2008/6/20 マカダミア・ナッツ・チョコ

今週は・・・ホノルルからの生放送、ということで、、ハワイのおみやげの定番です、「マカダミア・ナッツ・チョコ」のHidden Story。
マカダミア・ナッツ・チョコレート。この歴史をひもとくには、まずは時代を一気に100年以上飛び越えて1881年のハワイへ。ウィリアム・パーバスさんという人がいなければ、おそらく、マカダミア・ナッツ・チョコは存在しなかったでしょう。彼がハワイ島のワイピオ・ヴァレーに「マカダミア・ナッツの木」を初めて持つ込んだのです。この実をローストして塩をふって売り出したのはそれから40年後。そして、チョコとの融合が発案されたのは、、、

1930年代になると、人々は、いろんなお店でマカダミア・ナッツをチョコにディップ販売を始めました。そして、一番最初にそうした商品を発売したのは、オアフ島にあった「エレン・ダイ・キャンディーズ」でした。

ホノルル市内にあるオフィスで、そう教えてくれたのはキース・サカモトさん。マカダミア・ナッツ・チョコ販売する「ハワイアン・ホースト」の4代目の社長です。

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そもそも、ハワイアン・ホーストを創立したのは、マモル・タキタニさん。日系3世のタキタニさんは、若き日に、あることを確信しました。

1950年代に、タキタニさんはマカダミア・ナッツに大変興味を持ち、商品のビジョンが浮かび、何日もチョコレートとのコンビネーションを研究しました。数えきれないほどのレシピを作り、チョコとナッツの完璧なブレンドを探したのです。しかし、当時、父の仕事を手伝っていたタキタニさんがその作業をできるのは、与えられた仕事を終えた夜だけ。屋根裏部屋で、最高の配合を考える日々が続きました。

そして、彼の情熱を支えていたのは、奥様アイコさんへの想いだったのです。 マカダミア・ナッツ・チョコで知られる「ハワイアン・ホースト」の創設者、マモル・タキタニさん。マウイ島に住んでいたタキタニさんは、マカダミア・ナッツとチョコの最高のブレンドを編み出しました。 そして、より大きな市場を求めて、オアフ島のホノルルへとやってきたのです。そこで出会ったのが、「エレン・ダイ・キャンディーズ」。すでにナッツをチョコにディップする商品を販売していた、このお店を買収。いよいよ本格的なビジネスへと足を踏み出しました。 時は1960年。。。 もちろん、最初から追い風だったわけではありません。

当初、車にチョコを積んで販売して回った「マカダミア・ナッツ」。売り上げは1ヶ月に800ドル。だからはじめの頃は、利益は上がらず、軌道にのるまでは相当な努力が必要でした。また、作るのには、その倍以上の費用がかかっていました。 でも、タキタニさんは、絶対にあきらめるわけにはいきませんでした。なぜなら、、、 奥様のアイコさんをマウイ島からオアフ島へつれてくる。その為にもチョコをたくさん売らなければ・・・。

タキタニさんの情熱は、アイコさんへの想いを力にしてさらに加速していきます。やがて、、、この想いは 大きく実りました。折しも、時代は、世界的な旅行ブーム。日本へのPRも成功し、売り上げは右肩あがり。その後は、世界が愛する存在となったのです。 最後にこんな質問を。「この成功を呼んだ、一番の理由は何だったのでしょう」

創業者のマモル・タキタニさんが編み出したレシピ、、、彼が考えだしたチョコレートとマカダミア・ナッツの完璧なコンビネーションがなければ、今の成功はなかったでしょう。これにつきますね。

奥様のことを想い、屋根裏部屋で汗を流日々に、「マカダミア・ナッツ・チョコ」の成功の秘密はあったのです。