2008/4/4「フェリカ」の誕生物語

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今朝通勤の際に多くの方が使われたことでしょう、SUICA、PASMOで使われている重要な技術、「フェリカ」の誕生物語。
Suica 2300万枚、Pasmo800万枚、さらに電子マネーEdyとして3800万枚のカードに使われている技術、「FeliCa(フェリカ)」。
のちにその誕生をになうことになるチームは、1988年の2月16日、ソニー株式会社の中に、わずか3人で静かにスタートしました。当初、3人が作ろうとしていたのは、「宅配便の仕分けをするためのラベル」でした。

同じころ、東京・国立で ひとつの計画が練られていました。鉄道総合技術研究所が考えていたのは、 「交通用の電子乗車券」。
ソニーはこの情報に接触。電子乗車券の開発へと舵をきることを決めます。
しかし、その直後、事態は大きく変わります。 「FeliCa(フェリカ)」の開発チームの技術部門のリーダーであった日下部進さんは当時をこう振り返ります。

013t_08040402.jpg 鉄道総合技術研究所と開発を始めたあとに、その研究所の方がJR東日本に移られて、ICカードの研究を進められることになりました。 そことソニーが共同研究を始めた直後に、磁気カードの導入が決まってしまいました。ICカードの導入は多分なくなるだろう、10年くらいはないだろうということでソニーとしては撤退というか、あきらめかけていたんです。

改札口の自動化のために、磁気カードが導入され、撤退を余儀なくされそうになったソニー。しかし、光は 意外な方向から差してきました。

たまたまそのときに、香港で交通用のカードの入札が行われますと。ある程度、開発が進んでいましたので、それにチャレンジしてみようかということで再度始めてみたんです。

地下鉄、バス、フェリーなどを1枚のカードで使えるようにする。ソニーは「香港」から そんな仕事を受注したのです。時は、1992年。5年後の本格導入を目標に、開発が始まりました。最初は3人で始まったプロジェクトも、この時点で20数名に。FeliCa誕生へ向けてチームが走り出したのです。

013t_08040403.jpg 入札仕様書をもらったんですが、電子マネーとして使う、ということまで書かれてました。今日本の中で起こっていることがすでに要求仕様書にはありました。その当時って、接触式のカードといって、差し込んで使うICカードしかなくてその当時に、非接触と言われている、かざすことで電子マネーのお金を精算できる、乗り物もこれで乗れる。当時の技術を寄せ集めてもそんにはいくつものなものができるかどうか分からない。それに向かってソニーはやってみようと思った。

 香港の交通機関で使用されるICカードのために開発がスタートした「FeliCa(フェリカ)」。ソニーのチーム難題がふりかかりました。カードをかざすターゲットまでの距離の壁、5センチではなく、10センチ離れても読み取れるように。そして、処理時間はわずか0.2秒にしなけらばならない。この壁を越えるため、3千通りもの試作がおこなわれました。

一番話したのは、担当者のデスクにゴミ箱があるんですがそこに座って、2時間くらい・・・「どうしようかね」と。2時間くらい話していると、何か糸口が出てくるんですよね。ゴミ箱のあとがお尻によくついていました。みんな切羽詰まったところで仕事をしてますから関係した人が集まって話せば、愚痴も出てくるけど、アイディアも出てくる。そういう意味では話したほうがいいですね。

「最後までうまく動くのか分からなかった」日下部さんは当時のことをそう語りますが、チームの力を結集。ついにその日を迎えます。1997年9月1日。香港で、様々な交通機関で使えるカード「オクトパス・カード」の運用がスタートしました。これが、FeliCaが多くの人に使われ始めた瞬間でした。

そして、この状況を受け、JR東日本も ICカード乗車券の導入を決定します。このカードこそ、みなさんご存知の「Suica」です。Suicaの運用開始は、2001年の11月18日。600万枚のカードに搭載されたFeliCaがいよいよ日本で動き出したのです。

やっぱり人が人に情熱を伝えないと動かないことってたくさんあって。もちろん情熱だけではだめで、FeliCaの持っている力、これが、世の中に出るときに後ろから後押しをしていたのかなと思うんですよね。最初の立ち上げだったし、世の中に出して、世の中に価値のあるものを作ろうと思ったから、そこまでできたんですかね。

世の中に価値のあるものを作る。これがFeliCaの開発チームを支えたものでした。