス会社と違うの、他の会社、抜いたり曲げたりとかさ、日本の90%はだいたいこういうプレス会社なんだよ。俺んちみたく深絞りをやるって会社は、日本中でもこの向島近辺にあるだけなの。

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「深絞り」とは、一枚の金属の板を限界までプレスし、金属版をちぎれさせることなく、薄く深いケースに仕上げていく加工技術です。この「深絞り」の技術を使って、岡野さんは次々と製品を生み出したのです。

皆ができないものやろうと。難しくてやだと、もう一つは安くてやだと、そういう仕事を俺は選んでやってみようと。でそういう僕の主義と主張と同じようにして、やってったわけ。だから、一番最初は無名なんだから、皆が捨てちゃった安いやつ、どこでも技術的にできるもの、どこでもできるんだけど、安くてやだと。

皆ができないものを作る、、、この信念のもと、ライターケースやボールペンの本体など数々の製品が生まれました。1990年代になると、世界で初めて1枚のステンレス板から、超薄型の角型電池ケースを作ることに成功。さらに、ウォークマンの超薄型電池のケースや携帯電話の電池ケースも開発。岡野さんの名前は、一気に知れ渡ることとなります。そして迎えた2000年のある日、医療機器メーカー・テルモの技術者、大谷内哲也さんが、一枚の設計図を持って、岡野さんのもとを突然訪ねてきたのです。

これは糖尿の方が使う針でさ、一日3回打たなきゃ最低でも、中には5回なんて人もいるわけ。子供が多いんだよ、子供。子供さんなんて痛いでしょ。年中泣いているから、そういう思いを大谷内さんが見てて、こりゃかわいそうだと。刺しても痛みが感じない針を作りたいっていうんで、設計したわけ。日本中のプレス屋さん、金型屋さん、パイプ屋さんに1年かけて100軒まわった。皆できない。ある人の紹介で、図面を見せてもらったとき、「あっ、すごいな」と思って。でおれはそこの前でものの30分も経たないで、「大谷内さん、これできますよ」って。

医療機器メーカーの社員がさまざまな工場を100軒まわっても 「こんなものできるわけない」そう断られてしまった「痛くない注射針」。技術者が眉をひそめたのは、その設計図。

今までの針は、パイプを細かく切って、先っちょを竹やりみたくして、やってっから痛いんだよ、太くて。刺しても子供さんも痛くないような、それは「モスキート」、「蚊」、蚊刺されて痛いと思わないだろ。あとでかゆくなるだけだろ。元が太くて先が細い針は世界中探しても無いんだ。それを大谷内さんがモスキートと同じような、痛くない針を作りたいんだって、これを設計したわけだよ。

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蚊をモデルにして設計された「痛くない注射針」、、、「注射針は細いパイプを切って作る」というそれまでの常識では、元が太くて先が細い注射針、、、これを作るのは、到底不可能なことでした。しかし、東京 下町の町工場が、そんな不可能を可能にしたのです。

それは今までの失敗の経験があるから。やっぱいろんな失敗を経験してきた結果が、今花咲いているわけなんだよ。もう失敗失敗の連続でいろんなことやってきたわけ。経験が豊富なんだよ私は、深絞りの世界じゃ。だけど、針は深絞りの部類じゃないんだよ。だからぜんぜん場違いな品物なんだけど、アイデアがこうやればできるってのがわかってるから。でつくったわけなの、ほんとはうちの出番じゃないの。

根本の部分が太くて、先が細い針を作るには、硬くて厚みのあるステンレスの板を、薄くして丸めればいい。そんなアイデアを可能にしたのは、岡野さんの経験とそれまで培ってきた技術でした。開発開始から一年後に試作品が完成した「痛くない注射針」。今では、生産数も数億本を達成しました。

皆喜んでお礼の手紙だよ。もうありがとうありがとうだよ。うれしいよ、俺は。ブラジルのアマゾンのずっと奥の方で日本人が医者をやってるんだって、そっから手紙が来たよ。こういう針をもっと普及させてくれ、うちでも早く使いたいから、まにあわせてくれって。うれしかったね、うん。

患者さんの痛みをやわらげたい、、、そんな願いから生まれた「痛くない注射針」。技術者の情熱は、人々の安心に姿を変え、広がっています。