2014年05月24日

5.24 OA Slumdog Millionaire QOOLAND Sukhwindar Singh-Sapna Awasti 

1   Jai Ho / from OST” Slumdog Millionaire” 

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アカデミー賞受賞作『スラムドッグ$ミリオネア』のサントラより、
インド映画音楽の巨匠A.R.ラフマーンによる躍動感あふれるナンバーを。


2  白夜行 / QOOLAND 

ボーカル/ギターを担当するバンドのフロントマン、
平井拓郎が東野圭吾の代表作からインスパイアされたナンバー。

3  Chaiyya Chaiyya  / Sukhwindar Singh-Sapna Awasti  

こちらもA.R.ラフマーンによって書かれたインド映画音楽。
初出は1998年の作品『Dil Se..』。
スパイク・リー監督・デンゼル・ワシントン主演の『インサイド・マン』でも
この曲が効果的に使用されていました。

BOOK BAR staff| 23:47 | カテゴリー:SONG LISTSONG LIST

2011年07月28日

小松左京死去

小松左京が死んでしまった。

全身から力が抜けていく。

番組で一度、私の頭はほとんど岸田秀でできている、と話したことがあるが、

本当は半分がそうで、半分が小松左京だった。

ここ数年はまっていて抜け出せない、マルチバースの宇宙論も私の頭の中で、

半ば小松左京が「どや、おもろいやろ」とつぶやいているように

思えてしまうことすらある。

かつて朝の番組をやっていた時に最後の一週間、

ゲストに来ていただき、話をうかがう機会があったのだが、

それはもう文学、哲学、物理学のごった煮で、

知の塊に頭をごんごん殴られているかのような印象で、

眩暈さえしたものだった。


2006年に「日本沈没第2部」を小松左京+谷甲州で発表されたが、

あとがきで本人が大きな枠組みとテーマは決めて、

後は何人かで人物設定等は議論し、

最終執筆は谷氏に頼んだ、と書かれていた。

まさに壮大な小説で、長い物語に酔いしれながら読んだ。


ここ数週間、PHP新書から出ている

「宇宙にとって人間とは何か 小松左京箴言集」を 

毎日大切に数ページずつ噛みしめるように読んでいたので、

やはり何かのご縁が合ったのではないかと、

私らしくないことを思いたくなってしまう。


小松左京が前述の収録が終わったあと

私が「虚無回廊」を絶対に終わらせて欲しい、

としつこく頼んでいたら

「あのな、物質と反物質を接触させてやろうと思ってるんだよ」

とお話になったことが頭から離れない。

とうとう書かないで逝かれてしまわれた。


小松左京と尊称なしで書かせていただいたのは、

どうしようもないほどのファンだからです。お許しください。

魂が宇宙を超えて飛び回り、その成り立ちを観察して、

存分に楽しまれているに違いない。

思い切り楽しまれてから、ゆっくり休んでいただきたい。


大倉


BOOK BAR staff| 08:49 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年09月09日

BECK

「バンドやらんかね」。
もてたい一心で始めたわけじゃなくて、
とにかくイラついていた中学2年の時、
音楽が助けてくれるような気がしていた。
何から助けてくれるのかわからなかったが、
田舎町の私の家に揃って、やたらでかい音を出してると、
もやもやが消えるような気がしていた。

楽器はリードギターの兄貴があちこちでもらってきたもののお下がり。
他の連中は一番安い楽器を何とか親を説得して、調達していた。
バンドは集まらなければ練習不可能である。
場所は私の家の応接室を無理矢理スタジオに変えたのだが、
困ったのは、楽器の運搬である。
ドラムセットを手で持って歩くと、何度も往復しなければならない。
熟慮の末、リアカーを借りることにした。
毎週土曜にリアカーを津田君の近所の家から借りて、
アンプやドラム、その他の楽器を山盛りにして全員で運んだ。
リヤカーなんか東京の若い方は知らないでしょ。
あれ簡単に動かせるように見えるけど、
引き手を押さえながら引っ張らないと、
後ろにそっくり返るんだぜ。

人通りの多い通りではなかったが、好奇の的である。
また、大倉のバカ息子がおかしなまねをして、って感じ。
そもそも当時エレキギター、ドラムなんちゅうのは、不良の持ちもんである。
それに練習を始めりゃ、近所迷惑はなはだしい。
クレームの嵐である。
仕方がないんで、家中の布団をかき集めて窓壁を覆って、
真夏でもその中で練習。
それだけで体力使い果たして、
「もう練習しとうない」と言い出す始末である。
モチベーションがないと練習に身が入らないので、
小学校の音楽室を借りて「音楽祭」。
悲しい数の聴衆。しかも親ばっか。少しだけ友人。
こりゃいかんと、中学の体育館のステージを貸せと先生に直談判。
学校から認められているクラブでもないのに、できるわけない。
でも、貸してくれた。
先日、同窓会に当時の談判に応じてくださった先生が来てくださっていた。
「本当にあの時はご迷惑をおかけしました」
こちらも53歳である。ちゃんとした挨拶くらいできる。
「いや、おまえらはまだ直談判に来ちょっただけまし」
とのことであった。
お世話になった。

中学生デビューを果たすつもりだったのだが、
誰にプロにしてください、とお願いするかもわからぬうちに、
卒業してしまっていた。
高校になってからは更に活動は本格化していった。
応接室は常設スタジオと化して、バイトで貯めたお金で
楽器はグレードアップし、アンプ、マイク、マイクスタンド、
多重録音を可能にするため、オープンリールのレコーダーも2台そろえた。
KRYのラジオ番組で2曲演奏もし、怖いものなしのはずだったのだが、
田舎でやってたんじゃ、井の中の蛙。
学校やめて東京に行くと宣言したが、
自衛隊出身で高校教師になった担任は一枚上手で、
「えーっと、退学届けの雛形はどこじゃッたかのう」
と最初に一発食らわされ、ひるんだ我々の動揺を見逃さず、
「まあ、やめるんはいつでもやめられる」
と今考えれば、わかりやすい説得にかかった。
親は泣くは、メンバー全員の気持ち、必ずしも揃わず、断念。

後は手当たり次第にレコード会社にデモテープを送りつける。
「もう少し頑張りなさい」くらいの連絡はあっても、
「東京に来い」とは誰も言わない。
そりゃそうだろう。

今やカラオケでかつて歌った曲を怒鳴るように歌うのが精一杯。
BECKを見た。
10代の頃、バンドのことだけを考えていた数年間が鮮やかに蘇ってきた。
とまどい、高揚感、挫折、すべてが今の私を形作っている。
若者よBECKを見よ。
オッサンも見て思いださせ。
会社の愚痴言ってる場合じゃないぜ。

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大倉

BOOK BAR staff| 06:18 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年07月13日

つかこうへい死去

つかこうへいがあの若さで逝ってしまった。
報道で改めてつかこうへいの大きさを思い知った。
私がつかこうへいの文章に触れたのは、高校生の時である。
角川から74年に発刊された野生時代に書いていた。
すでにそのときには「熱海殺人事件」で岸田戯曲賞を取っていた。
私の記憶が正しければ、野生時代では日々のことを嘘交じりに
エッセイとして書いていたと思う。
現在幻冬舎の社長の見城氏が何度もそのエッセイに登場して、
その嘘か本当かわからない言動に爆笑していた。
田舎の高校生にはたまに来る民藝くらいしか芝居なんてものは
見た事はなく、東京ではアングラ劇団がすごいことになっている、
という何がすごいのか分からないが、
だれも見たことのない新たな動きをただ、想像しているしかなかった。
大学に入っても芝居を見るお金なんてどこにもなかった。
バイトで稼いだ金はすべて安酒場で消えてなくなっていた。
それでもつかこうへいが忘れられなかった私は彼の本をむさぼり読んだ。
芝居もそうだったが、次々に小説も発表している時期だった。
すべてが新しく、衝撃的でこんな恐ろしい人に鍛えられる劇団の人は
さぞ辛かろうと、半ば同情していた。
発表している作品が多すぎて、とてもすべて読めてはいないが、
当時は一番好きな作家であった。
仕事を始めてからは、他の劇団の公演には通ったが、
なぜか彼の芝居に足を向けることはなかった。
だから、一度もつかこうへいの芝居は見たことがない。
どうしてそんなことになったのかさっぱりわからない。
いまさら後悔してもどうしようもないのだが、
残念でならない。
つかこうへいの本はどれも人の心をえぐり、同時に情でそのえぐった穴を満たしていく。
あえて一冊だけあげれば私は「娘に語る祖国」が一番好きである。

つかこうへいに育てられた数え切れないほどの役者たちは、
何が一番好きなのだろう、とこんな時に思うべきことではないことを思ってしまった。

無宗教である故つかこうへい氏をどのように追悼していいのかわからないが、
再び彼の本を読み直すことが一番私には胸に落ちる。

大倉

BOOK BAR staff| 06:53 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年07月01日

写真展終了

番組でご案内しましたとおり、
昨日6月30日で私の写真展は終了いたしました。
いらしていただいた、たくさんのリスナーのみなさま、
本当にありがとうございました。
昨日が最終日だったので、あまり意味はないのですが、
友人たちと会場で飲んでいたところ、
ずいぶん熱心に御覧になっていらっしゃる男性がいるなあ、
と思ったら、声をかけてくださり、番組を毎回聴いてくださっていて、
「最終日にやっとこれました」とお話しくださいました。
足を運んでいただき、声をかけていただき、本当にありがとうございました。
洋画家の方だったのですが、
お名前を出していいかどうか、うっかり聞き逃してしまいましたので、
控えさせていただきますが、
いただいた作品集は素晴らしく、胸に清涼な風が吹くよな、
美しい絵を描いていらっしゃいます。
この番組も杏ちゃんも私もスタッフも
さまざまな方に聴いていただけて幸せ者です。
またこれからも番組を可愛がってやってください。

本日は淋しい写真撤去を早朝から夕方までかかって済ませました。
全体力、精力を使い果たすようなきっつい作業でした。
写真の撤去まで手伝ってくれた、
この写真展のアートディレクター、中村幸絵さんにこの場を借りまして、
御礼申し上げます。

大倉

BOOK BAR staff| 15:38 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年06月28日

インドの美女

先週紹介した本は、
うまいことインド美女と結婚できた杉本さんの話であったが、
どうなんだろう、あんなチャンスが普通の日本人に
訪れることなんてあるんだろうか。
仕事で赴任している日本人がインドに骨を埋める気で
高いハードルを乗り越え、美女を娶る勇気があるだろうか。
うまいこと日本に来ている留学生と結婚できることはあるかも知れないが、
インドで暮らしつつ、「俺が君を守るから」なんて言って、
めでたし、なんてことは極めて稀であろう。

かつて私の勤めていた会社で、
タイ一番の人気女優と広告の仕事を通じて結婚して、
その後も幸せに暮らしましたとさ、という話を聞いたことがある。
「そんなのありですか、職権乱用で逮捕でしょう」、
と詰め寄ったのだが、広告会社というのは男と女のことについては甘い。
みんなただ羨ましいと思っていたそうである。
タイとインドじゃ状況全然違うしな。

さて、私は「インドの女性は全員綺麗」に近いことを申し上げたが、
あれはあくまで私の個人的審美眼によるところのもので、
「そんなことない」と思っている方も多いであろう。
私も本当のところ「全員はちょっとオーバーだったかもしれない」
と話した後で思ってしまった。
ただし、個人的には世界でも有数の美女比率の高い国だと信じている。

問題はですね、心を締め付けられるような美女に出くわしたとしても
ただの旅行者の私には何らアプローチの方法がないということである。
日本でもナンパなんてしたことないのに、
いきなりインドの街角で、美女に寄って行って
「お茶でもいかがですか」というわけにもいかない、
じゃなくて、とてもできない。
インドの言葉が話せないんだもん。
たとえ話せたとして、坊さんの頭をほうたらかしてたら
こんなになってしまいました、という具合にピンピンに毛が立ち、
極めて日に焼けやすい頭頂部を晒した、汚いなりをしたオッサンに
ついてくるお嬢さんがいたら、日本ででも奇跡だろう。
それにお茶に行くってどこに行くのよ。
こっちは高級ホテルに入れる身分じゃないのよ。
じゃ、日陰で立ち話でも。
あるわけないじゃん。
職業は?と聞かれたって「いや、今、一休み中」で通じる世界じゃない。

そんなわけで、私が崇める美女はどうしても映画女優に限られてしまう。
かつて「踊るマハラジャ」という南インドのタミル語映画が
日本で大ヒットしたことがあるが、ミーナ、可愛かったね。
ただ、インド人以外の女優さんに比べると、
やや、ふくよかだったことにお気づきだったろうか。
かつてインドではふくよかな女性が美人とされてきていた。
サリーからお腹が見え隠れするが、あそこがチャームポイントで
お金持ちで、美しい奥様方は皆さん前後左右に豊かな実りを
湛えられていた。
ところがこの10年くらいであろうか、
急速に女優の体型が変わり始めた。
欧米基準のスレンダー型が取って代わったのである。
いくつか理由が考えられる。
1.欧米から大量の娯楽、映画、テレビ番組、ファッションが流入してきた
2.欧米で暮らすインド人が欧米基準に体型を合わせ始めた
3.インド人は世界中にいるので、インド映画は結構海外で配給される
そのため、欧米基準でないとどうもうまく行かない
私が勝手に考えたものなので、真剣に受け止めていただいては困るが、
おおよそそんなところであろう。
それで、私に何らかの影響があったか?
あった。
スーパー美女たちが、更に身近に感じられるようになってきたのである。
より恋愛対象に近くなってきたと、妄想を抱き始めた。
ミーナと結婚したいな、が、ディーピカ・パドゥコーネじゃなきゃだめだ、
になってしまった。ディーピカは今はもう誰にも止められない一押し女優である。
(大ヒットした「オーム・シャンティ・オーム」のヒロイン)
ハードルが上がるも何も、そもそもない話なのだが、
こういうのはどうだろう。
私は一度「ぼくと1ルピーの神様」(スラムドッグ・ミリオネアの原作)の著者、
ヴィカス・スワラップさんにインタビューをさせていただいたことがある、
スワラップさんは大阪のインド領事館にお勤めのはずである。
私はかなりのインド映画通である。
J-WAVEがインド大使館と組んで
インド映画を日本映画並みに大ヒットさせるキャンペーン
をぶち上げて、ディーピカを呼ぶのである。
そして、北は北海道から南は沖縄まで、私が自ら御案内するのである。
温泉なんか喜ぶんじゃないだろうか。
そしたら「意外にこのオッサン気が利くわね」
とお気に召してもらえるかもしれない。

3年前に買ってきた大量のインド映画のDVDは見尽くしてしまった。
(インドでは海賊版がどこでも売っているが、
私が購入したのはすべてちゃんとしたお店で、「本物だろうな」と
念を押して買った正規に流通しているものである)
もしかしたら、もっと美しい女優が登場しているかもしれない。
そしたらディーピカを見捨てることになるが、許して欲しい。
しかし、新人女優は若いので、私との歳の差は開くばかりである。
もしかしたら、「おじいさん」と呼ばれてしまうかもしれない。
編成部長殿、インド映画キャンペーン早くやりましょう。

何の話か、わからなくなってしまった。


大倉

BOOK BAR staff| 07:40 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年05月17日

大倉写真展延長のお知らせ

番組でも軽く触れましたが、現在、六本木のアウグスビアクラブで
開催中の私の写真展が延長されることになりました。
一応好評につきということにしております。
一ヶ月間で連休もあったりしたので、
まだ、写真展のために来てくださる方がいるので、
打ち切るとあんだけ苦労したのにもったいない、
とあくまでも個人的に判断し、
そのようなことになりました。
開催している間にお越しいただいた方の中には、
無理をして時間を作っていただいたのに申し訳ない
と反省していますので、お許しください。

今回の写真展は通常のものとはかなり体裁が異なっており、
大きなものや、小さな写真をタイル状に埋め尽くしたもの、
とお好きな方にはじっくり見ていただけるようになっています。
興味のない方には、「なんか壁が派手ね」って感じで、
気にしないでいていただけるかと思います。

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まだ、やってるらしいし、しつこく呼び込んでるなあ、
うるさいなあ、と思われた皆様、もう申しませんので、
「仕方ないなあ」の精神でいらしていただけると幸いです。

いつ終了になってもおかしくありませんので、
よろしくお願いしますね。

場所は六本木ヒルズから徒歩2分
アウグスビアクラブ
港区西麻布3-2-21
こちらでございます。

大倉

BOOK BAR staff| 09:00 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年03月25日

ぼくたちの大失敗

先週かけた森田童子の「ぼくたちの失敗」について、
一部のリスナーから「なつかしー」といっても
ドラマ「高校教師」についてであるが、
ともかくそんな反応があったので
そこからタイトルをパクろうとして、
「大失敗」にしたのだが、
これではどうもおちゃらけてしまうな、
失敗だな、と反省したのだが、
いずれにせよおちゃらけた話なのでいいとしよう。

いきなり脱線するが桜井幸子さんはどうして引退したの?
わたしは「高校教師」のビデオを
わざわざロンドンに送ってくれた人がいたので、
もうキューンとして繰り返し見ていたのに。
忘れられない。
桜井さん、このブログを見たら番組宛にご連絡ください。

番組でも話したように、中学生は心と体のバランスが
うまく取れない、ような気がする、という気がしたが、
もしかしたら、そう思わされただけで、
意外に彼らはそれなりにうまくやっているようにも思う。
「いや、わけのわからんことを言ってやりたい放題じゃないか」
と憤慨しているおじさん、おばさんもいるが、
そもそもそのおじさん、おばさんが、
やりたい放題だったりするので、フェアじゃないよね。

といいつつも、実際の社会で金を稼ぐという、
生きていくうえでの絶対必要条件はまだ満たしていないので、
どうしても独りよがりになりがちなことは否めまい。
わたしは中1の時に本を買う金ほしさに
4ヶ月間朝刊を配っていたが、あまりに辛くて挫折した。
根性が座ってないんですよ。

それにしても中学校の先生たちとの考え方の違い、
と言いますか、立場の違いによる一方的な押し付けと言いますか、
単なる喧嘩と言いますか、
とにかく先生方に常に怒りを覚えていたのは本当。
ごめんね。
今の私よりずっと皆さん若かったんですよね。
ご苦労、ご迷惑をおかけしました。

ある日、中学3年の私のクラスでいつもつるんでいた
7、8人がいきなり職員室に呼び出された。
全員身に覚えがないので、もしかしたら誉められるのかと
妙な期待をして乗り込んだら、
狭い指導室のようなところに押し込められ、
顔を真っ赤にして鬼の形相で怒っている担任からいきなり怒鳴られた。
「お前ら書いてえーことと悪いことがあることもわからんのか!!!!」
何のことでしょう?さっぱりわからない。
怒りに燃えた担任はボケーっとしている私たちを見て
更にボルテージを上げる。
「○○先生に『消えていなくなればいい』とは何事か!
俺はとても○○先生には当番日誌を見せられんかった」
○○先生はどの学校でも生徒に評判の悪い生活指導の先生である。
しかし、そんなことを言われてもさっぱり要領を得ない。
確かに心の底から○○先生のことは嫌いだったが、
さすがに担任の読む当番日誌に「消えてしまえ」とは書かんだろう。
「すみません。何のことだかわからないんですが」
「バカヤロー、俺はお前らに良かれと思って、
いろいろ他の先生を説得して体育館でコンサートが出来るように
してやったのに、これがお前らの答えか」
なかなか収まらない。エネルギーをお使いになっている。
「おかしなこともあるものだ」と思ったが、
あんまり怒鳴られていると、つい怒鳴り返したくなるので、
心ならずも「すみません」と適当に頭を下げて、
他の教師の冷たい視線を浴びながら職員室を出たのだが、
当然釈然としない。
「誰か『消えてしまえ』って書いたか?」
「うんにゃ」
「書かんど」
「書けんやろ」
「書いた」
えー!そいつは私の生涯の友人で、バンド仲間であった。
「何で書いたんか」
「みんないつも○○が『あれすんな』『これやんな』って
朝礼で言いよるとき、『うるさい、バカ、どっか行け』てゆうちょるやないか。
俺が代表して書いた」
そうか。そうだな。言ったな。俺たち。
しかし、バカ正直によりによって当番日誌に書くことはないだろう。
でも責められない。
なんとなくしょんぼりしてその日は終わってしまった。
翌日からはまたいつもの元気な悪ガキだったのだが、
この話、なんとなくではあるが覚えているのは私だけのような気がする。
私たちを怒鳴った先生は生徒のもやもやを良く理解してくれていて、
普段から頭ごなしに怒る先生ではなかったからかしら。
きっと申し訳なく思ったのだろう。
この先生とはいまだに年賀状のやり取りをしていて、
ずいぶん前、同窓会でお会いした時にお互いの頭の薄さに驚いたのだが、
そのときの話はしなかった。
「俺たちはずいぶん迷惑をかけましたね」
と殊勝に反省していたふりをしてみたら、
「いや、お前らの後のほうがもっとひどかった」
ということのようであった。
やっぱり俺たちって可愛い生徒だったようである。

さて、「消えてしまえばいい」と書いた生涯の友人は、
今はまさかの学校の先生をしている。
子供にも親にも何でも楽器のできる先生というおまけもついていて、
大人気だそうである。
金八みたいだが悪い奴ほど率直なのである。
子供の気持ちがわかるのであろう。
でも、きっと忘れてるんだろうなあ。

大倉

BOOK BAR staff| 15:47 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年02月25日

コララインとボタンの魔女

この映画はすごい。
見たのは3Dじゃなかったし、
現在かかっている吹き替えではなく、
字幕であったが、そんなことで評価が変わるものではない。
ストップ・モーション・アニメーションが
この映画でまた注目されているようであるが、
ストップモーションだからいいのではなく。
ストップモーションの効果を最大限に生かし、
すべてのクオリティが最高の域に達しているからいいのである。
3Dと同じですね。
当然ここ数年の技術の飛躍的な進化も上げるべきであろうが、
どうも技術論ばかりが先に走って、
本来の映画の中身が薄くなるのが嫌なので
こんな言い方をしてみました。

扉の向こうの「素晴らしい偽りの世界」は
どことなく「オズの魔法使い」を想起させるが、
そのきらびやかさにおいては負けていない。
人物(人形だけどね)の表情、感情の表し方は
驚嘆に値する。
私が知らなかっただけかもしれないが、
アニメ部門でアカデミー賞にノミネートされていた。
どうもアニメ部門は日本映画が入っていないと
日本では盛り上がりにかける。
もっと言えば本当はアカデミー賞授賞式を
ドキドキしながら見たいのだが、
大半は日本では公開されていないので
毎年「そうですか」くらいしか反応できない。
もしかしたら映画評論家の方々はみんな試写で見ているのだろうか。
どうしたら映画評論家になれるのだろうか。
誰かが「大倉は映画評論家だよ」と言ってくれれば
いいんじゃなかろうか。
言ってくださいよ。

日本では榮倉奈々さんがコララインの吹き替えを担当していて
それもとても楽しいのだろうけれど、
アメリカではダコタ・ファニングが声を付けている。
ダコタ・ファニングの声ってこんなだったけな、
と思いながらもうっとり聞かせていただいた。
ちょっとロリコン気味かなと思ったが、
彼女も16歳になっておじさんが驚くような色気を振りまいている、
ってやっぱりロリコンか。
皆様迷われるところだと思いますが、
ダコタ・ファニング好きの方は字幕もまたひとつ
味わい深いのではないでしょうか。

映画「コララインとボタンの魔女」web site

大倉

BOOK BAR staff| 06:52 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年02月24日

OCEANS

何度も話したり書いたりしたような気がするが、
私は33歳くらいまでほとんど泳げなかった。
泳げないので輝けるべき青春時代、
大学のサークルで海に行ってバーベキューをしたり、
ひと夏の思い出を作ったりしたことは、
一度たりともない。
よく考えてみれば東京に来てから湘南だ、千葉だ、
何だとみんなは言うが、関東で泳いだことなんて一度もないじゃないか。

海でいい思いをしたことがない。
恐かったことはある。
ガキの時、泳げないので水中眼鏡を付けて、
浜辺の20センチくらいの深度の波打ち際で
トローリと漂っていたときのことである。
なにやらグニャグニャしたものがのた打ち回っていた。
それだけで絶叫ものだったのだが、
必死でこらえて目を凝らしていると
正体がつかめた。
蛸だ。
最近はやたらお笑い芸人が海に潜って
蛸を突いているので、皆さんは臆病者と思うだろうが、
40年前はそんな番組はなかった。
いきなり、蛸なのよ!
恐いよー、蛸は。
食べるのは大好きなのだが、
なまこより恐い。
なまこは動かないが、蛸は自由だ。
好き放題に形を変える。
親に言いつけに行ったのだが、
「へー」である。
あいつらは蛸捕まえて生でかじっていたのだろうか。
大きくなって、南国のおかしなものの出てこない
シュノーケルポイントで色のついた魚たちに
パンをあげたりできるようになったが、
それ以上ダイビングに挑戦してみようなどとは一度も思ったことがない。
だって、蛸がいたらどうすんのよ。

と海は恐ろしいところだと思っていたのだが、
この映画を見て恐ろしいところかもしれないが、
なんという美しい世界かと恐れ入った。
まさに「豊饒の海」である。

でもやはり恐ろしいのは恐ろしい。
みんなが食い合って、食物連鎖といえば聞こえはいいが、
絶滅に瀕していようがなんであろうが、とにかく食う。
ダッと行くのと、バグっと食うのとが同時である。
味なんてわかってんのかしらというくらい、
顔色一つ変えず、飲み込んでいる。
また半村良の「妖星伝」を思い出してしまった。
何故地球にはこれだけの多様性がもたらされているのであろう。
すべての生物が食ったり食われたりしなければならないのであろう。
私は多様性の維持はなんとしても守らなければならないと思う。
それは種も文化も宗教もすべてにおいてである。
極端な話、蚊だって地球上に存在する意味があるから
人間には迷惑な昆虫かもしれないが、
血を求めて飛び回っているのである。
最近は蟻まで根絶やしにする薬が出ているそうじゃないか。
なんで?
私も悪ガキだったので水攻めにしたりして、
ずいぶん無益な殺生を行ってきたが、
「悪い奴」を殺せ、とは全然思っていなかった。
単純に面白かったのである。
本当にどうしようもないガキであるが、
「悪い奴」と思っていなかっただけ救いがあるような気がする。
ゴキブリだって困ってんじゃないの?
なんで、俺たちだけとか思ってないか?

映画では気候変動についても触れられている。
気候変動、本当だとしたら困ったものですね。
しかし、過去の気候変動で絶滅してしまった動植物も多々あるはずである。
恐竜が今いないんだからね。
あれは誰の責任じゃなくて、
そうなってしまったんだから仕方がないのか。

私が一番恐ろしいのは「ヒューマニズム」である。
私は「人間中心主義」と勝手に訳している。
人間はいつも悪くないはずなのに、
人間っぽくない人間は「ヒューマニズム」のかけらもない犬畜生と同じである、
という理屈である。
犬畜生と呼ばれていた本能で生きている動物は
人間のような野蛮なことは絶対にしない。
食物連鎖の頂点に立ったと思い込んでいる情けない人間様は
「人間的」なことを大変お好みになる。
「人間的」でないことは多様性の外に置かれてかまわないらしい。

大変残念なことにどう考えても
人間は自然の生態系からは外れてしまっている。
おかげさまでええべべ着さしてもろうて、
コンクリの中でちょうどええ気温で暮らさせてもろうちょります。
私もええべべかどうかは知りませんが、
大体そんな生活をしております。
仕方ないねえ、人間に生まれてしもうたんやから。
でも、申し訳ないねえ、くらい思っておいたほうがいいのではなかろうか。
「ヒューマニズム」とは人間に近い、親しい動物、
あるいは人間が愛でる植物は大事にしなければならないが、
そうでない人間っぽくないものについては
心が痛まない都合のいい「イズム」である。

オーシャンズは美しいまだ謎だらけの海の実態を
大変興味深く見せてくれた。
映像に驚嘆しつつ、
上記のようなわけのわからないことを考えながら見ていた。

映画「オーシャンズ」web site

大倉

BOOK BAR staff| 06:37 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年02月22日

INVICTUS

このタイトルはどういう意味か見る前からずっと気になっていた。
これだけ前評判の高かった映画だし、
なんとなく内容もわかっていたので、
勝手に副題の「負けざる者たち」の英語だと思っていた。
そしたらいくら辞書を引いても出てこないじゃないですか。
もう、調べるのに時間がかかちゃいましたぜ。
「無敵」とかそういう意味の言葉のラテン語だそうです。
アフリカーンス辺りかと見当を付けていたのだが、
空ぶってしまった。
なぜラテン語なんだろう。
何か意図するところがあるのだろうが、わからない。
ちょっとイラつきますね。
映画のホームページには載せといてほしいですね。

マンデラ元大統領の映画はちょっと前にも「24」で
アメリカ大統領を演じていたデニス・ヘイスバードが
「マンデラの名もなき看守」で主演して公開されていた。
こちらは本物のマンデラにはあまり似ていなかった。

モーガン・フリーマンはマンデラ本人の希望で
出演に至ったと聞いているが、
嬉しかったろうな。
マンデラは控えめな態度からなんとなく
背がずっと低いように思い込んでいたのだが、
実際にはフリーマンとほとんど変わらない。
約183センチあるそうだ。
映画の中では話し方もそっくりで、これ以上のキャスティングはないだろう。
94年に大統領に就任した時、私はロンドンにいて
就任演説に聞き入ったのを覚えている。

さて、それから大統領もムベキ、ズマと代わった。
このお二人、日本人の私には理解しがたいところもあり、
大変心配していたのだが、マンデラが大統領になった時に
大半の国民がこれで我々の生活はすべてが変わる、
と期待していたようにはなっていない。
経済的には資源国ということもあり、
投資家の注目はあつめているが、
失業率はきわめて高く、南アフリカだけのことではないが
貧富の差は開くばかりで、犯罪率については申し上げるまでもなく
ワールドカップの開催さえ危惧されている状態である。
南アフリカは特にヨーロッパの広告屋の間では
こんな風景があればいいな、
という場所はすべて揃っているということで、
困ったら南アフリカとなっているくらい美しい国である。
資源が豊富にあるところは歯車がひとつ狂っただけで
とんでもない状況に早変わりしてしまう例が後を立たない。
そのようなことがないよう、政治家の負う役割は
現在の日本よりも大きい。

いい映画であった。
リアリストとしてのマンデラを冷静に追いながら、
画面ではアドレナリンが充分に出る構成にしている。
しかし、これをクリント・イーストウッドが撮ったということに驚いた。
監督する作品の幅がどんどん広がっているのはわかっていたが、
こんなところでもちゃんとやっているじゃないか。
爺さんになるほどバイタリティが湧いてきているのか?
爺さんあと10本くらいアカデミー候補作を撮りそうな気がする。

そういえばモーガン・フリーマンも「ディープ・インパクト」で
アメリカ大統領を演じている。
マンデラを扱う映画では
必ずアメリカ大統領役経験者がマンデラを演じている。
特に意味はないと思うが、不思議な偶然である。

『インビクタス―負けざる者たち―』web site

大倉

BOOK BAR staff| 09:21 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年02月19日

押し売りちゃんぽん

ちゃんぽんのことを書いていたら
また楽しい学生時代もことを思いだしてしまった。

よく考えたらちゃんぽん麺を買って帰っていたのは仕事を始めてからではなく、
すでに学生時代からずっと同じことをしていたのであった。
大量に買い込むので悪くならないうちに消費してしまう必要がある。
一人で毎晩食べていても、余ってしまう。
そこで思いつくのが仲良くしてくれていた下関からの友人たちである。
ミキちゃんと岡部さんである。
デパートガールをナンパしようとしたら、
逆ナンパにあって一人だけ楽しいことがあった3人組である。
何でも私の言うことを聞いてくれていた。
えーっと、楽しいことがあったのは私ではない。
他の二人のうちのどちらかである。

私が中野に住んでいた頃、彼らが酔っ払いによくアパートに来ていた。
お金がないので人のアパートで飲むのである。
一軒家なのだが、一階はおばさんが一人で住んでいて、
二階を改造して6畳の部屋をふたつ作って貸していた。
当時はあのあたり(中野本町)はまだトイレが汲み取り式で、
夏になるととんでもないことになっていたのだが、
そんなことは普通知りたくないだろうから、
どうしても知りたい人だけに教えてあげます。お便りください。

みんな貧乏な時代であった。
私が見つけてきた三軒茶屋の三井信託銀行の戸別ビラ配りのバイトで
かすかす飯を食っていた。彼らも人が足りない時は動員していた。
関係ないが、私は長くやっていたのでバイトの調達から、
配布地区の指定までこなしていたのである。
頭を使うバイトをしようという意思がまるでなかったのが不思議である。
下関から帰ってきたときには
「旨いもん食わしちゃるけー、おいで」
と招待していた。
招待とは言ったが、ただでとは絶対に言わなかった。
そこで余っているちゃんぽんをご馳走してあげるのである。
遅くなってもやしとか炒めているだけで、
ほんの小さな物音にも敏感に反応する
大家のおばさんが怒鳴り込んでくるので、
早いうちにちゃんぽんを作る。
あの頃から具が多いのが私のちゃんぽんの特徴で、
ふんだんに海鮮も使っていたので、お金がかかる。
連中が「うまい、うまい」と食い始めたところで切り出す。
「一人500円でええよ」
「えっ!お金取るんかね」
「何でただやと思ったかね」
「いや、食わしちゃるってゆーたけー」
「このちゃんぽんにはお金がかかっとる」
「友達から金取るんかね」
「商売しとるわけやない」
「でも、500円は高くないかね」
「ごちゃごちゃゆーとると、のびるよ」
とこういう具合に下関の味を楽しんでもらっていた。
実は私にも何故500円も取ったか謎であるが、
当時は当時で私にも事情があったのであろう。
現在デフレとはいえリンガーハットではちゃんぽん550円である。
いったい30年以上も昔に何があったのであろうか。
ただ、こいつからにただで食わせると、
その月、仕送りが来る前に食えなくなる、
という危機感があったことはほのかに覚えている。

そんなことがあっても、連中はそれからもちゃんぽんを食いに来ていたので
うらみはないだろう、と思っているのだが、
今でも
「イモはちゃんぽんでワシらから、金取ったねえ。なんで?」
と聞く。
ほんと、なんでかねえ?

大倉

BOOK BAR staff| 04:00 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年02月18日

ちゃんぽんは男の料理

せっかくダッチオーブンの本の話をさせていただいたので、
ほらこんなに美味しく作れましたよ、
と腕前を披露したくてうずうずしているのだが、
まだ我が家のキッチンにはダッチオーブン自体存在していないので
叶わぬ野望である。
近々鴨がダッチオーブンをしょってやってくる予定なので
その際に旨そうに食っている様子をご披露したい。

私は料理は好きだが、最近はあまりやらない。
妙に忙しいのである、というのは料理をしない男の典型的な言い訳である。
料理は極めてクリエイティブな作業であり、
かつ私の場合は人に無理矢理にでも食わせるという、
崇高な目的意識があるので、決意することだけは得意な私は
再び家庭内料理人になる覚悟を固めたのである。

さて、放送を聞いた方の中には
「いろいろ言っているけど、本当はラー油しか作れないんじゃないか」
とお疑いの向きもあろう。
無理もないが、私は本当に作る、あるいは、作っていた。
汁物が多い。
一度食べさせたら必ず
「ねえ、もう一回」
と言わせる自信があるのは具沢山の中華スープである。
これがあればその他のおかずは不要である。
スープとご飯だけですんでしまう。
しかも酒にもすごくあうので、満足いただけること間違いない。

誰でも作れるという方もいるかと思うが、
牛筋を軸としたおでんもゼッテーに誰にも負けないくらいうまく作れる。
他の具を何にするかがポイントだな。

もうそろそろお気づきの方もいらっしゃるはずだが、
私の技量が最も発揮されるのは具の多い「汁」ものである。
であるので、これでもかと中身の詰まった豚汁なんかは最高である。
それだけ作ればいいのと、酒のつまみにもなるのもいい。
作っているとあれもこれも入れたくなり、
気がつくと汁はどこだということになるということもある。
「じゃ、鍋じゃん」
とおっしゃる方もいるだろうが、違う。
鍋奉行なんていううっとうしい奴がいなくてすむ
すべて完璧に仕上がった汁であるから
後は余計なことはせずにすむ。
お椀に注ぐだけである。
わかっていただけたかしら。

その究極に位置するのがちゃんぽんである。
私は下関に帰るたびに東京に戻る日の朝、近くのスーパーで
4袋で99円とかいう、どうかしたんじゃないかと思うような
値のついたちゃんぽん麺を大量に買ってバッグにぎゅうぎゅうに詰めてくる。
私のちゃんぽんは
本物の長崎ちゃんぽんのような太くてやや硬い麺ではない。
東京のゆでそばの感触を思い出していただければ
いいのではなかろうか。
このちゃんぽん、どのあたりまで売られているのかわからないが、
下関でちゃんぽんを頼むと、どの店でもこのちゃんぽんを使っている。
安く上げようということではない。
これでないと下関のちゃんぽんじゃなくなるからである。
麺から微妙な味が出ているのである、はずである。
ゆでてあるのか、蒸してあるのか、黄色い中太のやさしい麺。
リンガーハットにはよく行くが、あれじゃないんだよ、下関のは。

ともあれ、そのちゃんぽんを買ってきて家族に振舞う。
「うまいやろ」
「...うん」
娘は素直に反応してくれるので、作りがいもある。
キャベツ、もやし、ピーマン、たまねぎ、
エビ、イカ、あさり、豚肉、かまぼこ、それに油揚げ。
これだけのものがこれでもかと入っているので、
いつまでも麺に届かなくて、とても楽しい。
中華なべをグルングルン回しながら炒めるので
あたりは野菜の残骸がしおれていてちょっと気にはなるが、
麺類はスピードが命である。
いちいちかまっていたら麺がのびてしまう。
かように旨い下関のスーパーのちゃんぽん玉なのであるが、
東京では見たことがない。

東京の人はかわいそう。
食べるチャンスなく死んでいくんだろうな。

大倉

BOOK BAR staff| 01:52 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年02月12日

「おとうと」と「おとうと」

「寅さんシリーズ」が終了するまで、
山田洋次監督が日本映画をだめにしたとずっと思っていた。
決して寅さんが嫌いだったわけではなく、
たまに気が向けば足を向けることもあったのだが、
あの水戸黄門的予定調和の映画シリーズが延々と続くことで
日本人は映画が本来持つ「何をやってもいい」気概を忘れてしまい、
自分たちが楽しめる映画はこれしかないと、
わざわざ幅を狭めてしまった、と結論付けていた。
実際、「寅さんのシリーズは欠かさず見ている」と公言する人と
「どうしても寅さんの面白さが理解できない」と映画を見る人間は
二分されていた。
好き嫌いに文句をつける気はさらさらないのだが、
問題は人気シリーズに頼りすぎ、他の芽を映画界、
映画を見る人間が潰してしまったのである。
もちろん大手広告代理店、出版社が制作費、宣伝費
(といってもたかが知れていたが)をかけて成功するものも、
公開される前からずっこけるものもあったが、
総じて日本映画は衰退の一途を辿り、
一時はどうしようもないところまで落ち込んでしまった。
それがいつの頃からだろうか、徐々に息を吹き返し、
今や日本映画の興行収入は洋画を抜いてしまった。
逆にいつ掛けられるかわからないくらい、製作本数が増えてしまい。
現実には大半の映画は興行収入だけでは
利益を出すことが出来なくなってしまった。
なかなかうまくバランスが取れないもんですね。

というわけで、ある意味「寅さん」シリーズが終了した時は
残念に思いもしたが、これで何かが変わるかもしれないと期待していた。
そして、山田洋次は寅さんと共に映画人生を終えるんだろうと
とんでもない思い違いをしていた。
時代劇に転じた山田洋次監督の映画はしびれた。
落ち着いたトーンでありながらも見せ場での展開の見事さ、
また、絵作り、特に照明の美しさには驚いた。
「なんだ、こんな映画も作れるんだったら早くやって欲しかった」
と思われた方は私以外にもいるんじゃなかろうか。

「おとうと」を1日の映画の日に見に行ったら、
お年寄りでほぼ満席であった。
私がお年寄りに分類されるかどうかは皆さんにお任せするが、
私よりもお歳を召された方が圧倒的だったことははっきりさせておこう。
吉永さんは「青い山脈」時代の美しさをそのまま保たれながら、
さらにしっとりと美しくなられて、もしかしたらバケモンと違うか、
と疑うほどであった。
しょうもない弟のせいで苦労する家族の話である。
出演者は厳選されているので、見ていて不安になることがない。
これは意外に大事なことだなあ。
2/3を過ぎたあたりから、
隣に座った一人出来ていたおばあさんが小さな声で
「だめ、だめ」
「そんなあ、もう」
「かわいそうに・・・」
と「うるさいよ、ばあさん」と注意できないような切羽詰った声で
ささやき始める。誰に聞かせるわけでない。
自然と口からもれ出てしまうのである。
終盤はゲロ泣きである。
「うるさいなあ」とは全然思わなかった。
私も泣いていたからである。
釣られて泣いちゃったのかな。

いやいや、まいったね。
エンドロールを見ながら外に出ても恥ずかしくないように
体制を整えていたら、
「市川昆監督に捧げる」と出てきた。
山田洋次の「おとうと」は確かに幸田文の小説が大きな意味で
下敷きになっているのはわかったが、
原作と呼ぶことは出来ないほど、内容は変えられている。
それなのに市川昆に捧げるとはいかなることであろうか、
ビデオを借りて見た。
こちらは昭和34年に公開されたもので、
幸田文原作の「おとうと」の映画化されたものである。
岸恵子が綺麗だが、17歳の役はちょっと辛くないか、
と冷静に見ていたのだが、このどんでん返しがあるわけでもない、
いわば山場に欠ける映画が、終わってみると大変胸にしみた。
あちこちでギシギシと音を立てるような登場人物の心の葛藤が
ラストにかけて一気に理解できる仕組みになっている。
「市川昆監督に捧げる」の意味も明白である。
市川昆が「おとうと」を撮ってから50年経ってのオマージュである。
よくその思いを胸に秘めていられたものだと、心を打たれた。

最近、昔の映画をよくDVDで見ている。
今の映画のつまらなさと面白さがよくわかる。

映画『おとうと』公式サイト

大倉

BOOK BAR staff| 01:20 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年01月29日

雪のロンドン その2

先日、新聞にイギリス全土が真っ白になった
結構笑える衛星写真が公開されていた。
あんな写真見たことないなあ。
さぞかし、大変なことだったろう、ご苦労様。
確か去年も雪で大混乱になっていた記憶があるので、
2年連続の惨事が起きたわけである。
24日にロンドン駐在時代の部下だったジュリアン・ヘイ君が
出張で来ていたので、蕎麦屋でご馳走してあげた。
雪の話をしたら、
「もう、全然ダメ。電車もバスも全部止まって何にも出来なかった。
シンがいた時と何も変わってない」
と怒りをぶちまけていた。
「ふふふ、そうか変わってないのか」
ちょっと嬉しかった。

100129okura.jpg

私が赴任して最初にドカ雪が降ったのが91年2月7日のことであった。
何故そんなに私らしくもなく正確に物申せるかというと、
写真に日付が入っていたからである。
写真は一度放送で話したアビーロードスタジオの前の自宅を出たところである。
横断歩道もかろうじて見えるのだが、
汚れた雪で判然としていない。
朝起きると、ロンドンなのに妙に薄明るい。
窓を開けた時に一面真っ白な銀世界というのは
大人になっても嬉しいものである。
「雪だ、雪だ、うれちいな」
とまだこの先何が起きるのか把握していなかった私は
ついはしゃいでしまい、誰も足跡を付けていない雪を踏みに飛び出していった、
というのは嘘で、ふーんと歯を磨きに洗面所に向かった。
私の居たフラットでは常時冷水、お湯が出る蛇口がふたつあった。
この雪の日に冷水で顔を洗う人間はいない。
当然、お湯のほうをひねったら、ゴボゴボという音が聞こえたっきり、
静寂に包まれた。
お湯が出ないんですね。お湯が出ない。
そのときは仕方ない、と冷水でスッキリ顔を洗い、
「よし今日も一日、しっかり働くぜ」
と気合が入ったくらいであったのだが、
時間がたつにつれ状況の深刻さに気がついた。
フラットのお湯の蛇口がすべてそうなのである。
何故か冷水は出る。
でも、トイレを流す水も出ない。
久しぶりだよ。バケツで流すのは。
マンションの管理をしているおじさんのところへ走って、
無理矢理手を引っ張って連れてきた。
なぜなら私にはおじさんが言っていることが
10%くらいしかわからないからである。
気持ちいいほどコックニーの発音がきつくて、
どんなに耳を澄ませてもマジでわからない。
ただ、こっちの言っていることは理解してくれるので、
言うことだけ言って、「面倒は背負いたくないなあ」オーラ全開の
おじさんを連行したのである。
おじさんの反応は早かった。
「これは、無理。まあ、プラマーでも呼んでみたら」
きっとダメだからのニュアンスも交えながら即座に診断を下した、
と10%わかる英語の中で判断した。
もう会社どころじゃないんですね。
何しろこのクソ寒い中仕事して帰ってきて、
風呂に入れるかどうかの瀬戸際なんですから。
会社をほうたらかして、といっても会社に定時に電話しても誰も出なかったので
とにかくみんな自分のことで精一杯なのね、
と鋭い洞察力を発揮して、プラマー探しに全力を尽くした。
そしたらどこもいやしないじゃないですか。
どうもロンドン中で同様のことが起きているようである。
プラマーがやってきたのはようやく二日目のこと。
温水器からの水の導線を探っていたら
「これはダメだね。だって温水のパイプが土の中走ってるんだから、
完全に凍り付いているわけよ。
ストーブをね、じーっと温水のパイプがありそうなところに当て続けてね」
と出張費だけ取って帰っていった。
ストーブを?床に向かって?当て続ける?
これは何かの冗談か?
出社していた総務の元締めのおばさんに聞くと
「Oh! Poor Shin! But there’s nothing else to doよ」
おばさんは何にでも「よ」を付ければいいと思っている。
女房に
「じゃ、そういうことで」
と会社に行ったが、後で聞いたらそうしていたらしい。
お湯が出たのは4日目のことであった。
ホテルに移るか、真剣に検討を始めたところであった。
蛇口をひねると、爆発音が部屋中に響き渡った末に
形容しがたい奇妙な音が続いた後に、
断続的に水が鉄砲のように飛び出し、
しばらくしてようやくお湯が安定供給され始めた。

ロンドン、おもしろいところだなあ、と思うやつはおかしい。
そのときの雪でロンドンの1/3koの家でパイプが凍ったらしい。
今はさすがにましになったんじゃないかと思うが、
ジュリアンに聞くのを忘れてしまった。


大倉

BOOK BAR staff| 08:17 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年01月28日

雪のロンドン その1

意外に思われるかもしれないが、
ロンドンは一般的にイメージされているほど寒くない。
地図で観るとかなり北緯の高いところにあるのに、
暖流メキシコ湾流がイギリスまで流れているためである。
「ロンドンは冬は寒くて大変ですね」
と帰国するたびに同情されていた。
「いや、それがそうでもなくて...」
と最初はいちいち正直に告白していたのだが、
途中から面倒くさくなり、
「えー、もうそれは」
といい加減になっていった。
真相は上記の通りですから、
これまで同情してくれていた皆様、ごめんなさい。
本当のことをいうと、ドイツのほうがはるかに寒い。
フランスのほうが凍えそうなことさえある。
ドイツ、フランスにいた方々はかわいそうである。
同情するなら彼らに優しくしてあげていただきたい。

ただしである。
ロンドンの冬はやはり憂鬱であることは間違いない。
北に位置しているのは事実なので、
日没が情けなくなるくらい早い。
3時くらいから影が差して、3時半には薄暗く、4時になると真っ暗...
だったような気がする。詳細は忘れてしまいましたからご自身で調べてね。
夏は夏時間であることもあるが、9時までゴルフが出来る。
よく仕事の後に通ったものである。
大倉はゴルフはしないということで日本では通しているが、
実はロンドン時代はよくやっていた。
ここで、改めて報告してどういう意味があるのでしょうか。

まだある。
冬はじめじめ雨が降るのである。
年がら年中という言い方もできるが、
暗い上に情けない雨が降るのが何より辛い。
ロンドンの人間はよほどの変わり者でない限り、傘はささない。
傘をさしていると異様に目立って恥ずかしい。
それくらいの中途半端な雨だということも出来る。
ロンドン市民はどうするかというと、平気で歩くか、
降ったり止んだりなので、軒下で待っている?
だったけな?
軒下なんてほとんどないから、やっぱり歩いていたんだっけか。
まあ、そんなことである。
イギリス人はそんな環境で育っているので、
暗かろうが、雨が降ろうがどうも思っていない、
というわけにはいかない。
ほぼ全員が
「冬になると心の底から憂鬱になる、
こんな町捨てて、バミューダで暮らしたい」
的なことを一冬中つぶやいている。
実際、ちょいとした金持ちはフロリダに別荘を持っていたりして、
冬になると逃げ出している。

さて、雨は降る降るロンドンの冬、なのであるが、
数年に一度ドカッと雪が降る。
都市機能は完全に麻痺状態に陥る。
それは東京でも同じでしょう、と言う方はわかっていない。
麻痺の度合いが違う。
ロンドンは太古の昔から町が変わっていない。
つまり、インフラが恐ろしく古いままになっているということである。
話はずれるが、私が赴任した90年からしばらく数年は
停電はごく当たり前のことであった。
ひどい時は週数回ということもあった。
ロウソクなしでは、死んではしまわないが、生活できない。
自宅にはロウソクが大量に常備されていた。
話を戻そう。
ロンドンで雪が降ると、地下鉄が動かない。
ほぼ全面的に止まったりする。
どのラインも中心部以外は地表に出るからである。
その上、これは雪の時に限ったことではないが、
頻繁に起きる
「スッタフが足らないので、しばらく動きません。よろしく」
という手馴れた黒板が登場する場面が雪の場合は特に多い。
雪で出勤できないものと思われる。
バスも慣れてないので極端に数が減る。
さらにその上、身も心も凍るくらい恐ろしいことが起こる。

なかなか、核心にたどり着かないまま長くなったので、
続きは明日。

大倉

BOOK BAR staff| 14:32 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年01月22日

シンクレティズム

「儒教・仏教・道教」の紹介をした時に、
シンクレティズムとは「ごたまぜ」である、
と著者の言葉を借りて申し上げたのだが、
このシンクレティズムという言葉の響きがすごく気に入っている。
意味がもともと好きなのであるが、何回も読んで、話しているうちに
すっかり語源もわからないのにはまってしまった。
毎日意味もなくシンクレティズムと口に出している、
というのは嘘であるが、
「ああ、美しい言葉。口にするだけで気持ちよくなる」
と思っているのは本当。

辞書で引くと混合主義、文化的重層構造という訳語が出てくるが、
「ごたまぜ」のほうがいいですね。

日本で神道、仏教、儒教、道教、さらにあえていえば山岳信仰が
ごたまぜになって平和に暮らしているのは
普段から皆さん違和感のないところだと思うが、
他国に行ってごたまぜを目撃したり体験したりすると、
あらららら、と感じてしまう。
多分、外国では宗教は個人によってきちんと信仰が確立していて、
揺るぎないものだと思い込んでいるからであろう。

杏ちゃんまでインドに一度は行ってみたい、とおっしゃるくらい
BOOK BARでは私と杏ちゃんだけインドづいているのだが、
バラモン教へのアンチテーゼとして生まれた仏教もいつの間にか
ブッダはヒンズー教の三大最高神のひとつ
ヴィシュヌの化身にされてしまっている。
これもシンクレティズムなのだろうが、
必ずしも仏教とごたまぜということではなく、
あくまでもヒンズー教の中に取り込まれているということである。
アウトカーストの人々の仏教への集団改宗が続いているが、
やはり差別が存在しているため起こることで、
あまり好ましい例ではないね。

ネパールに行くとこれぞシンクレティズムと思える場面、
神様によく出くわす。
ネパールは王室亡き後どうなったか定かではないが、
ヒンズー教を国教と定めていた。
インドでも出来ないことをこの国ではやっていたのである。
他宗教を信じる国民が多数いるにもかかわらずである。
しかし、ここからが不思議なところ。
カトマンズ周辺には初潮を迎えるまでの間、
クマリという少女の生き神様が存在する。
このクマリはヒンズー教の女神の生まれ変わりと信じられているが、
選ばれ方が面白い。
ネワール族の仏教徒から選ばれるのである。
それがヒンズー教の生き神様になるのだから謎である。
このことを何度もネパール人に正すのだが、
納得のいく説明を聞いたことがない。
これぞ究極のシンクレティズムであろう。
そのくせ、ネパール最大のヒンズー教寺院、
パシュパティナートへ行くと入り口でガキの番人に
「お前はヒンズー教徒か」
と詰問され
「仏教徒だ」と答えると入れてくんないのである。
そのことを友人に話すと、
「いやー絶対入れる。ヒンズー教と仏教って同じジャン」
とお気楽に胸を叩くのである。
実際、チベット仏教徒は格好からして入れてくれないようであるが、
ネワール仏教とはするする入っている風に見えるのである。
美しいマチェンドラナート寺院にはヒンズー教徒も仏教徒もお参りに来る。

0122okura.jpg

上の写真は基本的にはシヴァ神を表すものなのだが、
下部の受け皿のようなものはヨニといい女陰を表し、
通常はリンガという男性器を象徴する円柱がその中に立っているのだが、
この写真ではリンガの代わりに紛れもない仏像が乗っかっている。
これを「おっかしーなあ」と思うか、「まあ、そういうことで」、
と飲み込むのかということである。

同じくネパールのポカラでチベット仏教の寺の世話をしている
女性に付いて行って、寺で和んでいる時に交わされた会話。
「あーた、シータという名前がついているくらいだからヒンズー教徒でしょ、
そういう人がチベット仏教のお寺で働いてていいの?」
「けっ!私たちみたいな貧乏人にヒンズー教も仏教もあるか、
少しでも幸せにしてくれるんなら、何だって拝むわいな」
これはよーくわかった。

ネパールにはヒンズー教徒、ネワール仏教徒、チベット仏教徒、
イスラム教徒、キラット教徒(これはいくら調べても正体がわからない)、
キリスト教徒、そのほかにもアニミズム、シャーマニズム等が混在している。
しかし、この国では宗教対立でどうにもならん
という事態は聞いたことがない。
議会がまともに機能しないのは、民族的、政治的要因によるものである。
困ったものであるが、宗教対立がないのはなにより。

ネパールに行き始めた頃は、なんじゃこりゃ状態だったのだが、
今はネパール的シンクレティズムに気持ちよく酔って毎回酩酊している。


大倉

BOOK BAR staff| 02:28 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2010年01月07日

おみくじ

私は神仏には限りなく強い興味を抱いているが、
信仰については信じているともいないとも言いがたい、
失礼を承知で申し上げれば、
一般的な日本人と同じ感覚ではなかろうか。

さて、正月も終わり、ちゃんと仕事しないとな、
とドロドロした気分でいたらいきなり元日の出来事を思い出した。
元日、ほんの数日前のことである。
神仏を信じるかどうかはまったく別として、初詣は大好きな私である。
毎年、富岡八幡と深川の成田山へのお参りは欠かさない。
不思議なもんですね。

この門前仲町付近は江戸時代前まではデルタ地帯だったそうな。
海と小島しかなかったというから、
うまい魚がウジャウジャいたはずである。
当時、やはり取れたての魚をさばかせると
格別うまかったと描いている小説もありますね。

元日、家族で富岡八幡で小銭を投げて、
そのまま成田山深川不動へ向かったのであるが、
おみくじは毎年成田山で引いている。
私が空海が好きなのと、神仏習合の名残が色濃く残っている
雰囲気がたまらないからである。
昨年は小吉だったのだが、いいことしか書いていなかったので、
嬉しくなって一年間財布に入れていた。
ご利益があったかどうかは定かでないが、まあ気分がいいですね。
そもそも原始仏教では「信じればご利益がある」
なんてことは一言も語られていないのだが、
上座部仏教(俗に言う小乗仏教)のミャンマーなんかでさえ寺に行くと、
ぐるぐる廻る皿があって、そこにハンサムになれますようにとか、
博打で儲かりますようにとかいう不届きなことが書かれていて、
その皿を狙って小銭を投げ、
入ると願いがかなうというキテレツなことがあったりするので、
おみくじなんか可愛いものである。

今年もジャラジャラ筒を振って一枚200円のおみくじを引いたところ
渡されたペラペラの紙に書かれていたのは「凶」。
娘も額にしわを作っているので覗いてみたら「凶」。
2010年、親子揃って凶からの船出である。
両方ともいいことは一言も書かれていなかった。
ちょっと珍しくないすか?
「凶と凶で吉となす」と言われているが(嘘)、
そうでも思わないと心がくじけるなあ。

0107okura.jpg

写真は下関の八幡さまでのもの。

大倉

BOOK BAR staff| 02:44 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年12月28日

BOOK BAR大賞映画部門 2009年ベストテン

今年は後半すぎから突然ドタバタが始まってしまい、
ブログの方がおろそかになっていた、
というよりもほとんど書いていない。
いや、マジな話結構忙しかったんすよ。
ところがここに来て、
このところどうしてブログを更新してないのかという、
声なき声が少しずつ聞こえてきた。
特に地方にお住まいで、
「番組は聞けないのだけどブログは読んでいたのに」、
と聴取率にはまるで関係ない方々から強い要望としか
私には解釈できないお話をいただいていたので、
再開の機会をうかがっていた。
なんかきっかけがないと恥ずかしいじゃないですか。

というわけで、とりあえず、
今年の大倉眞一郎の独断映画ベストテンを発表いたします。
前述のように今年後半は
まめに映画館に足を運ぶ余裕が無かったので、
年間ベストテンというにはかなりの欠陥ランキングである。
130本ちょっとしか見ることができなかった。
不公平を承知で発表いたします。

また、番付の基準も映画ごとに違ったりしていて、
自分でも支離滅裂感は否めない。ご愛嬌ということで、ひとつ。

10位    バーン・アフター・リーディング
      コーエン兄弟が嫌いな人は嫌いでかまいません。
      この映画の微妙な「ずれ」がたまらなく好き。

9位    グラン・トリノ
      ようやく拳銃マニアの爺さんが更正してくれたかと心安らぎました。
      違ってるかもな。でも感動しちゃった。

8位    3時10分、決断の時
      文句なしに面白い。
      西部劇ってこんなに心乱れるくらいに楽しめたんだな。
      考えてみれば、白人による侵略劇でもあったんだけど。

7位    レスラー
      見てない人は絶対DVDを見ること。
      喪失感が力強く描かれている数少ない一本。

6位    愛のむきだし
      4時間にも及ぶ園子温監督の怪作。
      予想のつかない展開に翻弄されつつ、
      「純愛」に酔う。

5位    キャデラック・レコード
      もうこの手の音楽映画にはただ涙が出てきてしまう。
      歳のせいだろうか。

4位    少年メリケンサック
      これも一応音楽映画か?
      もう一度言おう、クドカンサイコー!

3位    ヴィヨンの妻
      ほとんど小説どおりにセリフも付けられている。
      太宰の小説をここまできちんと描いているものは
      ないのではないか。
      松たか子が秀逸な演技を見せる。

2位    イングロリアス・バスターズ
      タランティーノ、ちゃんとこんな映画を年に一本は撮れよ。
      タランティーノの中では「ジャッキー・ブラウン」の次に好き。
      という、タランティーノファンからはあきれられそうな感想です。

1位    チェイサー
      まいった。日本のおばさまたちには
      嬌声を上げてもらえないかも知れないが、
      韓国映画の底なしの可能性にぶっ飛んだ。
      すべてにおいて日本映画に比べて、骨が太い。
      テレビドラマが当たらないと映画作れないのかよ。
      よー、テレビ局、代理店のあんちゃん、おっさんよ。
      これ観て反省してみてくれたらいいなー、で通じますかね?

というわけで、また、ぼちぼちブログ再開しますから
応援メッセージ送ってね。

BOOK BAR staff| 05:32 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年09月25日

大学で教える

前回の放送で自慢げに
「大学院で英語で講義をしたことがある」と話しをして、
「あの馬鹿が」と思われた方も多いのではないかと心を痛めている、
じゃなくて、心配している。
しかし、事実である。終わったことは仕方がない。

こんな私でも話をしてくれと頼まれることがあるので、
それまでも何度か出かけてはあちこちで私の思い込みを
「わかってくれよ〜」と懇願しているのだか
講義しているのだか、
本人でさえわからなくなるようなことを話していた。

大学院での講義は皆さん高い銭出して、
わざわざ仕事の合間を縫って勉強に来ているので、
聞く態度が違う。
2時間話しっぱなしだったのに
つまらなそうな顔をしている生徒はいても
寝ている人はいない。
いや、講義をしている側が感動してしまった。
特に留学生の皆さんは講義終了後、何人も質問にいらして、
逆に恐縮してしまった。

「でさあ、せっかくだから大倉、大学でも日本語でいいんで、やってくんない?」
と恐いくらい気軽に頼まれたので、気軽に講義に行った。
私学の超大講義室ではないが、やはり階段状のでかい教室じゃないの。
どういうわけか、結婚式の司会以外は
大勢の前でも緊張できなくなってしまったので、
人の多い少ないは関係ないのだが、
何かひとつお楽しみが欲しいと欲が出て、
妙な前ふりから始めてみた。
私は下関西校という進学校のスーパー落ちこぼれ生徒だったのだが、
ちゃんと勉強している人は国立大学に進学していた。
九州大学は近いこともあり進学する人間も多かったので、
この落ちこぼれに講義されるエリートがいるかどうか興味があって聞いてみた。
「下関西校出身の方、手を上げてみてください」
いた。
一人だけいた。
ケケケ、あとで当ててやろう。

と、講義を始めて30分くらいで、私のせいかどうか、
教室の雰囲気がズンズン重くなってきた。
大学の大きな教室ではマイクを使う。
そういう授業は眠くなるのである。
私が講師でなくても眠くなる。
その上、私の声は眠くなると早朝の番組をやっていたときから
大クレームの嵐だったのである。
あちらこちらで机に突っ伏している不届き者が出現している。
何とか頭は上げているもののグラングランになっている連中もいる。
高校、大学時代を通じて私は一貫して前者であったのだが、
自分が話している時にやられるとくじけるなあ。
仕方ない、西校出身の奴を当てて、
どうでもいいけど絶対に答えられないこと逆質問してやって、
教室全体に活を入れてやろうと思い
そいつを探すと、突っ伏して熟睡していた。
あー、もう俺の講師人生は終わったな、お前らのせいで。
いや、最近は学生さんが講師の逆評価もすると聞いたな、まずい。
盛り上げるために自分の会社で作ったCMを見せ始めたら全員顔を上げて
熱心にスクリーンに見入っている。
CM見せる講義ってインチキなんだよなあ。
ちゃんと話聞いてくんなきゃ意味ないんだけど。

講義が終わって教授と廊下を歩いていると講義を受けていた女子学生がいた。
教授が気を使って聞いてくれた。
「ねえ、おもしろかった?」
えっ、と微妙な顔をした後、自分の置かれている状況に気がついたようで
「はい!すっごく楽しかったです」
「いいよ、そんな俺の前で気を使ってくれなくて」
「いえ、本当に面白かったです」
「どうもそれはありがとうございました」
教授自慢のやたら量の多い学食のスパゲッティをご馳走になっても、
あまり励みにはならず、とぼとぼとホテルに戻った私であった。

大学でチョーク投げとかあるのかな。
テレビでしか見たことないけど、あれ練習しといたほうがいいだろうか。


                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 18:45 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年09月09日

書け、と言われると書けないものよ

前回の放送で
「書くということは頭を整理することですから、
毎日数行でもいいから書きましょう」
と小学校の先生が日記や読書感想文を書くことを強要する
ような調子で偉そうに申し上げてしまいました。
ごめんなさい。

気が付けば、当の私がそもそも2週間もブログを更新してないじゃないのよ。
全くもう。
人様にこうするほうがよろしくてよ、
なんて言っている場合ではなかった。
杏ちゃんのように激忙しくもないのに、
ちょっと暇忙しくなると本来の私が
「明日できることは明日やるように」
と指示を出すんですよ。

あの時間の番組なので
小学生のリスナーがたくさん聞いてくださっているとは思えないが、
そうでなくても小さな頃に先生からヤンヤカ言われて
辛い思いをした記憶が頭に浮かんだ方もいたのではなかろうか。
杏ちゃんは真面目に書いていたことを公言しているが、
私は読書感想文が嫌いで嫌いで嫌いで、
読んだふり感想文なんてのもやったことがある。
先日テレビのある番組で「子供たちに夏休みの宿題で何が嫌い?」
と聞いていたが、ダントツで読書感想文が悪者であった。
けなせない、感動したふりをしなければいけない、
モラルにつながることを「発見」して、
主題はこうこうでした、とわかったようなことを書かなきゃいけない。
だいたい主題ってなんだよ。
「人生なんて生きる価値のないゴミみたいなものです」
「人間がこの世で一番邪魔な生物です」
なんて小説だってあるのに、
どうしてよりによって太宰の「走れメロス」ばかり読ませんだよ。
太宰も本屋で並んでる一冊となりの本を間違って買っちゃった日には
「この本を読んで死にたくなりました」
なんてことになっちゃう作家だろうが。
「友情を信じることの大切さを学びました」
なんて感想文ばかり読んでて、先生も面白いんだろうか。
「国語のテストでこの文章の主題を30字以内でまとめなさい」
なんて問があると「書いた奴に聞いてくれ」と解答用紙に書いていた、
というのは嘘だが、
問題を作るなら
「この文章を読んで何を感じたかまとめなさい、誉めてもけなしてもかまいません」
が正しい情操教育ではなかろうか。

私が現在読んでいる本は手強くて、
さすがの私もページをめくるスピードが激遅くなっている。
「いやそれで何なんですか?」
と著者と対話しながら読み進めている。
著者としては「そんなに苦しいならやめなさいよ」と言いたいところではないかと
想像するが、もう戦いに突入しているので読みきって
近いうちに番組で紹介しようと思っている。
「何故書くんだろう」
「何故読んでいるんだろう」
と悩むことが特に小説と相対する時の正しい姿ではなかろうか。

話がずれたが、書くことは確かに頭の中でもつれている回路を
解きほぐすのにはかなり有効な手段である。
もうひとつは吐き出すことである。
入れたら消化して出す。
人間の自然な行為である。
すっきりしますよ。

また調子こいて、ブログちゃんと書きますから、
読んでくれていた人は読んでくださいね。
読んだことがない人はどうせこの原稿も読んでないだろうから、
どうでもいい話ですね。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 11:50 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年08月10日

あの子の考えることは変

放送の翌日に読みました。
今や私の女王様に登りつめた本谷有希子の最新作であり、
芥川賞でまたもや涙を飲んだ作品である。

本谷氏の作品では常に女が暴れまくるのだが、
今回は口から火を吹きまくるというよりも、
二人の対照的なダメダメ女がウダウダし続ける。
いや、面白い。
芥川賞取れなくていいじゃないか。
今のままで充分面白いんだから。
取んない方がいい。
芥川賞作家なんてタイトルつけられるとうっとうしくなるぜ。

若い女の生態を知らない私であるし、
この小説の二人がそこらへんの若い女性の代表者かどうかわからないが、
町を歩いている女性の本来のウダウダ感がわかるような気になる。
本谷氏の筆力を感じる。

彼女の小説をすべて読んでいるわけではないので確かなことは言えないが、
私の知っている限り、
小説にはほとんど携帯電話でのやり取り、メールの往復は出てこない。
叫ぶにしても、暴れるにしても、落ち込むにしても、
必ずそれをぶちまける相手を探し出し、
勝手に直接思いの丈をぶつけて、気が済んだ気になる。
相手の迷惑顧みないその行動は、一般的にははなはだ迷惑であるが、
常に身体的であるがゆえに、抽象的な怒りであっても具体的に現出する。
それは不可解であったとしても受け止めやすい。
人生短いんだから、
じめじめ四六時中携帯でメールばかり打ってる場合じゃないだろう。
それで
「みんなと繋がってる〜」
つーのも時代の流れですから、あえて否定しないが、
「いつも一緒」って感じてたって、全然いつも一緒じゃないわけだから、
怒鳴りたい時は相手をふんづかまえて、
目の前で罵倒したほうが気持ちいいし、
キスしまくりたい時は(恋人の間柄の場合ですよ)、
いきなり押しかけて、激しくブチューとやったほうが盛り上げるに決まっている。
どうも「人と『繋がる』道具」が増えるごとに、
人は身体的コミュニケーションの仕方を忘れ、
ふと気が付くとすっかり孤独になってしまっているのではないかと
おじさんは勝手に想像している。
私の携帯には週2本くらいしかメールが入ってこない。
淋しいなあ、と思ってもいないのに、
そんなふうに感じたりすることがあるので、
電車の中で一心不乱にメールを打っている人の気持ちも少しはわかる。

典型的なじじいの感傷文になってしまったが、
本谷氏の作品を読んでいると、身体を一度通した言葉の強さを感じる。
単純に演劇的ということでもないように思うんですがね。

あの子の考えることは変」、いいですよ。
買ってください。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 06:09 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年08月04日

「あんたのお母さんは鳶かね」

前回の放送では冒頭、夏のアルバイトの話になったが、
話したとおり基本私は肉体労働系であった。
大学は付け焼刃で入ったものだから、
英語以外家庭教師といっても教えられることがないからである。
ある年の夏休みに幸せなことに、英語だけ
高校生の美少女二人に教える機会があったが、
成績が上がったかどうか確認もせず、さっさと東京へずらかった。
もうあの美少女たちも立派なおばさんである。
偶然出会って、文句を言われても恐くない。
考えてみれば現在の私の娘とほぼ同じ歳の娘たちであった。
それでどうということもないが、何だか感慨深いものがある。

そんなわけで、ほとんど毎年、夏は軽くタオルを絞るだけで
汗が滴り落ちるくらい、肉体労働に終始した。
あんなことやっててもギックリ腰にならなかったのはやはり若さのおかげか。

大学一年の夏休みは親のコネで工務店で1ヶ月過ごした。
通常アルバイトにコネがあるのかどうか知らないが、
私の場合は強力なコネ。
そのおかげで大事に扱われるのかと思ったら違った。
一緒に働かせていただくのは最初はちょっと恐い職人さんたち。
職人さんたちとツーカーの仲で、仕事の手順をすべてわかって、
バイトのやることを取り仕切っている水産大学校の学生たち。
よそ者は私と私より一年上で上智大学に通っている学生。
これが困った。
私はどうしても根がまじめなので、
与えられた仕事は全身汗でずぶぬれになっても
必死でこなそうとするのだが、
その一年上の上智の学生が同じ高校出身だったこともあり、
先輩風を吹かすのだが、まるで仕事をやる気がない。
小学生だってもう少し真面目にやるだろうが、とは怒鳴れない。

「もうこの辺でいいよ」「いや、まだ全然できてないでしょう」
「いいんだよ。適当で。だれも見ちゃいないんだから」
馬鹿、見てんだよ。プロは。
最初そいつと組まされた時は中途半端な仕事ぶりに社長も怒り、
当然私も同罪扱いである。

ほとほと嫌になって、プロのバイトの方々と組ませてもらい
ようやく真面目に仕事に取り組めるようになった。
その上智野郎は3日で「やってらんない」ということでいなくなった。
別に上智大学の悪口言ってるんじゃないですよ。
そいつの名前を覚えていないので、
便宜的に大学の名前を使ってわかりやすくさせていただいているだけです。
どうしてんだろう。あのサボり坊主。
名前を覚えていてもここじゃ出せないか。

仕事は異常にバリエイションに富んでおり、
とんでもなく根の張った木の切り株を掘り起こす、
馬鹿でかいレストランの地上10数メートルある屋根の上に
据え付けられた金のシャチホコを塗りなおす、
内装で壁に塗る素材を混ぜて、塗りやすい量を職人さんにコテで渡す、
しまいにゃセメントをこねていた。
高校のときの同級生が通りかかり、
「お前、何やりよるんか」
「セメントこねよる」
そんなやり取りもあったなあ。
多分この仕事に向いていたのだと思う。

ある日、黙々とセメントをこねていた。
その頃には他に混ぜるもの、水の量なんかも身体が覚えていて、
我ながらやるもんだと心の中で自分を誉めてやっていた。
すると横で私のコネ具合をじーっと観察していた
職人のおばさんが感心したように言ってくれた。
「あんたのお母さんは鳶かね」
何のことかわからなくてボーっとしていたら、
もう一度
「あんたのお母さんは鳶かね」
「あっ、いえ、普通の主婦です」
「ほー」
と驚いた顔をして持ち場に戻っていった。
お母さんが鳶の子はセメントをこねるのがうまいのか?
ちょっと飛躍がありそうだけれど、
誉められて大変誇りに思いました。
もう今はセメントをこねると間違いなく腰を痛めるが、
そんな才能もあったのだなあ、
あそこでバイトしなければわからなかったことである。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 09:45 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年07月23日

世界中、知らんことだらけ

あー、知らないこと、知りたいなー。
見たことのないもの、見たいなー。
聞いたことのないもの、聞きたいなー。
食べたことのないもの、無理のない範囲で食べたいなー。
というのが、私の基本的行動原理である。

特に世界に限ったことではない。
日本中知らないことだらけであるが、
外国に出かけるほうが、ショックが大きくて、しぼんでしまったり、
やたら気が大きくなったりするので、どちらかと言えば外国好きである。

本は良いですよ。
「世界中を旅することはできない。そのために本がある」
ミラ・ナイール監督の撮った「その名にちなんで」の
主人公の父親が言った言葉である。
この映画、良いですよ。
ニューヨークとインドが舞台になっています。
DVDで借りて見てください。

しかし、私の場合、読む本の内容を恐ろしい勢いで忘れてしまうので、
ときどき「あの本はよかったねえ。とくにあの場面で主人公が言ったあの言葉」
とか胸を張って暗唱してくれる人がいるが、信じられない。
読めば、次、読めば、次。
忘れられないくらい素晴らしい本なら、忘れないだろうし、
忘れてしまったにしろ、どこか無意識の小部屋に埃のように、
少しずつ溜まっていくものがあるだろうと納得させているのだが、
読んだか読まなかったかも怪しい本が本棚の奥から出てきたり、
「最高に面白いねこの本は」と読み勧めていくうちに
「ありゃ、これ読んだことあるわ」
なんてこともあるので、不安でしょうがない。

私にとっては、本が存在しないと生きていけないというくらい
人生で重要なものであるが、やはりこれがすべてではない。
実際に人と出合ったり、不思議なものを見たり、驚いてみたり、怒ってみたり、
考え込んでみたり、なんやかんやすることはもうすぐ52歳になる私としては
やはり、とても大事なことやったなあ、
これからもそんなこと続けんといかんなあ、としみじみ思う。

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ハワイには仕事で何度も行ったし(不思議なことに撮影では行ったことがない)、
プライベートでも恥ずかしながら、ダラーンとしに何度か訪れた。
何年か前、マウイ島で車を走らせていると、赤茶けた土地に広場があり、
なにやら妙なものがたくさん並んでいた。
近づいてみるとお墓であった。
すごい数の墓。
すべて日本語で名前、没した日が彫られている。
ハワイ移民のお墓である。
亡くなった年を考えると一世、二世の方々ではないかと思われる。
生まれてすぐ、あるいは、ほんの数歳で亡くなった子供の墓も多い。
すぐそばにあるリゾートホテルでとろけていた私は
別に悪いことをしていたわけではないが、
どんな気持ちで亡くなったのだろう、と考え込んでしまい、
何度かその墓地に足を運び、写真を撮った。
この墓地をテレビで紹介されても「へー」くらいにしか思わなかっただろう。
偶然見つけたときのある種の衝撃は、それをどう解釈するにしても
一生忘れないであろう。
もっともっと衝撃的なことは何日でも語り続けられるほど胸に溜まっているし、
私の思考回路のどこかに溶けて、血になったり肉になったり、
神経組織となっているかもしれない。

今この経済状況でこんなことを書くと顰蹙を買いそうだが、
日本では会社を一旦辞めて長い旅に出ると、
ドロップアウトの宣告を受ける。
だから日本人はいい歳をした男のバックパッカーが少ない。
働き続けることは素晴らしいことでもあるが、
そんなに長くもない人生、何がどうなるかわからない。
海を渡ってみることも悪くないですよ。

労働流動性の問題、法律ひとつで変わるものではありません。
こんな状況だからこそ、
根本的なところから考え直すにはいい機会だと思うのですが。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 10:26 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年07月22日

ズーリックって何だよ

「世界地図帖」を紹介していた時に日本は現地発音主義で
地名を表記していると申し上げた。
これは旅をしているとありがたいことで、
現地で「そりゃどこのことだ」といぶかしがられることはない。
ただ、地名だけの話で、
アメリカで「マクドナルド」だとか「マクド」と言っても全く通じない。
「マクダーナル」と言ってくださいね。通じます。
同じような話ではパリに“Gare de Lyon”という駅があるが、
日本人にはフランス語のrがうまく発音できない。
この場合「ギャグ・ド・リヨン」と割り切って話すと通じます。

中国語はややこしい。
たくさん言葉があり、ほとんど通じないくらい発音が異なる。
そのため普通語というほとんど北京語と同じ発音の言葉が
全国に普及している。
外国人はいくつも言葉を覚えなくてすむのでありがたいが、
嫌だね、と思っている人もいるはずである。
さて、日本ではどう発音するか。
たとえば北京はベイジンがペキン、上海はそのままシャンハイ。
これくらいはすんなり来るのだが、
四川は四川語ではなんと言うのか知らないが、
日本ではシセンである。ただ、普通語ではスーチュアンが正しい。
四川の首都、成都はほぼチャンドゥと発音する。
香港は広東語ではホンコンだが、普通語ではシャングアンである。
現地発音主義と言ってもそれぞれの国の事情があるので
簡単にはいかないのである。

日本語も現地発音主義はいいのだが、必ずしもそうなっていない。
一番いい例がイギリスである。
英国でイギリスと言っても自分の国のことを言われていると思う
イギリス人は皆無である。
何故イギリスと呼ぶようになったかは面倒なので省くが、
この国はどの国でも呼び方が定まらない謎の国である。

インドでは地名の変更がこのところ富に盛んでややこしい。
イギリス植民地時代に呼ばれていた地名を
その前の呼び方に戻しているのである。
ボンベイがムンバイに変わったのはよく知られているが、
ここで作られた映画はボリウッドムーヴィーである。
カルカッタはコルカタ、マドラスはチェンナイに変わった。
日本でベナレスと呼ばれるヒンズー教の聖地は
英語名のベナリースから来ているが、独立後はヴァーラーナシーに変わった。
そしたら今度はバナーラスが正式名称に変わったと言われるが、
駅や空港はヴァーラーナシーのままである。
よくわからない。

さて、現地発音主義を無視して傍若無人な発音で押し通しているのが
英語を母国語としている連中である。
もうびっくりすることばっかり。
ロンドンに赴任してチューリッヒに出張することになったのだが、
総務のイギリス人に「チューリッヒに行くよ」と言っても全然通じない。
「だからここだよ」、と地図を見せると「あー、ズーリック」と大笑い。
私がアホのような扱いである。
同様にフィレンツェはフローレンス、ブリュッセルはブラッセル。
これくらいはまだ可愛いが、ナポリはネイプルズ、ミュンヘンはミュニック、
セヴィリァはシヴィルになる。英語で読み通せるものは英語読みに変え、
読めないものは綴りを変えてまで発音しやすいようにしてしまう。
東京なんてエドですぜ。これは嘘。
日本の地名は変えようがないようである。

てなことを面白がりながら、地図を見るのも楽しい。

                       大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 03:38 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年07月06日

消費社会のゆくえ

前回私が紹介したのは「貧乏神髄」であるが、
実は辻井喬と上野千鶴子の対談「ポスト消費社会のゆくえ」と
どちらを選ぶべきか大変迷っていた。
辻井喬は元セゾングループ総帥の堤清二である。
本名が堤清二で辻井喬がペンネーム。
なのだが、本の中で上野千鶴子が指摘しているように、
あたかも堤清二という仮名の企業人と本音を語る辻井喬がいるような
逆転現象が読み取れておもしろい。
上野千鶴子は社会学の権威兼恐ろしいフェミニスト、
というイメージが強かったのだが、
論理的思考に優れつつも、心の機微、情緒も持ち合わせている方であった。
で、取り上げかけたのだが、私が辻井喬の本を読んだことがないことを思い出し、
また今度にしようと思った。
しかし、私の中で「貧乏神髄」とかぶるので、もう改めて紹介しません。
文春新書から出ています。
興味のある方はどうぞ。→こちら

あえてもう一言付け加えるなら、
「何故『ポスト消費社会』なのか」
ということであろう。
私からしてみれば現在、大不況と言われながらも、
大量生産、大量消費を目指す方向は変わっておらず、
「ポスト消費社会」という言葉は不適当ではなかろうか、と思われる。
彼らが言う「消費社会」というのは、
あくまでもかつて西武や丸井に代表されるようなデパートが
消費を引っ張り、あたかも消費=文化的生活、「自分発見」への
道であると喧伝していた頃の社会を指している。
であるから、懐かしい昔話のオンパレードで
ちょっとしらける方もいらっしゃると思う。
私は今も基本的な消費傾向は変わっていないと考えている。
専門店化、ネットでの買い物等に形態が変わっただけである。
ただし、大方の見方のように不況から脱すれば、
世界中、元通り物を買いまくるか?
私は消費への欲望について否定しているわけでは決してない。
必要なものは必要に応じて、必要でないものも欲望に応じて
人間の奇妙な行動原理にあわせて買えばいいと思うが、
その行動原理も文化的なものであるから、
所変われば全く別の形態もあることは承知しておいてもいいだろう。

さて、消費において最も優先されるのは食べ物である。
食わなきゃ死ぬからである。
うまいまずいは味覚の違いにもよるが、
価値観の差でもある。
「こんなまずいものが食えるか」
と言い放つ人でも、食うものがなくなり、
「まずいもの」しかない状況におかれれば、
まずその「まずいもの」を食う。
食わないで餓死を選ぶ人もいるはずであるが、
それは、よほど個人の食べ物に対する文化(幻想)意識が強いわけであるから、
ある意味賞賛に値するかもしれない。

ラオスの首都ビエンチャンから北はほぼ山の中と言っても良い。
ルアンパバーンという古都は小さいながらも、
観光地として成立しているので、
ちゃんと西洋人向けのふざけた値段のメニューを置いているレストランが多くて
頭に来るのだが、そこからさらに北に向かうと、
よほどの物好きでないと旅行者はいないため、
町の食堂かマーケットの屋台でみんなで仲良く食事を摂る。
マーケットも北に行けば行くほど規模が小さくなり、
何でも揃っているマーケットではなく、
食い物だけしみじみと置いてあるものに変わる。

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少数民族のお歳を召した女性は民族衣装でやたらと筍を売っている。
私が行った時期が筍の季節だっただけなのだろうが、
山の中で暮らす人々はとにかく筍だけ並べまくる。
地べたに何人も列を作って売っているのだが、
大繁盛のお店はない。
これ売んないと、他のものが買えないのだろうから、
困るだろうに客の取り合いという喧嘩もなく、
じーっと静かに座り込んだままである。
売れないと筍ばかり食べるのだろうか。
結婚式に乱入した時に筍の煮物をいただいたが、
姫筍を一回り大きくしたくらいのものなので、
柔らかくてとてもおいしい。
自炊が出来れば、焼いたり煮たり、超ご馳走である。

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蛋白源は肉もあるが、魚も重要である。
もっと立派な魚を水槽で売っている店もあるのだが、
この方々はやはり少数民族のようで、
マーケットの一番端に場所を与えられていて、
やはり売れ行きは芳しくない。
魚は私には鮒にしか見えない。
鮒ね。
実は私は鮒は苦手。
あの鮒売れたかしら。

気になりつつ、屋台でカオ・ソーイという肉味噌のかかった
汁麺を食って帰る私である。
そのカオ・ソーイ、とてもおいしいのだが、日本円で約50円。
彼らにとって安いのだか高いのだか実感できないのが、残念。
多分安いということはないはずである。

ラオスの山の中も日本とは少々異なるが消費社会である。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 07:20 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年06月30日

浅草六区

アサクサロックという場所があることを知ったのは、
就職してからではなかろうか。
学生時代に東京見物する金銭的余裕はなかったし、
浅草寺が特にありがたいお寺だとも思っていなかったはずである。
多分、ただ「読め」と言われたら「あさくさでら」と答えていた。

仕事を始め、割と早い時点で、
いろいろ事情がありまして、浅草に出没することになりました。
雷門、立派じゃないですか。
仲見世、買う物はないけど、楽しい。
浅草寺、「せんそうじ」ですから。
お線香の煙を全身に擦り付けるのが大好き。
浅草寺から六区へ抜ける屋台の並ぶゴチャゴチャした通りも大変好ましい。

かつての浅草六区の賑わいを写真で見ると
イランの改革派のデモに匹敵するほどである。
さほど広くもない通りの両側には映画館、芝居小屋、演芸場、ストリップ劇場が
軒を並べ、客は空いている小屋に入るくらいしか選択肢がないように見える。
それほどの場所だったのだ。
30年近く前の六区はかつての華やかさには到底及ばないが、
まだまだ、活気があった。
六区は庶民の町ながら、
私のような田舎者にはどことなくよそよそしいイメージがあり、
ちょっとフランス座に寄って行くかとか、
そんな気軽な場所ではなかった。
多分、渥美清、ビートたけし、更には井上ひさしを
生み出した場所という伝説が重かったのだと思う。

0630okura-1.jpg

今はもうフランス座はストリップをやめてしまい、
残るストリップ劇場はロック座しかなくなった。
しかも、表示はROCKZAである。
一度入ってみたいのだが、こちらは綺麗に改装されすぎていて、
どうもその気になれない。

映画館もかつての歌舞伎町以上に集中していたようだが、
現在は封切館がなくなってしまった。
しかし、数軒残っている小屋はかつての面影を濃厚に残しており、
掛けている映画も心を震わせてくれるものばかりである。
たまにしか入らないが、今どきどこにもない3本立てである。
一日楽しめる。

0630okura-2.jpg

かつての浅草演芸場の写真を見たことがないので
しかとは申し上げられないが、
多少手は入れられているはずだが、こちらもほとんど昔のままではなかろうか、
妙な感じのトイレがあったりして、素敵である。
演目も落語からマジックまでグダグダに混ぜてあるので飽きない。
昼の部は11時40分から16時30分、
夜の部は16時40分から21時まで。
原則入れ替え制ではないので、
居たけりゃ11時40分から21時までお楽しみください。

0630okura-3.jpg

夜は通りの裏に大衆酒場が並んでいるので、
そちらもお勧めであるが、
私は小さな料理屋が並んでいる食通街へ行って、
夏はすっぽん、冬はあんこう鍋を食べるのが恒例である。
申し訳ないが、店の名前は教えられない。
予約を取るのがますます大変になる。

浅草、ずいぶん変わっちゃったけど、まだ持ちこたえている。
嫌なことを言うようだが、もっと変わってしまうような気がしてならない。
せっかく東京に居るんだから、是非浅草で一日遊んでみてください。
肩の力抜けますよ。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 08:29 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年06月29日

九州ラーメンとひとくくりにするな

先週の放送では、北方謙三の小説の話をしていたのに、
いつの間にか食い物の話に変わっていた。
てっきり私のせいだと思っていたのだが、
よーく考えてみると「水炊きは食えなかった。くやしい」、
「熊本では馬刺しを食べなきゃ」と話を先導していたのは
杏ちゃんだったはずである。
私は合いの手を入れていたくらいだった。
杏ちゃん、仕事の場所は食い物で選んじゃならんぞ。

東京では九州ラーメンはすべてとんこつで、
どこで頼んでも同じようなものが出てくると思われている節があるが、
これこそ東京の地方文化軽視の代表的な例である。
東京生まれの人間が宮崎のラーメン、
博多ラーメン(同じ福岡でも場所により特徴が異なる)、
熊本ラーメン、鹿児島ラーメン、佐賀、長崎、大分のラーメンの違いを
言い当てられるようになって初めて地方と中央の対立がなくなるのである。
もっと知事さんたちはそのあたりに力を注いで欲しいところである。
食文化ほどその土地の名刺代わりになるものはない。

さて、私に書庫には多数のいわゆるラーメン本が並んでいる。
どうしても東京中心のものが多いのだが、
一冊、お宝扱いされている本がある。
「麺食いランキング 九州」がそれである。
この本はメチャクチャといえばメチャクチャで、
県ごとにラーメン、うどん、そばについてはそれぞれの県のタウン誌が
1000人〜1500人にアンケート調査を実施し、
10位までランキングをつけている。
ランク外に落ちたものも載せているのだが、
私の見たところ必ずしも納得が行くものではない。
落とされた店は悔しかろう。
それでも、ラーメン、うどん、そばの他、特別に
ちゃんぽんコーナー、スパゲッティコーナー、
どこにも分類不可能な麺コーナーがあったりで、
かなり網羅的な作りになっており、
九州の麺を求めて一年放浪の旅の出ようという人にはうってつけの本である。
私もいつか、と考えている。

せっかくなんで、ラーメンのみ各県の一位を紹介しておこう。
福岡(福岡市)一蘭 すでに東京に何軒もありますね。
  (久留米市)大龍ラーメン
  (北九州市)唐そば 渋谷に支店があります。
佐賀 一休軒
長崎 一休軒 奇しくも佐賀、長崎の一位は名前が同じだが、関係ないらしい。
大分 なべさんラーメン
熊本 黒亭
宮崎 風来軒
鹿児島 くろいわラーメン

見ているだけで身体がよじれてくるほど、切ない本である。
しかし、発行されたのが平成10年。
プランニング秀巧社から出ている。
麺食い人はどんな手段を使っても探し出すことをお勧めする。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 09:45 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年06月24日

小説の読み方

先週の番組は正確には合評ではなかった。
合評をするには読み込みが足りないという気もしたのも事実だが、
1Q84のどの部分に触れても、これから読む人たちの気をそいでしまうか、
重要な内容の一片を話してしまうことになるのが嫌だったのである。
杏ちゃんと「どこまで話せるか難しいね」と悩みながら、
地雷を避けながらそろそろと進んでいった。

しかし、村上春樹がすごいのか、
杏ちゃんと私の連携プレーが見事だったのか、
皆さんからの反応には驚いた。
大変な数のメール。
それもぎっしりとご自身の感想を書き込んでくださっていました。
買ったきりなかなか時間がなくて読めない人、
BOOK1が手に入らなくて読みたくても読めない人も
きっと多いと思うが、早々に読み終わり、
メールまで送ってくださる方があれほどいるとは思いませんでした。
本当にありがとうございました。
ちなみに昨日、打ち合わせで会う人間から家を出る直前に電話がかかってきて
「大倉さん、1Q84持ってる?」
って番組聴けよ、お前。
「BOOK1が手に入らないんで、貸してよ。BOOK2も」
古い付き合いの人間なので重い本を抱えて行った。
帰りに「何がこんなに重いんだろう」とバッグを覗いて、
「あっ、1Q84だった」
とのたまっていた。

それにしてもだ、この本の売り上げもさることながら、
マスコミの取り上げ方もなかなかすごい。
テレビではまだ読んでいないキャスターが、
「ここまでは話してもいいそうです」といいながら、
地雷をバンバン踏んでいる。
司会者もコメンテイターも「へー」って顔で聞いて、
「それで面白いの?」とか質問している。
決して全員に読めと言っているわけではないが、
紹介するのならもう少しデリケートにやってくれないかしら。
新聞や雑誌で紹介される分には、
読んでない人間は避けて通れるが、
いきなり「青豆は実は...」とかラジオやテレビでやられると、
何すんだよ、とどつきたくなる人も必ずいると思うのだが。
「読まずにわかる1Q84」みたいなのもあったが、
それでいいのなら、別に文句もないが、「じゃ、知らなきゃいいじゃん」
という気がする私が間違っているのかしら?

そんなわけで繰り返しになるが、
私たちはネタばれを巧妙に避けながら、話をした。
物足りなかった方もいると思うが、
お察しいただけたらと思います。
で、村上春樹について、また過去の作品について話をしたりしたのであるが、
このあたりもなかなか私としては難しい。
内容を紹介することが嫌なのではなく、
私は小説は出版された時点で作家の手から読者の手に渡り、
その解釈はあらゆる意味で読者に移譲されるべきだと考えているからである。
作者が何を言っても後の祭り。
黙っていて欲しくなる。
そう言いながら、好きな作家の本はほとんど読むという習慣のついている私は、
やはり、作家論にまで及びたくなってしまう。
読者が作家について語るのは自由だと思うのだが、
なんか余計なことまで言いたくなるのが困るんですね。

確かあれは遠藤周作だったと思うが、
国語のテストに彼の小説が使われていて
「下線部分について作者はどんな思いで書いたのでしょう」
という問題があり、先生からどれが正解でしょうか、
と聞かれ、「全然わからなかった」、と何かのエッセイに書いていた。
「勝手に解釈して」が正しい答えだと私は思った。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 07:51 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年06月19日

ボツ写真

「ボツ」。
最悪の響き。
冗談じゃなくて、この言葉を聞いただけで背筋が凍る。
先週の放送でも同じようなことを言ってしまった。
トラウマを抱える人間は同じことを何度も話す。

昔、某飲料メーカーの担当営業をやっていた時に、
得意先の制作の責任者が就任して最初にやったことが
直径10センチのボツマークの判子を作ったことだった。
「ダメな原稿には、これ押すんですよ。バーンと」
と気持ちよさそうに話していたが、
私には心折れるお話であった。

広告会社をやっているといろんなボツが出る。
理由がさっぱりわからないもの、
明らかにこちらがミスを犯しているもの、
ただの意地の張り合いになり、お蔵入りしてしまうもの。
どんなケースにしてもボツは辛い。
ボツになる前に皆さんはよーくクライアント様と話し合ったくださいね。
ひとつボツになると2歳は寿命が縮まるので、
私にはもうあまり長い時間残されていない。
そういう人間の言うことは聞いておくように。

放送業界には「ダメだし」はあっても「ボツ」はないので嬉しい。

でも、原稿にはある。
原稿で揉め始めると、引けなくなってしまうことがあり、
その場合、泥沼に落ち込む。
そんなこと本当は一度だけなのだが、
10年前にある雑誌で抜き差しならないことになったことがある。
一番、残しておかないといけないところを削れとか言ってくるんだから、
プロの物書きでなくても、簡単には
「はい、そうですか」
とは言えない。
「大倉さんはいったい何が書きたいんですか!」
「オメーは何を書かせたいんだよ!」
てなことになる。
恐らく私が悪いのではないかと思うが、
具体的に書かせたいことがあるんなら、
自分で書きゃいいだろうに。
昔のことです。
今はもうない。
もうないで欲しい。

このブログは私が至らないことを書いたときだけ、
気持ちよく指摘してくれるので、
「バーカ」「バーカはお前」みたいな、
小学生の言い合いになったことはない。
写真も99.9%は自分のものなので、
選ぶのに大変な労力をかけるが、
他人からボツをくらうことはない。

私の「漂漂」(ふわふわ)という本は、
編集の方が文章については見てくださったのだが、
写真のセレクトはほとんどアートディレクターと二人でやった。
載せた写真が80数枚だったのだが、
私がラフセレクトをして300枚くらいにしておいた。
そこから削るのが苦しい。
私としては全部載せたいのだが、物理的に無理だし、
アートディレクターはそんな私に頓着なく、
「これはないね。大倉さん、いいよね」
とどんどん落としていくので、
こっそり後で落とされたものを戻したりしていたが、
結局、載せないことになる。
「伝えたい」と「伝わる」は違うのである。
最終的には売れはしなかったものの、
好きな人には好かれる本になった。
写真のセレクトが大きかったと思う。

ボツのない世界に行ってみたいが、
そこは赤ん坊の世界。
全能感だけを持った、何も出来ない一人だけが宙に浮いた世界である。
それが面白くないから、人間は摩擦を楽しんでいるのである。

「漂漂」で落とした写真を2枚だけ掲載させてくださいね。

0619okura-2.jpg

ミャンマーの猫。昼間は人間も動物も寝ている。

0619okura-1.jpg

ロンドン、コヴェント・ガーデンの芸人。
コヴェント・ガーデンはちょっとお金のある人のマーケット。
カムデン・マーケットはどちらかというとお金がない人向け。

ようやく日の目を見せてやれました。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 02:32 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年06月16日

凶々しい日常

「凶区」とは森山大道独特の表現であるが、
確かに日々見慣れた風景が、
突然初めて出会ったような奇妙なものに変わっていることがある。
下痢をしていて腹を抱えながら歩いている時に起こることも多いが、
きっかけもなく、いきなりそんなことになると
自分がおかしくなったような気がして不安になる。
何が引き金になるのかはわからないが、
日頃目に入っていなかったものが、急に存在感を増幅させて、
見えていたものにまで影響を及ぼしているように思う。
それで憂鬱になったり、晴れ晴れとした気分に変わったり、
世界が完璧な調和の中にあるように感じられたり、
まさに「禍々しい世界」が現出したりする。

森山大道はモノクロでとにかくシャッターを切りまくり、
彼の見た「禍々しい世界」を印画紙に焼き付けるが、
私は個人的にはとても異質な世界を感じることがあっても、
禍々しく見えたことはない。
見えないことのほうが禍々しく思えることのほうが多い。
でも、森山大道の肺腑をえぐるような写真には圧倒されて、声をなくす。

よく海外旅行に行ったあと、撮った写真を見てみると、
どうしてこんなものにカメラを向けたんだろう
と思われた方も多いのではないかと愚察するが、
日頃見てないものを見ているのだから当然である。
私なんか
「ゲー、すごいもん見ちゃった」
と思い、マンホールの蓋を撮ったこともある。
まあ、面白いといえば面白いんだが。

20代の頃は休みのたびにカメラを持って町を歩いていた。
下町が好きだったので、画角だけ気にして何でもシャッターを切っていた。

0616okura-tel.jpg

会社のデスクで現像したものを見ていたら
「これ、なんかいいのはわかるけど、どうすんだよ。人に見せんの?
無駄なんじゃない」
とぬかしたかなり年上の同僚がいたが、
30年近く経っちゃったけど、今ここで見せてんだからいいだろう。
発表しなきゃ写真を撮る意味がないといわれたら、
写真なんて撮れないじゃん。
俺はなんか感じたからシャッター押したんだよ。
ちなみに私を罵倒したのか誉めたのかわからなかったその人は、
今は中国で高級美容院を経営して大成功しているらしい。
「売れなきゃ意味ねーんだよ」
と今でも聞こえてくる気がする。

30代、毎週散歩に行っていたリージェンツパークでは、
定期的に花が植え替えられる。
ある日、花壇が原色の花で覆い尽くされていた。
しばらくリージェンツパークが全く違う空間に変わっていた。

0616okura-flower.jpg

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 10:16 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年06月10日

唯我論

先週紹介したヘッセの「デミアン」の中で主人公のシンクレールが
悩み苦しんでいたのは、明るい世界と暗いが魅惑的な世界の間で
迷いつつ、「真の自我」を求めていたからである。

「新の自我」なんてものがあるのかないのか、
「真の」というからにはフロイトの言う「エス」の領域にまで
踏み込もうとしていたのか、そこのところはよくわからない。
(私の理解では「エス」を自覚することなど出来ないはずであるが)

シンクレールの悩みは時代的背景も理解しないと、
「若い奴は悩んで大きくなるんだよ」
ではすまないところがある。
第一次世界大戦後すぐに発表されているので、
執筆時は大戦の最中である。
そうなのである。
悩みは時代とともに移ろう。
ただし、その時代の社会的状況に表面的に影響されながらも
必ずしも表層的な悩みと無意識の中に押し込めている
悩みが一致するとは限らない。
学生運動で日本中に火がついたときに、
ゲバ棒をふるって警官隊に突っ込む恐怖と
常に党派内部で自己批判を迫られる恐怖は、
同時に心の内にあったわけで、
そこから自己の存在意義に悩みが至り、
転向して行った人も数知れない。

番組の中で「私も悩んでいた」と話したが、
なぜか杏ちゃんが、私が好きだった転校生に異常な興味を示したため、
話が「悩み」にまで及ばず、もしかしたら
「大倉はただ女子高生の手をどうしたら握れるかで悩んでいただけじゃないか」
と誤解するリスナーの方もいたと思うので一応簡単に解説しておきたい。
先に「ちなみに」の話をしておくと、
手を握ったのは文化祭の時にくだらんお化け屋敷を
3年1組の連中がやっていて、その女性と入ったときに
どさくさにまぎれて手をつながせていただいた。
その時の馬鹿友たちの唖然とした顔は忘れられない。
当時の田舎の高校生にはそこまでが限度であった。
手をつないだのもそれが最初で最後である。

私が自分の本格的な悩み、あるいは苦しみに気が付いたのは
小学校の6年生くらいの頃だったと思う。
自分を取り巻く世界がすべて「嘘」に思えてきたのである。
実在しているのは私だけ。
後の世界は私が見えているところだけ作られており、
私が「この嘘っぱちの世界、消えなさい」と号令をかけると、
一瞬のうちに私一人の意識だけが存在する。
そんな強烈な世界観を知らず知らずに作り出していた。
実際に口に出して号令をかけてみたが、
何も変わらなかったので、なかなか敵もやるもんだとまで思い込んだ。
そうすると見た目でも世界が違って見えてくる。
じっと人を見てると(授業中が多かったように記憶しているが)
急に話している人間が小さく遠ざかって行き、
話している内容がただの記号の羅列にしか聞こえなくなり、
意味が全く汲み取れなくなっていた。

中学生のときに手塚治虫の「赤の他人」という
私を苦しめていた世界観そのままの漫画を読んだ。
俺と同じ事を考えている。
しかもそれが公となる漫画になっている。
これは手の込んだ敵の陰謀だろうか、
それとも一般的にこういうことを考える時期があるという
手塚治虫の助言だろうか。
さらに私の苦しみは深くなった。
高校2年の頃まで続いていたはずである。
バンドを一緒にやっていた仲間にも打ち明けられず、
悶々としていたのだが、ある日気が付いたら、
それは頭の中から消えてしまっていた。

今でも鮮明に当時のことを鮮明に覚えているということは、
51の現在でもその不吉な変質的な思い込みは
一時的に鳴りを潜めているだけかもしれないが、
恐らくその考え方に取り付かれて、
苦しむということはないであろう。

私の抱えていた苦しみは唯我論といって、
特別おかしな考え方ではなく、
多くの人が唯我論の中にいたことがあることがわかったからである。
あえて唯我論が個人的に(唯我論は常に個人的である)
発生するメカニズムついて調べたことはない。
何かが止めさせているのであろう。
自分で分析すればそれなりに納得できる回答を得ることができる
とも思うが、何故かやらない。
もしかしたら、それをやるまでちゃんとした文章は書けないのかもしれない。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 01:36 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年06月09日

びっくりするぜ!! 俺のラー油

先週番組でいきなり
「ラー油を作ったんで、持って来る」
と爆弾宣言した私である。
私は約束を守る。
ちゃんとスッタフにお裾分けをした。
あれだけ恩着せがましく渡したんだから、
まさか「まずかった」と言う人間はいないと思うが、
実はこのラー油、100%納得がいっているものではない。
唐辛子が思ったより辛くなくて、辛さ度が50%程度にとどまっている。
唐辛子、見かけで判断するのは大変難しい。

味わっていただけないリスナーの皆様に
「すごくうまいんだぜ」
と威張るのもどうかしていると承知しているが、
すごくうまい。
だから、ラベルまで作って商品名が
「びっくりするぜ!!俺のラー油」なのである。

私がかつて小さな広告会社の社長をやっていた頃、
「本当の俺はなんなんだろう」
と自分探しを始めてしまい、思いついてしまったのがこれである。
本気で会社を作ってボロ儲けしようとたくらんだのだが、
自分で作っていて、あまりにも手がかかる上に、
収支がどうなるか計算したところ、
下手すると赤字が出ることがわかって断念した。
しかし、社員から、さらにお裾分けした
知り合いの方々からの依頼が殺到したため、
ただ疲れるだけなのだが、休みの日をつぶして作っていた。

レシピは門外不出である。
世界中のあちこちでワンタン麺に入れて試した
さまざまなラー油のいいとこだけを私流にアレンジしたオリジナルである。
今回私の散髪前の汚い顔と一緒に写っているラー油は、
恐らく現在流通しているラー油と比べても、一番うまいと思い込んでいる。

いいじゃないのそんなことで幸せなんだから。

大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 01:02 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年05月27日

追悼・栗本薫さん

栗本薫さんが亡くなりました

もう、報道で朝からニュースが流れていたので、
今更とも思ったが、やはりある意味、
これまでの私の読書人生で、一番長く、一番多くの本を読んだ作家なので、
私自身の決着をつける意味でも一言残しておこうと思う。

すべて正直に書くので、
「亡くなった方へ書くことか」とお怒りになる方もいらっしゃると思うが、
批判はそのまま受け止めるので、お許し願いたい。

もともと、私は栗本薫も
中島梓(主として評論、エッセイ、ミュージカル制作の時に
この名前を使っていた)も特に好きな書き手ではなかった。
何冊か読んで、4歳上のこの方の書くものは肌が合わないことがわかったので、
気にしている作家ではなかった。
ところが、半村良が「太陽の世界」全80巻を書くと宣言した時に、
「じゃ、私は全100巻の記録を作る」
と大御所に張り合うことを公にし、
80年に「太陽の世界」第一巻が出る前に、
79年に「グイン・サーガ」第一巻「豹頭の仮面」を発表したのである。
当時二人が実現可能かどうかもわからない構想を発表したので、
マスコミも面白がり、かなり取り上げられたし、
不確かな記憶ながら対談も行われたような気がする。
当時、栗本薫、弱冠26歳である。

それが面白くて、私は二人の作家の長編の行く末を見届けたくなり、
両方とも何があっても読むことに決めた。
ある程度の構想があったにしても
「とにかく長編を書く」というモティベーションだけで作家は書けるのか。
ともあれ心意気を買ったのである。
私が大学4年の時のことである。

ところが、第一巻の「豹頭の仮面」でいきなり栗本薫はつまずいた。
現在発売されているものは表現が変えられているが、
「癩病」の知識なしと言われても仕方がないというほど、
常識を疑う差別的な用語も用いて、
物語の初めの重要な部分を汚してしまった。
これは「コトバ狩り」以前の問題であり、
評論も行っている作家としては致命的な事件であった。
100巻どころか初巻で打ち切りになるのではないか、
半ばそうするべきだとも思った。
これは、後にマスコミが騒ぎ始める前に、
私が読みながら感じたことである。

彼女はあとがきを必ず書いており、
何巻目かに真摯な謝罪のメッセージがあったので、
しばらくは様子を見て、読み続けることにした。
実は今でも何故あの時あんな表現しか出来なかったのか
不思議で仕方がない。
機会があれば聞いてみたいところであった。

半村良は一度番組で話した気がするが、
89年に、早くも18巻まで書いたところで
「太陽の世界」については筆を置いてしまった。
どこかで理由を話しているのかもしれないが、
その年、私はアメリカに行き、そのままロンドン勤務になったので、
頭の中は未だに?マークだらけである。

栗本薫は一度も休まなかった。
何度も大病をしているが、書き溜めていたものもあったようだし、
調子が少しでも戻ると、本人は楽しくて書いていたのだろうが、
肉体的には無理を押して書き続けてくれたおかげで、
長く休んだという記憶はない。

100巻でお終いのはずであったのだが、
物語は膨らみに膨らんで、100巻で無理やり終わらせると、
何がなんだかわからなくなくなるということもあったろうし、
本人はもう登場人物が動くままに書いている様子だったので、
途中からは終わらせる気がなくなっていた、と私は思っている。
現在までのところ、正伝126巻、外伝22冊、
合わせて148冊が出版されている。
恐らく何巻かはすでに書き終えているはずであるから、
150冊にはなるのではないだろうか。

で、内容はどうなんだと問われると、答えに窮する。
30年150冊である。
血が沸くこともあったし、うまさに唸ったこともあったが、
本人意識していたかどうか、読んでいるほうからすれば
だるい、おそい、うすい、という時期も多々あった。
最近の数冊はお世辞にも命をかけて書いているという迫力はなかった。
毎回のあとがきには自身の病状も綴られていたので、
多分、未完に終わることは本人もわかっていたはずである。
21歳の時から51歳の今に至るまで、
もはや面白い面白くないを超えて、
ともに結末を楽しみにしようというある種の同士感さえ沸いてきていた。
膨らみきった物語である。
どうしても明らかにしておいて欲しかった謎が
いたるところに埋め込まれている。

異常とも思えるほど多作な作家であった。
グイン・サーガだけを読んでいた私にしてみれば、
他の作品には蓋をしてこれだけに全力を注入して欲しかった。
多分ほとんどの読者の感じているところであろう。

ネットで亡くなったことが伝わってすぐに、
「もう10年も読んでいる」、「20年付き合ったのに」
若い方々が、無念の思いをぶつけているが、
私は30年前の初巻の初版から付き合ってきたのである。
「君たちはあきらめなさい。私は納得がいかない」
と言いたくなる。

続きを書ける人は出て来ないであろう。
それは仕方がないだろう。

栗本薫、まだ56歳であった。
あと10年あれば終わらせてくれていたか。
怪しいところである。

心からご冥福をお祈りします。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 08:08 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年05月13日

エコ万能の時代

「エコ」「エコ」って言えばなんでも通る世の中になって、
ついには「エコ家電」買っちゃうとどうやるんだかわからないが、
お上がお金をくれるという摩訶不思議なことになってしまっており、
国民はこぞって買い物をすると、大変お得になるそうである。

電気の使用量が減ればエコなんだったら、
テレビ見ないで、この番組といたしましては本読んで、
例外的に土曜の夜11時からだけ申し訳ないけどラジオをつけてくださいね。
これから暑くなりますが、みんなノーネクタイとか中途半端なこと言わないで、
エアコン根絶、窓を開け放ち、水着で仕事。
濡れタオルでときどき身体を拭くだけで、
気化熱でずいぶん涼しくなります。
私のように頭頂部が特に熱くなる人間は、
頭にやっぱり濡れタオルくくりつけておけば
眠くなることもないし、仕事の効率上がること間違いなし。
洗濯の場合は使用する水の量、洗剤の量も判定に影響するんだろうが、
手で洗えばいいじゃん。
俺なんか旅の最中は全部手洗いですぜ。
いつ水が出なくなるかわからないので、
最小限の水で、下手すると洗濯機より綺麗に洗える特技を持っている。
疲れて洗濯したくない時は宿の小僧に頼む。
ほとんど洗剤使ってなさそうで、
「ふっくらいい匂い」とはいかないが、
一応、汗は落としてくれる。

あらっ、洗濯機だとポイントくんないの?
なんで?

そもそもエコって何よ。
エコロジーは生態学。転じて環境。
エコロジカルは生態学的な。あるいは環境にやさしい。
この「環境にやさしい」ってなんだよ。
上から見てんじゃねえぞ。
よしよし、人間様がちゃんとしてあげるからね。
って、馬鹿じゃねえか。
奇跡のような偶然で生まれた地球という星で、
何のいたずらか、人間という奇妙なものが出来上がり、
現状に至っているわけである。
でも、じゃ、
「一番環境に悪いのはジャーン。なんと人間でした」
ということでみんなが大切な地球のために全員死ぬことにしましょう、
とはいかないのである。
映画「ウォッチメン」なんかは結構痛いとこ突いてるわけですよ。

申し訳ないですけど、私たち人間はこれからもこの地球で
生きていきたいのでどうかよろしくお願いいたします。
で、どうしましょう、でエコ家電か?
高速1000円乗り放題か。
いったい何の話だ。
辻褄合ってると思う人は手を挙げてください。

エコはエコノミーのエコでもある。
まず経済と訳されることが多いが、第一義は節約、倹約である。
マータイさんの「モッタイナイ」とぴったりは当てはまらないかもしれないが、
形容詞のエコノミカルは「浪費をせず、倹約を重んじる」である。

「エコ家電を買うと長期的にはお得なんですよ」
はエコロジーもエコノミーも関係ない話である。

本当にエコを言うのなら洗濯手洗いである。
俺が教えてやる。

「いやいや、今の家電を使っていては地球も人類も破滅しますよ」
ということであるなら、新しいエコ家電を作るのにどのくらい
エネルギーを消費して、
「リサイクルしますよ」と言っている古い家電がどんな手順でリサイクルされ、
そこで消費されるエネルギーはどれだけのものか、
ぜーんぶデータを明らかにしていただきたい。

この間まで「マータイさん、最高だぜ、イエー!」
で盛り上がっていた政府の皆さん、
環境保護団体の皆さん、
貧困国救済でボランティアを行われている皆さん、
「モッタイナイ」について是非もう一度お考えをお聞かせください。
お待ちしています。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 09:21 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年05月11日

母の日

母の日って何だよ。
何なのよ。
小学生の時から母の日を刷り込まれてきたけど、
なんか母の日ばかりで、
杏ちゃんも父の日はいつだかちゃんと分かってなかったですよ。

日本の母の日はアメリカから輸入されたものらしいが、
調べてみて驚いた。
すべての国というわけではないだろうが、
全世界的に制定されているというか、
お祝いされているというか、
「お母さん、いつもありがとう」
と言っているらしい。

やっぱり男も女も最後は
「おかあさ〜ん」
なのである。

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母の日にはカーネーションであるが、
父の日には正式にはバラをあげることになっているらしい。
もらったことないけど。

父の日は母の日があるんだから
やっぱり作っとこうということでできたらしい。
ということは母の日に感謝ということですね。
弟の日、妹の日、おじさんの日、おばさんの日、
おばあさんの日、おじいさんの日、いとこの日、はとこの日、
なんて次々に作ると、いつが何の日だかわからなくなって、
自然に母の日も父の日も忘れられちゃうかもしれないね。

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父の日をなおざりにしてきたから男たちの背中はいつも寂しそうだ。

                          大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 05:25 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年05月08日

象を飼う

杏ちゃんの紹介した「動物の値段」では象はいくらだったか?
ちゃんと見ていたのにもう忘れてしまった。
私の妹は小学生の時に象に鼻からピンポイントで
顔をめがけて水だか鼻水だかわからないものをすごい勢いでかけられて以来、
しばらくは象が嫌いだったと記憶している。
隣に私もいたのに何故妹だったのか、謎である。
よほど気に入らないことがあったのだろう。
妹に決定的な落ち度があったのではないかと
象の気持ちになって思い出すことがある。

私は象は嫌いではない。
インドやネパールで何度も乗っている。
傍で見ているよりも激しく揺れるし、
時には信じられないくらい臭い屁をこくが、象だしな。

タイやカンボジアでは町にも出現する。
森がなくなって行き場を失った象が、
同じく行き場を失った象使いと一緒に
「餌を買ってあげてよ」の商売をしているのである。
車が走っているところに突然象が現れるので最初はちょっと驚く。

タイ、チェンマイ郊外に象のお仕事ショウを見せてくれる場所がある。
バナナを房で買って、象にあげるのだが、
いきなり一房10本くらい持っていかれるのでムッとくることもある。
それで、象が大木をあっちやこっちに動かしたり、座ったり、
逆立ちまがいのこともしてくれるが正直言えばあまり面白くない。
象もつまらないのではなかろうか。

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一番面白いのは流れの早い川の中で水浴びのような、風呂に入っているような、
集団で象が勝手に遊んでいるところである。
大量の象がひしめいて、気持ちよさそうにしているのには、心が安らぐ。

帰国して1ヶ月ほども経ってからテレビで
私が行った象のお仕事ショウのニュースをやっていた。
いきなり象が暴れだして柵をなぎ倒し、
欧米からの観光客が踏みつけられたりして、
数人が亡くなったとのことであった。
亡くなった方にも象にも大変不幸な事件であった。

やっぱり象も腹立たしいことをさせられていると
感じていたような気がしてしょうがない。

                         大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 03:05 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年05月01日

案山子

案山子を知らない人はいないだろうが、
この十年見たことありますか。
「オーデュボンの祈り」の案山子はかなり立派なものの様であった。
なんせ喋るしね。
ところが、私は十年どころか「オズも魔法使い」の案山子以外は
数十年見ていないような気がする。
下関に帰ればいくら昔に比べれば都会になったといっても、
20分も車を走らせれば田圃が広がっているが、
案山子見ないよ。
どこに行ってしまったのだろう。
子供の頃、家のまわりは全部田圃で、案山子が立っていたように思う。
思うというのは100%の自信がないからである。
頭に電極を刺して刺激すれば思い出せるかもしれないが、
そこまでして思い出してもこの原稿を書く以外のことで
大変役に立つということはなさそうなので、やめておこう。
いずれにしろ、うっすらと記憶の霧の中に見え隠れする案山子は
「オズの魔法使い」に出てくる「脳みそがない」という案山子のような
よく出来たものではなかったはずである。
竹の棒を十字に組み合わせて、田圃に立て、
せいぜい麦藁帽子を被せたくらいじゃなかったかしら。
田舎の人はそんなことに頓着しないのである。
と言い切っていいのかどうか。
今でもどこかで案山子コンテストみたいなものをやっていたら具合が悪い。
しかし、そんな報道を目にしたことがないので、
「ない」ということで話を進めさせていただく。

と書いたが、不安になって思い直し、
一応調べてみたらあるじゃないですか、
全国各地で自作の案山子コンテストが毎年催されているらしい。
減反、食料自給率の問題が複雑になってきているので
報道しないというわけでもなかろう。
「何とかの真ん中で妻への愛を叫ぶ」コンテストを映して、
「なんだかホノボノしますね」とか言っている場合ではないだろう。
ことは食いもんだぜ。
農家の皆さんのご苦労をねぎらうほうが、プライオリティ高いでしょう。
案山子は鳥を追い払うための単純な道具以上の
歴史を持っているようである。
案山子コンテスト、取材して下さいね。

さて、日本の話は行き詰りそうなので、
あってもよさそうなところに無かった話をひとつ。

アメリカにもあったことは確実。
scarecrowとはなんともストレートで味気のない名前ではあるが、
「オズの魔法使い」であれだけ活躍するのであるから、
間違いなく存在した。
ただ、またしてもアメリカにいたときに見たことがあるかどうか
さっぱり思い出せない。
恐らくすごく興味のあるものでもなかったので、
ちゃんと見ていなかったのであろう。

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そこで思い出すのが、中部イタリアの
アッシジという小さな町のことである。
この町は果てしなく広がる麦畑の中にポコリとできた丘にある。
麦畑もアッシジなのだろうが、町は丘だけ。
丘のてっぺんにサン・フランチェスコ聖堂がどっしり構えていて、
町はその丘にゴチャゴチャとへばりついている。
聖堂があっての町ですな。

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このゴチャゴチャ感がたまらない。
狭い路地、階段が理屈抜きに好きなのである。
そして聖堂のあるてっぺんから見下ろせば、
はるかかなたまで広がる黄金の麦畑。
ある年の夏ここを訪れて、すっかり気に入ってしまい、
のんびりしちゃった。

町中をさんざんうろついた後、
どうしても駅に行かなければならない用事があって、
夏のまばゆい光がさんさんと降り注ぐ麦畑を突っ切る
一本道を散歩した。
散歩をしている途中で気を失いそうになった。
真夏のイタリアは想像を絶するくらい暑い。
インドくらい暑い。
37、8度なのだが、照り返しで全身上からも下からも
こんがり照り焼きにされる。
せいぜい10分ほどだと思っていたのに1時間くらいかかった。
一枚の小さなハンカチでは絞っても私の頭のつむじあたりから
滝のように落ちてくる汗に対応することは無理である。
と言いますか、無駄である。
そんな朦朧とする状態でも、
何とかカメラを構えて数回シャッターを切った。
ろくな写真は取れなかったが、
その時に気が付いたのが案山子がいないことである。
イタリアと言えばすっごくモダンな案山子か、
いかにもどん臭い、なんだかわからない人形のようなものを想像するでしょ。
いないのである。

あー、イタリアの案山子見てみたかったなあという、落ちの無い話でした。

駅で用事を済ませた後は、諦めがいいのでタクシーでホテルに戻った。

余談である。
あまり知られていないが、
このアッシジにはフランチェスカーノというリキュールがある。
ベネディクティンのような薬用酒であるが、
私は普通に食後酒としていただく。
ロンドンでも日本でもイタリア料理を食った後は
頼んでみるのだが、置いてあったためしがない。
大変おいしくて飲みすぎて二日酔いになることが多い。
薬用酒なのに飲みすぎると普段より悪性の二日酔いを患う。
いくらおいしくてもせいぜい2杯くらいにしておきましょう。
でも、日本のどこで飲めるのかがわからない。

                               大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 04:31 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年04月23日

終電前後の駅でぶーたれた顔して帰れない二人

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私がタイトルで申し上げているのは、
写真のような田舎ののんびりした駅の話ではない。
一応説明しておくと、ここは養老鉄道養老線養老駅である。
荒川秀作とマドリン・キンズの作った養老天命反転地を訪れた時に
この駅で降りたのである。
あんまり風情があるので一枚シャッターを切っておいた。
養老天命反転地は不思議なテーマパークで
日常の中の我々の身体感覚は相対的なものであることを感じさせてくれる。
楽しいですよ。

今はあまり見なくなったかなあ。どうなんでしょう。
終電間際になるとたとえば渋谷、新宿、池袋のような繁華街の駅に出現する
ひたすら立ちつくしている謎のカップル。
昔は終電間際になると必ず見かけたものなんだが。
どのような事態に陥っているのか仔細に観察するのもためらわれるし、
まさか声をかけて
「よろしければ、現在の状況につきましてご教授いただけませんでしょうか」
とお願いするわけにもいくまい。
したがってお願いしたことはない。
ああいうカップルに非常に興味をそそられるのは私だけかもしれないが、
声が聞こえない、二人ともただ黙っている、むしろぶーたれている、
女性が泣いていることがある、女性が男のシャツを握って放さない、
男は手を振り払うでもなく、いきなりダッシュで逃げ出すでもなく、
されるがまま。
それで誰に迷惑をかけているわけでもないので文句はない。
が、彼らの3メートル周辺は息苦しい澱んだ空気のカーテンで覆われている。
なーんとなくなのだが、
「逃がさん」という女性の根性が垣間見れるように思うのだが、
どうなのだろう。
本当に男がダッシュで逃げ出し、女性が「ドロボー!」
とか叫んで追いかけると面白いけど、
本人たちは真剣なのだから茶化してはいけない。

さらに続けると、あれじゃ、終電絶対に逃していると思うのだが、
その場合「深夜食堂」のような場所へ二人で赴くのだろうか、
そんな関係だったらあんな具合にはなってないよね。
あのまま朝まで立ってるってことはないだろうから、
どこかで状況のコペルニクス的転回が起きているのかしら。
すごく知りたい。
「あっ、それあたし」とか「おれだ」という方がいらしたら、
絶対内緒にしますから詳細を教えていただけますでしょうか。
お礼は番組の中でさりげなく名前を出すという技をお聞かせします。

現在形で書いているが、このところ見なくなった気がするので
本当は上記の文章は過去形であるべきである。
ああいうじっとりした関係を最近は避けるようになっているのだろうか、
携帯メールで面倒なことは済ませてしまうのだろうか。
それじゃあつまらないじゃない。
行き詰った時はなかなか「深夜食堂」のような店はないけど、
恵比寿にまで行けば朝8時から朝5時までやっている
「たつや」という居酒屋へ行って酒飲んで罵り合うなり、
また仲良くなっちゃうなりすることを私は勧めるな。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 03:51 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年04月22日

深夜ラーメン

私、大学までは情けないくらい痩せており、
いくら食べても太らない、
という一部の皆様には嫉妬の目で見られるほど不思議な体質であった。
そう思っていたのだが、あるとき実家に帰り血液検査をしたところ
父親に
「お前、毎日何食っとるんじゃ」
「それなりに」
「異常にコレステロール値が低いど。ちゃんと食え」
ときつく言いわたれ、
ただろくなものも食わず酒ばかり飲んでいたことが
発覚したことが懐かしく思い出される。

酒飲みに行ってもお金がないので、駒忠という激安居酒屋チェーンで
毎回酒と厚揚げばかり。
「すみませーん」と声をかけると「厚揚げね」と
店のおばちゃんとは呼吸がばっちり合っていた。
安いのにボリュームがあるので食い物の%80は厚揚げだったのである。
栄養あったはずなのにおかしな話である。

会社に入ってから上司に毎晩連れまわされるようになり、
あっという間に6キロくらい太った。
酒はうまい、まずいは別として、ほとんど同じ栄養価であるから
食い物が変わったのであろう。
学生が行くような店ではなかったはずだから、
厚揚げよりましなものであったに違いないが、
何を食わせてもらったかさっぱり思い出せない。
学生時代と一番大きな違いは深夜のラーメンであった。
さんざん飲んだ後のラーメンがうまくてほとんど毎回食っていた。
そしたら太る、際限がないくらい太る。

「深夜食堂」ではインスタントラーメンを作ってくれるが、
私は一時、渋谷の、百軒店にあったストリップ小屋、
道頓堀劇場から5秒の場所にあったマンションに住んでいたこともあり、
本格ラーメン屋には事欠かなかった。

J−WAVE開局前なんか毎深夜六本木のドラム缶ラーメン天鳳
(当時はど深夜までやっていた)で「味噌、麺固、大盛り」か、
いまは無き大八でワンタン麺大盛りに通っていた。
嫌がる奴は引きずって行った。

38歳くらいの時、ロンドンで血液検査をしたところ、
日本人医師にいきなりえらい剣幕で
「あんた、いい加減にしないともうすぐ死ぬよ」
と怒鳴りまくられた。
中性脂肪の値が尋常でないと言うのである。
若い頃は足らなくて、今度は過剰かよ、面倒なもんだぜ。
実は日本から来る客をフランス料理だ、イタリア料理だ、
と連れて行かされるのだが、
私は横飯(駐在員は西洋料理のことをこう呼んでいた)
を食っても、ごはんも麺も出ないので飯を食った気がせず、
客をタクシーに押し込むと日本式ラーメン屋か中華街に行って
タンメンやワンタン麺を内緒で食べていたのである。

ロンドンで怒鳴られても生活態度は変わらず、
会社を辞めて人間ドックに入ったら、また怒鳴られた。
「わしゃ、こんな数字見たことがない。
こういう奴の血はドロドロになっていて、
その辺にたらしとくとすぐに固まってしまう」
普通「その辺にたらしとく」ことはないと思うのだが、
あまりの怒りに初めてびびった。
それから水泳を再開し、
極力野菜を多く摂るように気を配ったのだが、
あまり変化は無いねえ。
どうも親父の血が遺伝したらしい。
仕方ないので薬を飲み始めたのだが、
薬を飲むと何してもいいような気がするので、やや考えものである。

最近は深夜に突撃することは減ったが、本格的に酔っ払うとねえ。

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下関に帰ると特別に深夜ラーメンを許してやっている。
東京じゃ食えないんだもの。
このラーメンは唐戸の一龍軒。
ここは深夜はやっていません。
食べたくなったらタクシーで豊前田(ぶぜんだ)へ向かえ。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 03:46 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年04月14日

私の季節の学生運動

「されど我らが日々−」は勝手に決め付ければ青春小説であるが、
今から考えれば、共産主義革命への憧れが学生の間に
漂っていなければ成立しない物語である。

私は1976年に慶応大学文学部に入学したが、
その頃はすでに学生運動は
少なくとも慶応では消滅したに等しい状況であった。
一応、日吉の校舎では反帝学評というセクトが休み時間になると
立て看の前でヘルメットにマスクのどう見ても学生とは思えない方々が、
あの独特なアジ演説を異常に音の悪いスピーカーを通して
がなり倒していたが、うるさいというよりも、
どうして聞こえるようにやらないのかが不思議であった。
民青、中核、革マル、ブントなんてのは影も形もなかった。

しかも、反帝学評は日吉だけでしか生き残っておらず、
三田は静かなもので立て看はどこかに置いてあったかもしれないが、
記憶にないくらいだから、アジ演説などは存在しなかったのではなかろうか。
もしかしたら学校に行かず、
毎日友人の下宿を二日酔いの頭で転々としていた時期に
そんなこともあったのかもしれない。

それでも一年生の時に「学費値上げ闘争」というのが起こり、
私も第二外国語のクラスの友人に誘われ学内デモに参加したことがある。
早稲田よりも学費は安かったのだが、
その分学費を上げられると本当に困るという同級生もいたので
さぞかし盛り上がると思っていた。
集合場所に人影があるようなないような。
ショボサはいかんとも隠しがたいプラカードが10枚くらい。
「よし、いくか」
と誰かが言ったが、誰が行くのかとまわりを見渡すと
10人に満たないほどのヘナチョコ学生がプラカードを
おもむろに持ち上げ「じゃ」とか言っている。
そのままドンズラしようかと思ったが、
ここで逃げたら一生責められそうな気がして
ほとんど最後尾でついていった。
日吉の学内を回るだけなのでせいぜい10分くらい。
「シュプレキコール!学費値上げ、粉砕」
「学費値上げ、粉砕」
って10人が小声でささやくように声を上げても
蚊が鳴いているのと同じである。
体育会、お金持ち風遊びサークルのたまり場になっている
食堂の入り口で「学費値上げ・・・」とやっていたら
学ラン集団に罵声を浴びせられ、
「ま、こんなとこか」
ということにして解散となった。

あのデモの主体がなんだった当時も良くわかっていなかったのだが、
そのたまり部室に行ってみると、えらい美人さんが、
いかにもインテリ然とした学生に
「ねえ、ねえ、私たち今度偶然渋谷で会って、デートしない?」
と同じことを何度も繰り返しながら、
あたしたちってちょっと違う人なの的雰囲気を
一生懸命作ろうとしているように見えた。
なんだか、あほらしくなって外に出たのだが、
胸の奥に溜まってしまい、吐き出せない違和感から
しばらく開放されることはなかった。

こんなおセンチな話やめようかと思ったが、
書いてたらどんどん笑える話を思い出したので、
主題を笑いに置き換えて、そのうち続きを書きます。

                               大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 10:10 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年04月10日

グルジア語とマラヤーラム語

前にも書いたし、番組でも話したのでまたかと思う方も多いと思うが、
インドのケララ州で使われているマラヤーラム語の文字は
グルジア文字にそっくりである。
少なくとも私にはそう見える。

杏ちゃんが前回紹介した「世界の言語入門」では
グルジア文字について「唐草模様のような」「美しい文字です」
と解説されている。著者の黒田さんも映画で見たグルジア文字が
印象に残っているという。
残念ながらマラヤーラム語については触れていないのだが、
同じ南インドのテルグ語についてのエッセイは書いている。
文字は「丸まった面白い形をしている」と書かれているが、
似ているじゃないですか、グルジア文字と。
マラヤーラム文字のほうが似ていると思うけど。
調べて教えてくださいよ。お願い。

皆さんもちょっと調べてみれば
似ていることはすぐにわかりますから、
文字フェチの方は是非。

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写真はコーチンで撮ったもの。
マラヤーラム文字なのだが、こういうふうに描かれるとまた印象が変わる。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 10:33 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年04月09日

ヴィカス・スワラップさん その2

「スラムドッグ・ミリオネア」は素晴らしい映画であることは
誰も否定できないが、
原作と大筋は同じでも「おや、ここも変えたのかい」
と言いたくなるパートもある。

原作と異なるところがありますが、映画の出来には満足していますか。
「小説と映画が別物であることはわかっていたので
『何だ、これは』と大声出して立ち上がるようなことはなかったよ」
じゃ、やっぱり気になるところはあったんだ。
「いや、クリエイティブ・コントロールには参加していたので、
脚本家としっかり話はできていたからね。
最初に『小説と映画は分けて考えなければ。
ただし、この本の魂を変えることだけは絶対にしない』
と言われていたけど、大きな流れに変更はなかったな」
でも、小説では非常に重要な要素となっている部分が抜けたりしてますよね。
私も3回読んでいるのでしつこい。
「それはあるが、映画という枠の中に入れるために
話をシンプルにする必要もあった、ということでしょう」
面白い言い方で答えてくれた。
「有名な小説家がこんなことを言っている。
『自分の小説を映画化するのは、娘を嫁にやるようなものだ。
そして大事なのは義理の息子の悪口は言わないことだ』
いずれにしても素晴らしい映画に仕上がっているのは間違いない」
はい、その通りです。
「それにダニー・ボイルがインドにやって来て撮影をしたが、
これまでの欧米人の撮ったインドを舞台にした映画とは
全く違うものになっている」
そうだな、ミラ・ナイールの「モンスーン・ウェディング」も良かったけど、
彼女はインド人だしね。
ひとつだけスワラップさんが映画と小説の違いについて
「映画はデスティニ(運命)について描かれており、
小説はラック(運)について書いた。そこは違うな」
とおっしゃっていた。
なるほどと思える急所を突いた指摘である。
だからといって映画がつまらないというわけではない。
小説を読んだ方は映画も、
映画を見た方は小説も2回楽しめるということである。

これまでトルコ、アメリカ、エチオピア、イギリス、南アフリカに
それぞれ3年くらい赴任されていますが、
一番気に入っている国はどちらでしょう。
「どこの国、文化からも学ぶものがある。
理解をすればどの国でも楽しめる。
最悪の場所でも最高の人に出会うことが出来るものだよ」
おっしゃる通りで。
「それはそうと、すっごい偶然なんだけどね、
昨日本国から連絡があって、今年から大阪に赴任することになりました」
冗談ですか。
「冗談ではありません。今回日本に来ているのとは何の関係もないよ」
ほほう、そうなるとまたお会いすることが出来ますね。
「もちろん、大阪に来てくれればいつでも会えるよ。
ご馳走しますよ」
ご馳走しますよ、とは本当は言わなかった。
が、いつでも会えますよ、と言いましたよね。
ランダムハウス講談社の方、ちゃんと聞いてましたよね。
ということで、もうマブダチ気分である。
スワラップさんは外交官で私は「旅人のような人」であるが、
「世界的な作家の友人」という肩書きもできた。

「インドは歴史がある国ではあるけれども、
モダナイズされていく環境の中でいかに伝統を保つかということを
第2次大戦後の復興を成し遂げた日本に学びたい」
あのー、そこんとこはご期待にそえるかどうかわからないですけど。
「じゃ、お互いに学びあうということにしましょう」
そうしましょう、と私が日本を代表してお答えしておきましたので、
皆様そういうことでよろしくお願いいたします。

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他にも宗教、政治、経済、哲学にわたるまで短い時間の中、
食事をしながら右に左に話題をかえながら
お話をさせていただいたのだが、とても書ききれない。
また機会があれば紹介させていただきたい。

牛の写真2枚はインタビューとは何の関係もない。
スワラップさんがヒンズー教徒だということで、
私も大好きなインドの放浪牛の写真があったので貼り付けてみました。
場所は両方ともやはりヒンズー教の聖地、リシュケシ。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 08:41 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年04月08日

ヴィカス・スワラップさん その1

スワラップさんからは写真からも伝わるであろう
身体の内側から湧き出てくる力強いオーラが発せられている。
精神的にも肉体的にも充実の極みにあるように見えた。
外交官の仕事をしながら、小説を書いて、
プロモーションにも嫌な顔をすることなく世界中をまわっているのである。
「ぼくと1ルピーの神様」は41カ国語に翻訳されているが、
英語で書いた本なのでヒンズー語の翻訳も手がけたそうである。
下訳は別の人にやってもらったそうだが、
忙しかったのであろう、
最初に書いた英語のものは16日で書いたのに
ヒンズー語に訳すのに4ヶ月かかったそうである。

主人公は英語も話せるのだが、実際のインド人同士の会話は
当然ヒンズー語で話している設定なので
より自然な形になったと思うと話していた。
そう聞くとヒンズー語でも読みたくなってしまう。
このところ数ヶ月間は世界中の映画賞ほとんどで
「スラムドッグ」が何らかの形で賞を取っているので
そりゃ大変だった、と楽しそうに話をしていた。
楽しいだろうなあ、そんなことになったら。
ピークは当たり前だろうが、コダック・シアターでの
アカデミー賞授賞式でスピルバーグが受賞作品を読み上げた時で、
スワラップさんも壇上に上がられたそうである。
最初の小説でねぇ。

スワラップさんはバラーナス(ベナレス、ヴァーラーナーシー、
みんな同じ場所を指す)から西へ約100キロの場所、
アラハバードの出身だそうである。
ヤムナ河とガンジス河が合流するする場所でヒンズー教の聖地となっている。
ご自身もヒンズー教徒であるが、ヒンズー教の素晴らしいところ、
問題点も認識されている。
だから「ぼくと1ルピーの神様」のような本も書けたのであろう。
すでに発売されているスワラップさんの次作品「SIX SUSPECTS」の
本に書かれているコピーでも
“There’s a caste system even in murder”
と書かれている。
番組でもスワラップさんのおっしゃったことを申し上げたが、
問題を認識しなければ解決できないのである。
それを学術書のような形でなく、エンターテインメントにして
多くの人が読めるようにしているというところが
スワラップさんのすごいところである。

映画「スラムドッグ・ミリオネア」の話にもなったのだが、
それはその2で詳しく触れることにして、
インド映画について気になっていた質問をしてみた。

ボリウッド・ムーヴィーはお好きですか。
「そりゃ、ボリウッド映画見ない人間はインド人じゃないでしょう」
私はあのハンサムなシャー・ルク・カーンにやられちゃってるんですが、
スワラップさんはお好きですか。
「だって、大スターだよ。嫌いなわけないでしょう」
その彼はイスラム教徒ですよね。
インドの奥の深さを見るようですごいことだと思うんですが。
「それはシャー・ルク・カーンに限ったことではなく、
インドのトップスターにはサルマーン・カーンをはじめ
多くのイスラム教徒がいる。
宗教は全く問題ではなく、彼らがインド人の俳優ということだ」

年末にムンバイでイスラム過激派と見られるテロリストの起こした
同時多発テロが起こったが、あの事件がきっかけでインドでイスラム教徒に
危害が加えられたという話は聞いていない。
インドでさまざまな宗教対立がないとはいえないが、
普段の生活の中で相互不信を感じることはない。
オールドデリーの路地に迷い込んで、
楽しくも困りかけていた場所はイスラム教徒が多く住む場所であったが、
境目に気が付くことはなった。

0408okura-1.jpg

ようやく大通りに抜けるとすぐそばにジャマー・マスジットという
巨大なモスクが出現した。
私も入れてもらって写真も撮らせていただけた。

その2に続く。
その2ではもっとちゃんとスワラップさんのお話を紹介します。


                             大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 08:30 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年04月01日

多様性の不思議

前回紹介した「動的平衡」では福岡先生は
生命は流れの中の淀みのようなものである、
と非常に明快に解説してくださっているのだが、
それはそうだとして、
どうしてもこの30年すっきりしなくて、
考え始めると寝られなくなるかもしれない
もやもやが胸につかえている。

一度このブログで「妖星伝」について書いたときにも
ほんの少し触れたのだが、
この地球に溢れる数限りない多様な種についてである。
確かに絶滅した、あるいは絶滅に瀕した種が激増していることは
認識しているが、その保護の問題とは別に
何故、これだけ多くの種がこの地球では発生したのか、
という根本的な疑問である。
進化論でさまざまなことが明らかになってきているようであるが、
何度説明を聞いても
「あー、これですっきりした」
という気分になれない。
かといってアメリカのキリスト教原理主義的な神の創造物説も
信じられないし、その代替物として浮上してきた
誰だかわからない高度な知性が介入して生物が作られたという
インテリジェント・デザインも説得力がない。

進化論も一致団結しているわけではなくて、
かつての日本の左翼運動のように百花斉放・百家争鳴状態で
根本的とも思えるような大きな違いだったり、
どうでもいいようにしか思えない違いについて激論が戦わされている。

あらゆる種は環境に対応、順応するように進化してきているはずである。
しかし、たとえば食われないようにさまざまな工夫がされてきているはずなのに
やっぱり食物連鎖は起こっている。
キリンは首が長くて高いところにある葉をうまく食えるが、
その他の動物は首を長くする方法を選ばなかった。
進化論では進化は遺伝子の突然変異によって起きている
というふうに解説されたことがあるが、
その変化を促した環境の中でだんだん形を変えたのか、
イッセーノーセでみんな一斉に変わっちゃたのか、
その辺もわからない。
ある心理学者は種が進化するときには集団的な決心があったと
ニューエイジ論者が喜びそうなことを言っていたが、
それもねぇ。

だいたいみんなが幸せになりたいんなら、
すべて同じ種に集約されていくことにならないのかしら。
そんなことになったら直感的にすごくまずいし、気持ち悪いと思うのだが。
それぞれの種は何を考えて現在の形態を選択したのか、
是非聞いてみたいものである。
しかし、人間のことさえわからないことだらけなのだから、
将来にわたっても100%の答えは出ないことを私が保証しましょう。

私は多様性は絶対に保たれなければならないと信じている。
それは生命であれ、人の考え方であっても同じである。
そうでなくては面白くないからである。
面白いともっと面白いことが起きてくる。
違いこそが次のページをめくらせる原動力である。
それが必ずしも人間にとってありがたいことかどうかは
わからないのではあるが。

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花はエロティックである。
人をもそういう気分にさせる理由は何なのであろうか。
たまたま昆虫が寄ってくるように進化したら、
人間も寄ってきたということですか?
そうかなあ。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 07:48 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年02月27日

うどんと口の中の粘膜

口の粘膜と言われても困るなあ、
と皆さんお思いになるであろうが、
私本人にとっては生きることの不器用さを告白することに等しい。
是非笑わずに読んでいただきたい。

最初に私の口の中の粘膜が弱いことに気が付いたのは、
大学生のときのことである。
友人のきったないアパートに招かれ、
夜中スルメをかじりながら酒を飲んでいたら、
これまでに感じたことのないかすかではあるが
のどの奥に悪意のある痛みを感じた。
しかし、酒を飲んでいることもあり、
特に気にすることもなくそのままにしておいたのだが、
そのうち痛みが広がってきて、
何かがのどに引っかかる感触に気付き、鏡を覗き込んだ。
暗いのでよくわからない。
友人に懐中電灯で照らしながら代わりにチェックしてもらった。
「...........」
友人の顔からは恐怖しかうかがえない。
もうその頃は上手く話すこともままならなくなっていた。
「ごうなっこる?」
「お前、どうしたらこんなことになるんか。
有り得んことが起きちょる」
そんなこと言われても何が何やら。

私はものをよく噛んで食べるという訓練を受けたことがなく、
硬いものでも適当に噛んだら飲み込んでしまうことが
習慣化していた。
そのせいで食べるのが驚異的に早い。
簡単に例えるなら人がラーメン一杯を食っている最中に
替え玉まで食べて、スープも飲み干している。
得意になっているわけでもないが、
そのほうが熱いままだし、スープものびないし、
並んでいる人のためでもある。
まるで何も考えていないわけでもない。

友人が発見したのは普通の人の3倍くらいまで
膨らんで伸びてしまった大きなナメクジのような
ノドチンコであった。
洗面所まで行って明かりを全部つけて
自分で確認すると異常な大きさのノドチンコは
だらりと喉の奥にぶら下がっているのではなく、
奥の舌の上に横たわっている。
しかも、下半分は血がたまっている。
上手く話せないわけである。
つばを飲んでも激痛が走る。
夜中なのでどうしようもなく翌朝まで仮眠をとって
病院に直行した。
「どうしました」
「ぐげげげげ」
と口を大きく開いて喉の奥をさしたら
「どうしてこんなことになったの」
話せないから口開けてんだろうが。

結局血がたまっているところを切開してもらい、
抗生剤をもらって帰った。
しばらくは痛くてまともに食事もできなかった。

原因は硬いもの、恐らくスルメでノドチンコを
突いてしまったと思われる。
もうこんなおかしなことは起こらないと高をくくっていたが、
数年に一度同じことが起こるようになった。
歯ブラシが滑ってノドチンコにあたったり、
やはり硬い食いものでやってしまうのである。
ノドチンコは本当に辛いので本気で注意しているのだが、
それ以来ノドチンコ以外、
口の中のほっぺた、上あごにも同様のものが出現するようになった。
すべて食い物のせいである。
一番駄目なのがフライ。
パン粉を揚げたのがもっとも危険な凶器である。
とんかつなんか食った日にゃ100%の確率でやられてしまう。
ただ、あまりに頻繁に起こるので処理するのに
病院に行くことはなくなった。
とにかく発生したらすぐに処理しないとその血豆は
あっという間に大きくなるので、
できたと思ったら爪楊枝で突くのである。
針では駄目。
穴が小さすぎてすぐにふさがってしまう。
そのため私の財布には常に爪楊枝が数本忍ばせている。
私と食事をしていて急に変な顔をして財布を持ち、
トイレに立ったら血豆を突いていると思っていただいて結構である。

あー、書いている本人もおぞましい。

勝谷氏の「イケ麺!」では讃岐うどんパートがカットされていたが、
賢明な判断であろう。
麺通団の本が出てすぐに讃岐に飛んだのは私である。
「いやー、やっぱり讃岐はうどん。食った食った」
と皆さん知ったようなことを書いているが、
私は一切の偏見なくうどん屋を見つければ食う、食う、食う、
で2泊3日といっても実質的には2泊2日であったが、
晩飯はちゃんと食べたのにうどんを22玉食った。
これだけ食っても奥が深い。深すぎる。
讃岐にはうまいうどんしかない、
と思い込んでいる人も多いが、実は
「どういうつもりで作っとんじゃ、こりゃー」
と怒鳴りあげたくなるような店もある。
人も入っているから不思議である。
本当に深い。

22玉食っている間にも、ついアジフライを食べて
ほっぺたを突いてしまい、しばらくトイレから出てこれなかった。
うどん食うときに普通血豆作るか。
もう私にはフライはタブーである。

つい先日自宅で釜揚げうどんをすごいスピードで
食っていたら、エビのから揚げがあった。
エビの頭も凶器であるが、
ああいうものは注意してバリバリに噛み砕いてやれば
どうといったものでもない。
うどんの上に乗っけてバリバリ噛みながら、
うどんは飲み込んだ。
と、あの恐怖の痛みが喉に走った。
「ま・た・か、無念!」
でもうどんはもう少し残っていたので
痛いとこの横を滑らせるように噛まずに胃に流したが、
時々、自分でも訳のわからない音が喉から漏れてくる。
「ウギェ、ウギェ」
これは普通ではない。
横になりどんなことになっているのか
「この馬鹿が」
という目で見ている家人に覗かせようとした瞬間、再び発作が、
「ウギェエゴウ」
身体まで痙攣した。
すると何やらとてつもなくでかいものが喉から飛び出してきた。
「遊星からの物体X」か?
違った。

okura0227.jpg

エビの尻尾。しかも身のしっかりついたやつ。
うどんを飲み込んでいるうちに
一緒に流れて行ったようであるが、
やはりあまりにでかくて、どこかでつっかえていたらしい。
恐ろしいこともあるもんだな。
やはりうどんを食うときは余計なものは乗せないほうがいい。
いちいち噛んでいては味がわからん。

今回は粘膜は平気であった、
が、翌日普通に飯を食っていたら
再び別のところに血豆が出現していた。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 02:18 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年02月24日

アカデミー賞

これだけ「おくりびと」効果で今回のアカデミー賞については
すべてのマスコミが大騒ぎしているのでやはり一言。


「おくりびと」が受賞したことについては素直に喜ばしいことだと
思っている。私も見た後はしばらく余韻に浸っていた。
ただ、面倒な人間なので仏教における葬儀というもののあり方、
葬儀の意味について考えてしまい、
ややこしいことを書きそうになったので
ブログには感想を載せないでいた。
それでも映画としては特筆すべき出来であったと思う。
おめでとうございます。
J−WAVEでも番組をお持ちの小山さん、
心からお祝い申し上げます。


さて、毎年アカデミー賞では日本映画がどうなるかが
最重要課題になっており、オリンピック並みの
「日本やりました」「感動をありがとう」
「無念、一歩及ばず」「受賞逃す」
みたいな感じに見えて、なんだかなあ、
という気分も否めない私である。
こういうことで日本映画の質も上がってきたようにも思うので
悪いことではないのだが、
どこの国の映画ということを競うものでもないような。
そんな印象を昨日から今朝にかけて持っている。


日本でアカデミー賞と言われても
何しろ候補になった作品の過半数は
まだ日本公開されていないので、
本格的に盛り上がれと言われても
困りませんか、皆さん。
あらすじを丹念に読めば読むほど、
実際に見たときにつまらなく感じてしまうので
私は極力映画評を読むのは避けております。


さて、8部門受賞の「スラムドッグ・ミリオネア」であるが、
もう何度も言及しているのでまたかと思われるかもしれないが、
原作はインドの外交官ヴィカス・スワラップの書いた小説
「ぼくと1ルピーの神様」(英題:Q&A)である。
ダニー・ボイル監督の見事な手腕で圧倒的支持を受けたことは
全く否定しないが、せっかくインド人の書いた素晴らしい小説が
ほとんど紹介されずに、ダニー・ボイルだけが脚光を浴びるというのは
どうも腑に落ちない。
もちろん、原作をそのまま映画にできるなどとは思っていないし、
あえて別物だと言ってもいいと思うのだが、
今回の映画はこの小説なしには存在しない。
是非、小説も手に取っていただきたい。
なお、2月20日に講談社ランダムハウス文庫から文庫も発売されている。
ヴィカス・スワラップの最新作は「Six Suspects」。
邦訳はまだ。


余計なことをひとつ書いておくと、
映画「スラムドッグ・ミリオネア」の主人公と
小説「ぼくと1ルピーの神様」の主人公は名前が異なる。
話が複雑になるので映画では替えたのだろが、
インドでは避けて通れない宗教の問題が絡んでいる。
インドでは依然、カースト、宗教の複雑な問題は
解決されたとはいえないが、
現在のインドの大映画スター、
シャー・ルク・カーンは名前からわかるようにイスラム教徒である。
イスラム教徒でありながらヒンズー教徒の役でスターの座に上り詰めた。
奥さんはヒンズー教徒で子供は両宗教で育てられているという。
ただ、頭を抱えていては光が見出せないが、
この事実に力強い希望を見る。
この映画、小説からもそんな構造を変えるような
変化が生まれて欲しいものである。


もうひとつ、主演女優賞をケイト・ウィンスレットが「愛を読む人」で
受賞したが、この作品にも原作がある。
きっと他の作品も原作があるものもあるはずだが、
私の読んだ範囲の中での話である。
日本では2000年に発売された
ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」がそうである。
当時はずいぶん話題になって私もすぐに読んだ。
押えを効かせた文章で淡々と物語は進むのだが、
非常に読後感の重いものであった。
こちらも是非。

ヒース・レジャーに番組のスタッフの予想通りオスカーが贈られた。
当然のことのように思うが、祝福すると同時に改めて故人の冥福を祈りたい。


大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 05:54 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年02月16日

神様は火と水が好き

仏教の場合は仏様だが、今回使用する写真がヒンズー教のものなので
タイトルは便宜的に神様でご勘弁ください。

okura0216.jpg

イスラム教、その他私が未踏の地で栄える宗教については
知識が足らないので、絶対にそうだと言い切れないのだが、
長年の経験と勘からすると
「神様は火と水が好き」いうのは
そう間違ってもいないのではなかろうか。

火は大きいものでは「阿含の火祭」みたいなのもあるし、
バラーナスのダシャーシュワメード・ガートで
毎夕行われるヒンズー教のプージャ(礼拝)では10個くらいの灯明が
付けられた金属の大きな燭台をブンブン振り回す。
神道でも火の粉が飛び散るような祭りは各地で見られる。

水は灯籠流しのようになじみの深いもの、
キリスト教の洗礼に使用される聖水、
日本の神社、寺院の清めの水、
修行で滝に打たれたりもしますね。
極めつけはやはりガンジス河での沐浴か。
私がいる間に年に一度の大きな祭りがあり、
そこに押し寄せた巡礼がガンジス河に押し寄せる様は圧巻であった。

前回紹介した「仮想儀礼」の中でも見様見真似で始めた
マンション宗教も灯明を灯し、
聖水ということにした水を使用している。

別に宗教とは何も関係ない日常生活でも必要不可欠な火と水であるが、
こうもどの宗教行事でも大切にされるのは何故か。
「大事なものだからに決まっているじゃないか」
正解。
大事なものは大事にされるのである。
ひとつひとつ吟味していけばさまざまな理由が付けられているが、
ぐっと引いて見れば大差ないように思われる。

人間は「生きる目的」なく置いておかれている。
宗教的に目覚められた方々は「目的」が明確になっているであろうが、
もともと何故宗教が必要であったかということを考えると、
やはり存在への不安があったと私は考える。
20万年前に出現したとされるネアンデルタール人も
葬儀の儀式を行っていた。
人間が出現したと同時に宗教は発生しているのである。
それは恐れからである。
何故生きているのかもわからないまま死に至る存在。
動物も同様であるが、
人間がややこしかったのはそれを恐ろしいと思ってしまうくらい
生物として「優れていたか」あるいは「劣っていた」からである。
これについて書き始めるときりがないのでこれで打ち切るが、
恐れから人間の宗教意識は発生したというのは間違いない。

火と水は人間にとって生きていくための絶対必要条件であったため、
それがなくなってしまったときの恐れ、また、
それがコントロールが効かなくなったときの恐れ、
そこから火と水は特別扱いされていったと私は考えている。

ガンジス河の水をインド人は飲んでいるが、
あれは真似をしないほうがいい。
インド人にはがっちり耐性ができているが
清潔に生きすぎてしまったひ弱な日本人には
とても耐えられるものではない。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 05:48 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年02月13日

「たった一人の反乱」の間違った読み方考察

最近はどんなことになっているのか全然わからないが、
この危機に突入する前は六本木、銀座のクラブ、キャバクラは
妄想で脳みそが赤味噌状態になったオヤジたちで
すごい熱気であった、と聞いている。

よくテレビでは大学病院の教授が「有望な」若いのを連れて
「ママ、ママ、今日子ちゃん呼んで!」
「先生ったら、もうご執心ね」
「いいから、婆さんは引っ込んでろよ」
「はい、はい、じゃ、ごゆっくり」
てな会話が交わされていると思い込んでいるのだが、
違いました?
やはり、お医者様でも若い娘がお好きなようで、
妻がいるのに婦長とできていたりして、
離婚するまで利用するだけしておいて、
離婚が成立すると自分より、
20も30も若い看護婦と結婚したりする。
そんなドラマ多いじゃないですか。
これって私の妄想?

世の中、そんなことで一杯なんじゃないかと心配していたら
私の友人のおじさん方に聞いてみると、
それどころじゃなくて、あっちが痛かったり、
こっちが不具合だったりして、
私の妄想はまぎれもない妄想であることが判明して
一安心した次第である。

しかし、めったにないことであるということは
たまにはそんなこともあるということである。
一体どこの輩がそんな不届きなことを。
そんなニュース見たりするから、
おじさんたちは唯一若い女性とお話ができる場所へと
足しげく通うのである。

私はもうそんな幻想は持っていないので落ち着いたものだが、
妄想こそ力の源という人もいるので
一概には否定もできない。

okura0213.jpg

東京でそんな若い女性のいる場所に
出入りすることはなくなったのだが、
海外や地方に出かけると、
いわゆるスナックみたいな場所に出没する。
そこにはカメラを持って行き、ちゃんと了解をいただいた上で
何枚か撮影させていただく。

もちろん、
「私の写真はご遠慮いただいているんですよ」
とか
「撮るなー」
とカメラをさえぎる方もいらっしゃる。
そういう時は撮りませんからご安心を。

そういう場の空気が漂う写真が結構面白い。
「いいよ、撮って」と言っておきながら
顔を隠したり、はしゃぎ過ぎてぶれてしまったりもする。
そんなところから恋が生まれたりすることもあるかも
と勘違いしていたのだが、
その幻想の呪縛から解き放たれた私は今とてつもなく自由である。
ただ、見ず知らずのリスナーの方にお願いするのも何なんで、
スタッフは若い娘さんたちと飲むときは、
「大倉さんもどうですか」
と誘ってみてください。
幻想はいつまでも幻想であることを常に確認しておきたいもんで。

丸谷才一の「たった一人の反乱」は上記のような
妄想オヤジの小説では決してありませんから
是非、ご一読ください。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 07:54 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年02月10日

たった一人の反乱?みたいな?

今でも
「私、ああいうオヤジ?みたいな人が大好きなの」
と、これはという単語の語尾を上げて話をする人がいる。
あれが流行り始めたのはいつ頃だったか、
かけらも思い出せないのだが、
普段そういう流行に乗れなかった私は、
ここはひとつのチャンス?かもと思い、
果敢にチャレンジしたのだが、
いざとなると、使い方がわからなくなり、
へんなところの語尾が上がってしまって、
大変恥ずかしい思いをした後、簡単に断念してしまった。
慣れないことはやめたほうがいいということである。

さて、我が国の政治の場では現在「たった一人の反乱?」
みたいなのが大流行である。
なんといっても首相自ら身を挺して、
誰に反乱を起こしているのか知らないが、
与党の議員から「えーーーーーーー」と、
驚きの声が上がるくらい
国会答弁でご自身の信念に基づいてお話されている。
その勇気には心から敬意を表するところであるが、
そのたった一人の反乱に
「頼むから黙っていてくれ」
「書かれたものだけを漢字を間違えずに読んでいてほしい」
とか与党幹部といわれる
ラジオでもないのに匿名希望の無責任極まりない輩から
キャンキャン言われて、翌日にはあるいはその日のうちに
「ありゃりゃりゃ、また違うこと言うとんなはる」
と地元福岡の方でも驚かれるような身のこなしに
凡人の私はただただ、目をみはるばかりである。
「ぶれていない」もお好きなようで、
私なんか相田みつをさんが言ったかどうか本当は知らないが、
「ぶれてもいいじゃないか、人間なんだから」
と声をお掛けしたくなるほどである。

首相が反乱を起こしてご苦労をされているからであろうが、
皆さんもそれぞれの反乱を起こしていらっしゃる。
杉村太蔵先生なんて、ずーっと前から反乱を起こしていらっしゃるから
ブヒブヒ鼻息荒くして、さらに火の手を揚げようとされている。

中川先生も蛮勇を振り絞りテレビで
「その瞬間に判断します」
とかまた反乱?みたいな事をおっしゃっていらしたが、
また、どっしりと椅子の上から動かず姿勢で
「動かざること山の如し」である。
さすがですね。

塩崎先生や山本先生たちは「たった一人の反乱」じゃなくて
「ちょっと集まってみましたの反乱?みたいなー」だから
同類じゃないな。

渡辺善美先生は「たった一人の反乱」だったけど、
今は一人じゃなくなりましたね。
70年安保の時の
「連帯を求めて孤立を恐れず」
にはしびれたが、政治の世界ってどうなんでしょうねえ。

しっかし、首相が一言話す度にあっちからもこっちからも
「たった一人の匿名の独り言」が聞こえてくるってのもすごいな。
しかも、与党の中から。
みんな、「たった一人の反乱ごっこ」である。
あんまり怒られないみたいだから、
もしかしたら、自民党ってすごい組織なのかも。
いやまさに70年安保でヘルメットをかぶった若者たちの魂が
自民党の議員の皆さんに憑依しているのかもしれない。

スッゴイぜ。
ニュース番組も取り上げるけど、
ワイドショウからも目が離せないもん。
民主党は反乱ごっこは禁止されているようで
見ている分には自民党の方が圧倒的に面白いね。
ってそんな状況だったっけか。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 14:29 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2009年01月12日

仕事始め

当然私の仕事始めは1月3日の放送であった。

その日のうちにブログ原稿をふたつも書いてしまい、
今年は新年早々良く働くなあ、
と感心していたのだが、
本当は半年も前から片付けていなければならない仕事があった。

写真の整理である。
もともと整理能力がなくて、
二十歳くらいから撮り始めた写真は必要なものだけ取り出して、
後はバラバラになっていた。

あちこちに脈絡なく溜め込まれていたものを
先日自宅にまとめて持ってきたのはいいのだが、
それが山になったまま、放置してあった。
見るたびに心が痛んだのだが、
私以外の人間は心痛まないので、文句を言われることもない。
そういうときの私は大胆である。
放置し続けたのである。

4日になっていきなり危機感を覚えた。
今年も目標なんてない私であるが、
山を改めて見ると
「どうにかしてくださいよ」
と訴えている。
本当は足の踏み場もない状態だったので、
「俺がやらなきゃ、誰がやる」
という至極当たり前のことに気が付いただけなのであるが、
私にとってはコペルニクス的転換が起こり
突然家にこもりっぱなしになり、整理に突入した。
本日現在もまだ志、半分のままである。
そろそろ嫌になってきたが、ここでやめたら意味がない。

そんなわけで4日にブログが更新されて以来、
私の原稿はアップされていない。
単純に書いていないからである。
本当は今日からはまた本読んで、映画見て、
ブログ書いて、J−WAVEに行って、
という予定であったのだが、まだまだ時間がかかりそうで困っている。
せめてブログだけはこれよりまともなものを書こうという意欲はあるが
どんなもんでしょう。他人事のようですね。

今回これで終わるのも何なんで、前から使うかもしれないと思いながら
チャンスがなかった写真も載せときます。

       0112okura.jpg

12年前に撮ったもので、
ネパールのチベット仏教の小僧が遊んでいる。
何しろ貧乏な国で子供が遊ぶ道具がほとんどない。
サッカーボールを蹴っているのを見たこともないし、
人形を使ったままごと遊びも記憶にない。
ただ、20本くらいの黒い輪ゴムをまとめたものを
サッカーのリフティングよろしく
一人で下に落とさないようにしているのである。
小僧さんだけではなくネパールのいたるところで同じように遊んでいた。

去年の1月に1ヵ月ネパールにいたが、
外にいる子供の遊びは変わってなくて、
同じように輪ゴムを蹴っていた。
金持ちの家にはゲームマシンくらいあるのかもしれない。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 08:28 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年12月29日

大倉眞一郎的BOOK BAR大賞 その他部門

前回の今年最後の放送では勝手に大賞をつけて
いろいろ発表しようと意気込んでいたのだが、
杏ちゃんと楽しくお話していたら、
いつの間にか時間がなくなって、本の大賞しかお伝えできなかった。
よく考えりゃBOOK BARなんだからそれでかまわない気もするのだが、
せっかくなんで書かせてください。


すごいもん見ちゃったな大賞

アンコール遺跡群で一番有名なのはアンコールワットである。
観光客もとりあえず全員そこを目指す。
わたしも行った。
素晴らしいヒンズー教の遺跡である。
しかし、全員が押しかけている上に、
みんな記念写真を撮るのが大好きでレリーフに見入る人は少なく、
あちこちで妙ちくりんなポーズをつけ写真を撮っているので、
親切な私としてはフレームに入らぬよう気をとられて落ち着かない。
団体でいらしている方々が多いので、すっごくうるさい。
仕方ないね、と納得はするが、少々気が抜けてしまった。

ところが、この遺跡群、アンコールワットだけがすごいのではない。
すぐ近くにアンコールトムの遺跡もある。
その中心に位置するのがバイヨンの遺跡である。
こちらが大賞獲得である。
おめでとうございます。
アンコールワットと違って仏教遺跡なのだが、
その造りはわれわれの想像を超えている。
須弥山(しゅみせん)という
世界の中心にそびえる山を模して作られたといわれているが、
同じアンコール遺跡というのに全く趣が違う。
117の観世音菩薩の馬鹿でかい顔がどこを向いてもこれでもか
というほど慈悲の光を浴びせかけてくる。

さて、ここでその写真を、と思ったのだが
大ボケかましてスキャンしていなかった。
そこで来年、このバイヨンの遺跡については放送で話すか、
もう一度ちゃんと写真つきでブログで解説いたします。

その代わりといっては何だが、タ・プロームという同じ仏教遺跡も
驚くべき特徴を持っている上、ちゃんとスキャンした写真があるので
そちらで楽しんでください。

    1230okura.jpg

規模はバイヨンより大きいのだが、手入れがされていなくて、
一見廃墟に見えるし、そうだともいえる。
この遺跡の特徴は巨大なスポアン(溶樹)に
遺跡が飲み込まれんばかりになっているところである。
どうしてここだけこんなことになってしまったのか、
解説されていない。
謎の遺跡である。本気で驚いた。


一番通ったラーメン屋大賞

この歳になると数年前まで毎日食べていたラーメンが
胃にもたれることがあるので、
ラーメンといえば大倉と言われていた神話が
実は虚構のものとなりつつある。
そういった情けない状況にありながらも通った店がある。
実は去年までは東京では2軒行きつけの店があったのだが、
東陽町にあったラーメン本には取り上げられない謎の店、
来来軒が突然閉店してしまったので、一軒だけになってしまった。
なくなった来来軒は
客の95パーセントがタンメン、餃子を注文していた。
11時過ぎから3時くらいまでは
気が萎えるくらいの大行列が途切れることがなかった。
この店大儲けしていたはずなのに
どうしてやめっちゃったんだろうか?
近所の八百屋さんの話では体調を崩して、
ということらしいのだが、従業員全員家族でやっていたので、
どうにか続けられたのではないかと思う。
悲しい。
銀座のバーのママさんに教えてあげたら
週に2、3回はタクシーを飛ばして通っていた。
それくらいの店であった。
ネットでも惜しむ声しきりである。
来年の復活を強く望む。

大賞に輝くのも人気店なので紹介はするが、
行かないでいただきたい。
そもそも混んでいるので、これ以上並ばれると迷惑である。
両国駅のそばにある丸玉(実際には玉を○で囲んである)
が受賞されました。
おめでとうございます。
ここは支店のはずだが、
本店が他県のため支店のみにつき受賞である。
鶏スープなのだが、濃さが半端でない。
白濁しており、トロトロである。
私がいつも頼むのは、からし・ねぎ・あおさの超豪華版で
ここまでやると少々値は張るが後悔はない。
まず、一杯を2分でやっつけて替え玉をいただく。
あおさが訳がわからないほどこのラーメンに合う。
平日はいつもJ−WAVEが流れているのだが、
土曜は何故かニッポン放送の「アッコのいい加減に1000回」である。
いつも和田アキ子に怒られながら食べている。
絶対に皆さんは行かないでいただきたい。


アートにつきましてはいくつか展覧会に行きましたが、
さすがにアンコール遺跡の実物の迫力にはかなわないので
今年は該当展なし。


今年リリースされたCDで唸った大賞

放送では杏ちゃんに影響されて日本の楽曲をかなり聞いた話をして、
加藤千晶を紹介したが、あのCDは2008年のものではない。
今年もまたCD屋に行くたびに後悔するくらい買い込んでしまった。
一番を決めるとなるとやはり迷うが、
Haydee Milanes(アイデー・ミラネス)の「en vivo」となった。
キューバの女性ヴォーカリストのライブアルバムである。
しなやかさ、力強さ、なめらかな艶。
どれも絶品。お勧め。

ということで、今年ももう終わりである。
正月お笑い番組で大笑いした後、すぐにネパールに行き、番組が始まり、
映画見て、ブログ原稿書いているうちに終わってしまった。
時の速さについていけない。
でも、来年も、自分の時間で。

皆様、良いお年をお迎えください。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 09:13 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年12月27日

大倉眞一郎的本年度BOOK BAR大賞 映画部門

今年は3月末まで
ネパール、カンボジア、ラオス、ベトナムをうろついていたので、
見た映画が少ない。
年末ギリギリまで見たとして150本くらいであろうか。
と、格好をつけてみたが、
そもそも映画評論家でも何でもないので、
まだ会社をやっていた頃は精一杯見た年でも
とても100本にはとどいていなかった。
今は試写のご案内をいただくこともあり、大変幸せである。
しかし、本日の映画部門の発表については試写で見たから
順位が上がったということはまったくない。
まあ、私のチョー勝手な評価であるから
気にする人なんていないと思うが。
本当はいざとなってみると
「大倉の見てる映画なんてこんもんかよ」と言われそうで怖い。

では、10位から

●10位  INTO THE WILD
      ブログにも書いたが、主人公の「純粋さ」もさることながら、
      アメリカのある意味での懐の深さに感じ入った。。

●9位   神様のパズル
      宇宙が好きなんだからしょうがないじゃん。
      谷村美月も大変よろしい。
      「幸運な宇宙」を読んだ後だったので特に印象が強かった。

●8位   コレラの時代の愛
      ガルシア・マルケスの
      どちらかと言えば私にはつまらなかった小説が
      映画化されたものだが、ハビエル・バルデムの秀逸な演技と
      実に南米的な絵作りで印象が全く変わってしまった。
      フェルミナ、フロレンティーノという登場人物の名前も好き。

●7位  クローバー・フィールド
      とにかく怪獣映画はどんなものでも見に行くのである。
      怪獣がほんのちょっとしか見えないテクニックのせいか、
      子供のように怖かった。
      「ブレアウィッチ・プロジェクト」と似た手法が使われている。

●6位  クライマーズ・ハイ
      杏ちゃんが本を紹介したが、私は本は読まずに映画を見た。
      当たり前の話だが、
      映画はやたら金を使えばいいというものではない。
      役者の演技でここまで作り上げることができる。
      出演者全員二重丸。

●5位  THE BANK JOB
      これもブログで紹介した。
      詳しくはそちらを参考にされたいが、
      私の場合、舞台がイギリスだと点が甘くなる傾向がある。
      タランティーノの「ジャッキー・ブラウン」
      を見たときの興奮を思い出した。

●4位  イースタン・プロミス
      あちらこちらから「見るべし」と勧められて、足を運んだ。
      これも舞台はロンドン。
      全編緊張感でピンピンに張りつめた一本。
      監督は大好きなデヴィッド・クローネンバーグだが
      こんな映画も取れるとは夢にも思っていなかった。

●3位  NO COUNTRY
      コーエン兄弟の映画に間違いはないが、
      これは群を抜いていた。
      ここでもハビエル・バルデムが圧倒的な存在感。

●2位  SHINE A LIGHT
      ストーンズXスコッセッシ
      文句あっか。

●1位  ACROSS THE UNIVERSE
      ビートルズXジュリー・テイモア
      文句あっか。

しかし、順位をつけたものの、あまり意味ないか。
要は好き嫌いである。

ブログで紹介しておきながらこの中に入っていなかったり、
紹介していないのに入っていたりで、おかしいと思われる方。
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

たまたま見た週、ほとんど二日酔いで書けなかったり、
上映終了直前に見たものもあり、
こんな具合になっております。

このランキングを無理やり作るにあたり、
最後はサイコロ転がす状態になりました。
そのくらい差がなかった映画が
あと21本あったことをご報告しておきます。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 14:54 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年12月24日

赤鼻のトナカイ

特に50を過ぎてクリスマスが楽しみでなくなったわけではなく、
「クリスマスは恋人同士で過ごす夜」ということになってから
さっぱり興味をなくしていた。
ロンドンにいた頃は
「日本ではクリスマスっていうと、みんな何とかセックスしようとする日なんだぜ」
とばらしていたが、連中も羨ましいという顔をするだけで
「おかしいよ、君たち」とは言わなかった。
イギリスでは北アイルランド紛争があったにもかかわらず、
普段の生活では宗教が表に出てくることはなかった。

とはいってもみんなクリスマスは大好きで、
11月に入るともう浮かれモードに入っていたものである。
私はどうでもよかったのだが、
クリスマスに近くなると事務所のイギリス人は
「クリスマスプレゼントを買いに行くので、午後はいません」
と言っていなくなっていた。
どうしたもんかと、関係会社のイギリス人社長に聞くと
「ほっとかないと面倒なことになるぜ」
と誠にありがたい助言をいただき、好きにしてくれ、ということにしていた。

そんなことを思い出しながらこの原稿を書いているのだが、
実は恥ずかしながらこの私、クリスマスソングは大好きである。

今の杏ちゃんみたいに素直にサンタクロースを信じていた子供の頃、
やたらはしゃいでいた記憶があるので、
その時に刷り込まれていたのだろう。

今日「真っ赤なお鼻の・・・」
と、鼻歌をフンフンしながら歩いていた時に、唐突に思い出した。
この歌について私は何十年も重大な疑惑を抱いていたのだった。
それを誰にも問うてみたこともないし、
誰も「どんなもんか」と聞いてきたこともなかった。
それをこの歳で公にするというのもおかしなものである。
ごめんなさい。

赤鼻のトナカイがいるという設定はいいんじゃないの?
そんな歌だし、世界中探せば何匹か鼻が赤いのがいても
そんなに不思議なことじゃないだろうし。

いつもみんなの笑いものになっていたというのはかわいそうだが、
それ「いじめ」だから歌詞変えろ、
歌わせるなというほどのことでもなかろう。

でも、いきなり、その年のクリスマスの日にサンタクロースから、
暗い夜道はお前の鼻が役に立つ、と言われて、
今夜だけ喜んだというのはおかしくないか?
前の年、その前の年はどうだったのよ?

実はそんなことはどうでもいい。
トナカイの鼻が赤いというのは、
いいじゃないのというのは前述の通りだが、
赤いというだけで、どうしてピカピカの鼻が役に立つのか?
その鼻は光っていたのか?
赤いだけでは夜は役に立たない。
蛍のケツの少なくとも100倍くらいは光っていないと、意味がなかろう。
赤いだけだと夜道ではそのまま暗いだけじゃないの。

暗い夜道でそりを引っ張っていくのであれば、
先頭を走っているんだろうが、
その他の黒い鼻のトナカイはいたんだろうか、
一匹で引っ張れるほど、サンタのそりは軽くない、はずである。
いろいろ苦労がありそうではないか。
「出る釘は打たれる」なんてことになってないか?

わかったのは赤鼻だったのはルドルフである。
ルドルフという名のトナカイ。
もともとの英語の歌詞では赤鼻の上に「a very shiny nose」であったという。
ということは光っていたわけである。
やはり赤いだけでなく光っていたのである。
じゃ、しょうがないな。
よかったね、というお話でした。

Very Merry Christmas!

                               大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 13:23 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年12月12日

独占スクープ!やはり幽霊はいた、らしい

どうしてこうも放送で話しときゃ面白かったかも
という事を忘れているのだろうか。

私は放送で話したとおり幽霊だのUFOだのは、
いてもいなくてもいい、と思っていることは変わりないのだが、
ごく身近にお化けと手をつないで寝ていた人や、
死んだ親戚が今生の別れに現れたという人がいたことを
すっかり忘れていた。
それが全然知らない場所でのことならどうということもないが、
私が住んでいた家で起こったことである。
健忘症だけで済まされるのか、
あるいは理由があって思い出さないようにしているのか
興味深いところである。

そういう体験した人間は
「大変、大変、俺スッゲーもん見ちゃったぜ」
と騒ぐことはなく、
「見たよ」
「触ってたよ」
と淡々と話す。
そうすると逆にあるんだろうな、いるんだろうなあ、
と主張を変えそうになる。

場所は日本ではない、ロンドンに住んでいた時のことである。
私は最初の4年間、アビーロードのネヴィル・コートという
かなり建てられて年月がたっている集合住宅にいた。
真冬には床下の水道管の水が凍り付いてしまい、
プラマーを呼んでも、
「こりゃどうしようもないから、ストーブを床に向けて暖めとけ」
という摩訶不思議な手当てを言い渡されたりするくらい古い建物であった。
3日間、温水、暖房のない暮らしを強いられた。
なぜかひとつだけ冷水の出る蛇口があったので、
それでトイレの始末はできたが、ここは本当にG7の国か、
といぶかしく思ったものである。
その時はロンドンの3分の1の家庭で同じことが起こったと聞いた。

そういうところだからかもしれないが、
ロンドンではお化けスポットが結構多い。
会社はバークリー・スクウェアという場所にあったのだが、
そこにも有名な幽霊屋敷があった。
行ったこともないし、実際に見たという人も知らないが、
そういうことになっていた。

しかしねえ、まさか自宅にお化けの出る部屋があったとはねえ。
今更だけど驚いちゃうよ。

会社の仲のいい同僚がロンドンに来たときに
泊まってもらっていた部屋があった。
小さな寝るだけの部屋であるが、さんざん酔っ払って倒れるだけなのだから
どこでもかまわないのである。
一人で2週間イギリスに来てずっと泊まっていった根性のある人がいた。
前の晩も大酒食らって、お互い倒れるように寝たのだが
翌朝、「ちょっと報告しとくね」、と言うので寝小便でもしたかと思ったら、
「昨日、横になってからすぐに白人のおじいさんがやって来てね、
朝までずっと俺の手を握ってたよ。
全然危険を感じなかったので、そのままにして寝てたんだけどね」
としらっと話すもんだから一応驚いたのだが、そんなこともあるのね、程度の
マグニチュードであった。
同じ部屋でやはり私の妻が
「私も夜、白人のおじいさんを見たよ」
と昨日になって話し始めた。続けて
「日本に帰ってからも〇〇さんが亡くなった時に私のとこに来たよ」
と幽霊には慣れているようなことを言う。
そういうことは、その時に教えて欲しい。

二人のケースに共通するのは全く怖くなかったし、
何かを特に訴えている様子でもなかったという。

それで霊能者になって一儲けしてやろうという野望はないようで
ごく普通の生活を営んでいる。

私はどこにいても何も感じない鈍感な男なので
「へー」
だけで済ませている。
それで特に困ったことがないからですね。

でも、もしその気になったら私のとこにも来ていただいてかまいません。
大歓迎はしないけど、
「こんにちは、どうですか?そちらはお元気ですか?」
くらいの話はしてみたいです。

                             大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 03:31 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年12月09日

衝撃の告白!私は臨死状態になったことがあった

タイトルが派手だと読んでもらえるかも、と思いました。
内容はテレビのバラエティ番組より薄いかもしれません。

前回はオカルト特集のような内容になってしまい、
こちらは面白かったのだが、皆様はいかがだったろうか。

実はわざわざ立花隆の「臨死体験」を取り上げていたのに、
自分にはそんなことは「なーんにもない」と何も考えずに話していたのだが、
ふと今日になってそういえば私は臨死状態になったことがあるのを思い出した。
そんな大事なことを何故忘れていたのだろうか。

生まれた時のことだったからである。

私は生まれは熊本の八代、育ちは下関。
母が熊本、父が下関出身である。
いずれにしても薩長土肥連合の中での移動である。
親はそんなつもりで結婚したわけではなかろうが、
どちらかが会津出身ではまだあの時代、
なかなか難しいものがあったと思われる。

私の両親の恋愛話ではない。
私の母親は当時、熊本地方裁判所八代支部で働いていた。
そこで身ごもり、初めての子供を心待ちにしていたらしい。
らしい、というのは私の話ではないので
一応そういうことで聞いています、ということである。

私は予定日の一ヶ月以上前に母親に陣痛をもたらし、驚かせたようだが、
陣痛は微弱陣痛と呼ばれるものでそれが2日間も続いたという。
その頃から自己主張のできない運命を背負っていたのかもしれない。
そんな状態が続くと腹の中の子供は弱ってしまうようで、
出て来ると身体が紫に変わっており、
父親(精神科医だったので産科のことはさっぱりわからなかったようである)が
真っ青になって走り回る医者、看護婦さんに「どうですか?」
と聞いても何にも返事をしてくれなかったそうである。
どのくらいで呼吸を始めたのかは定かではないが、
仮死状態で生まれたことは確からしい。

これから先は臨死の話ではないが、
母親はおっぱいが大きいことが自慢だったらしく、
こんなおっぱいなんだからたくさん母乳も出ていると勝手に思い込んでいて、
いつまでもお乳を欲しがり泣くわたしを困ったガキだと悩んでいたらしい。
ところがある日、職場に連れて行ったところ、同僚から
「どうしたの!こんなに痩せちゃって」
と叱責を受け、初めて私がわがままで泣いていたのではなくて
自慢のおっぱいのせいだということがわかったと昨日告白した。
母乳の出が極めて悪かったのである。
もう生まれて51年である。51年目の告白。
かわいそうな私。
仮死状態で生まれて、ようやく生きていくめどがついたと思ったら、
ずーっと腹を減らして生きながらえていたのである。
こちらは涙が出そうになったが、当の母親は
「ぜんっぜん、わからんかったんよね」
と、申しておりました。
で、4歳で下関に行ったのだが
いきなり虫垂炎で入院、手術、暴れて失敗、再手術。
それまでもずっと虚弱児。
なんか大変じゃない?

よく催眠療法で自分が生まれた時にまで記憶をさかのぼってみる、
という本当か嘘かよくわからない話があるが、
もし本当にそんなことができるのなら臨死体験を追体験できるかもしれない。
すごく興味があるのだが、そこに至るまで、
手術や飢餓体験まで味わわねばならんとなるとすごく気が重い。

okura1209.jpg

私が世界中を歩いていて道端の道祖神や地蔵、
あるいは水子地蔵の集団を見ると
なかなか離れられなくなるのはそんな理由があるのかもしれない。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 08:51 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年12月08日

未國

姪から今度舞台に主演で出るということを聞くまで、
恥ずかしながら、この「未國」という謎の集団について全く知らなかった。
見た後もどういう集団なのかと聞かれて、
これと言い切れないところが面白い。
勝手に規定させてもらうと音楽舞踏集団という
そのまんまの言い方しかできないのだが、
文字にしてしまうと「違うなあ」という印象になる。

ちなみにチラシには

身体、声、リズム、そして異形の物語...
プリミティブな感性を呼び覚ます集団「未國」

というフレーズが書かれている。

要は一言では表現できないということなのであろう。
考えてみれば、作る、表す、伝えるという行為を「これは〇〇です」
と言い切ってしまうほうが無理があるのかもしれない。

11月末に吉祥寺の「吉祥寺シアター」で4日間行われた公演は
2部に分かれており、1部が「稀人(まろうど)」、2部が「禍」。
大変好対照な演目で全く退屈することなく、
ドキドキしながら舞台に見入っていた。

20代はよく小劇団から赤テント、
大舞台の仕掛け充分のものまで足を運んだ。
隣の人間とギューギューにくっつき靴をビニール袋に入れて持って入る
完全に消防法に違反している劇場で、ある意味一人よがりながらも
エネルギーにあるれた舞台を見ていると、
妙な連帯感が生まれてきて、あたかも舞台の上の人間と観客で
何かを作り上げているような感覚を得たものである。

変なのがたくさんいた。
確かあれは演劇団だったと思うが、
彼らの芝居を見に行った時には真っ暗な待合室に
いきなり軍服を着た連中に観客は全員整列させられ、
「これから舞台に出る人間を無作為に抽出する」
と一番偉そうなのが宣言すると、
あちこちから
「ギャー!ヤメテー」
「何するんですか!」
「いい加減しろよお前ら」
とかさまざまな罵声が飛び交う大混乱寸前の事態に陥り、
わたしの隣にいた男性は小声で、
「とんでもない話ですよね、帰ろうかな」
とつぶやいていたが、足がすくんで動けないようであった。

蘭童セル(ランドウセル)という女優が好きだった。
今どうしているかと調べてみたが、
ポルノ映画に出演していた話ししか出てこない。
本当は舞台でもずいぶん活躍していたのに残念なことである。
しかし、この蘭童セルが初めて出たと思われる
「私は犯されたい」という80年の映画は私も見に行った。
ポルノのつもりで行ったらこれのどこがポルノよという内容のもので
あまりの映像美と実験的ストーリーに衝撃を受けて、
みんなに勧めていた記憶もある。

しかし、ロンドンに行って以来、
すっかりそんな場所に足を踏み入れることもなくなっていたし、
「いまさらそんなものは」と思っていた。

未國の舞台は私の中で封印していた何かを揺らせ始めたようである。

        okura1208-Y2.jpg

1部は箆津弘順(のつこうじゅん)と平田沙織が
平安京での物語をライブの音楽、歌に合わせ踊るのであるが、
箆津はフラメンコダンサー、平田はバレエダンサーである。
どうなるのかと思ったら、どんなジャンルにも属さないダンスで、
そのためらいのない素朴にして複雑な身体の動きは
表現でありながらも衝動であり、身体的な言語があるとすれば
このようなものかもしれないと思わせるものであった。
箆津はすでに世界的な踊り手として知られているが、平田はまだ若い。
これから彼女がどの方向に向かうのか大変楽しみである。
と、そんなわけでその平田沙織が私の姪である。

okura1208-Y15.jpg
写真は2枚とも塚田洋一氏撮影。

2部は比較的私にも馴染みのある構成である。
全然分かってないとお叱りを受ける可能性大であるが、
暗黒舞踏+寺山修二+サーカス的香り満載。
舞台のどこに顔を向けても純粋に楽しめる。
胸にモヤモヤが湧いて来て、表現することへの欲求が抑えられなくなる。
できるかどうかが問題ではなく、こちらは客なのでその欲求を楽しめばよい。
魅力的な女性ダンサー、ミュージシャン(男性もいます)が多数出演している。
全員に魅了されたが、私には歌を歌った深井三実が一番印象的であった。

しばらく未國の追っかけをやるつもりである。

                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 07:31 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年11月24日

戦後

「もはや戦後ではない」と経済白書で宣言されたのは
昭和31年(1956年)のことである。
私の生まれる1年前。

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前回紹介した「マイナス・ゼロ」の舞台は戦前、戦後をまたぐ。
主人公はタイムスリップして驚くのだが、自分が一度体験した世界に戻るので
何がなんだか、というほどのことでもない。

何がなんだかわからなかったのは、
戦前も戦後もその時を生きてきた人たちであろう。
私の父親が元気な頃よく話していたが、
戦争が終わって一番驚いたのは、
あれだけ「本土決戦」「総玉砕」と竹やり持って大騒ぎしていた人たちが、
いきなり竹やりを放り出して、
今度は民主主義だと声高に言い始めた事だったという。
父親が18歳のことであった。
同じことは野坂昭如も繰り返し、小説、エッセイの中で書いている。
今の言論人でも戦前は「軍国少年」であったという人は少なくない。
「もう何がなんだかわからなくてねえ」
てな調子で過去を振り返っているが、
いい大人になったんだから、それなりの総括はして欲しいものである。

私が生まれた時には、もはや「戦後」ではなかったらしいが、
物心ついてからも充分戦後を感じていた。
熊本でも下関でも繁華街に出れば足や手を失った傷痍軍人が、
白い木綿の服を着て膝をつき、頭を低くしひたすら喜捨を待っていたり、
アコーディオンを弾きながら物悲しい歌で通行人に訴えていた。
私はその人たちが何故そんなことをしているのか理解できず、
恐ろしくもかわいそうで、親に何度も問いかけたが、
胸のつかえが取れるように教えてくれたことはなかった。

あの傷痍軍人にとっては恐らく死ぬまで「戦後」は続いていたはずである。

私の家の前の道は当然舗装されておらず、
車が通るたびに目と鼻を覆わなければひどいことになっていた。
その道をやはり戦争で負傷し、精神的にもダメージを受けた人が、
よく妙な歌を歌いながらのろのろ歩いていた。
悪ガキどもにとってはうってつけのからかいの対象で、
しばらく追いかけながらひどいことを口にしていた。
私もその一人であった。
経済的には戦後のダメージを脱していたのかもしれないが、
人は口には出さないが、まだ深い傷を負っていたのだと思う。

日本人がそうであったのだから、
当時の在日の方々のことを思うともう何もいえなくなる。
小学校の現場でもどうしようもない教師がいた。
肉体的にも言葉でもとんでもない差別を生徒の前で堂々と行っていた。
どうしても忘れられない。
自分もそれに加担していたような気がしてくるのである。

昭和という時代に対するノスタルジーはますます強くなってきているが、
都合のいいところだけを思い出すのは
そろそろ止めたほうがいいのではなかろうか。
できの悪い大学生が適当にあちこちでかかれたものを
切り張りして書いたような田母神論文が賞を取ったりして、
政治家まで「間違っていない」てなことを言うのを聞くと、
逆に日本人としての誇りを激しく傷つけられる。


                              大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 09:41 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年11月19日

花やしき

前回の放送で遊園地の話になった。
このところさっぱりお世話になっていない。
そういえば学生時代に彼女と行って以来だったかなあ、
と思い出そうとしたら、そんな方と行った記憶もない。
私の過去には華やかな出来事はなかったのだろうか。

ジェットコースターに最後に乗ったときのことは鮮明に覚えている。
30過ぎてアメリカの大学で適当に過ごしていた時に、
会社から一緒に送られてきた仲間と遊園地に行った。
名前も場所もなーんにも覚えていない。
そのジェットコースターは極めて簡素な造りになっていて、
日本なら膝をギュッと押さえて落ちないようにしてくれる仕掛けがあるのに
そこのはただ前の座席の背にバーが取り付けてあるだけ。
このバーを離してしまったら、場所によっては確実に落下する。
しかし、そんな適当なものであるからして、
お子様向けのチョイチョイとアップダウンを作った
恐るるに値しないものだと信じていた。

冗談抜きにして死ぬと思った。
トップまで登りつめると、一気に半端な下降でなく、
奈落に落ちて行ったと思いきや、
右に左にすさまじい遠心力で持って振り回される。
その間、何の支えもない私のケツは宙に浮き、
カーブではすさまじい横Gにより座席から飛び出さんとする。
大げさなことを言っているのではなく、
わらより少しはましなバーだけが命綱であった。

何人そのジェットコースターで殺されたか知らないが、
危ないところであった。
若い時でよかった。
今だとバーを握りきれないかもしれないし、
心臓が止まるかもしれない。

それが最後のジェットコースター体験である。
今後も乗る予定はない。

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花やしきはいい。
個人的にはまず名前にぐっとくる。
菊人形と同じ不気味さを感じる。
遊園地なのに花やしき。
調べてみたら驚いたことに開園は嘉永6年(1853年)である。
植物園として営業していたということである。
長く胸につかえていたものが今氷解した。
それで花やしき。
だんだん見世物が増え、動物園まであったという。
1942年に一度は取り壊されたそうだが、1947年に復活したそうな。
ああ、戦前に行ってみたかった。
今でも充分変わった風情のある場所だが、もっと面白かったに違いない。
きっとジェットコースターなどという無粋なものはなかったはずである。


               大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 07:10 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年10月09日

整形外科ジャンキー

かつて美容整形は整形外科と呼ばれていたこともあった。
私は整形外科にお世話になることになって
「大倉はとうとう二重にするらしい」
などという噂が立つのは嫌だなあと躊躇したことがあったのだが、
何のことはない。
みんな普通にあそこが痛い、ここが痛いで
通っているのがわかり安心した。

この5年くらい整形外科にお世話になることが増えている。
治療内容は秘密だが現在も隔週で通っている。
「ビューティー・ジャンキー」並みである。
そのうち別人28号の顔で現れたらびっくりしてください。

もちろん理由があって病院に行っている。
あちこちたいしたことのないガタがきているのである。
しかし、どうでもいい話を書いても面白くない。
したがって、本日は一番聞いて顔が曲がりそうになるくらい
痛そうな話をお届けしたい。
痛い話が苦手な人はこれ以上読み進めるのは止めてください。

それはちょうど私が会社を解散した翌日であったと記憶している。
去年の10月の頭である。
折しもインドに旅立つ約3週間前。
毎日理由をつけて飲んでいたので、いつも二日酔い。
会社を解散して気も緩んでしまい、
せがまれるまま家で昼間から猫と遊んでいた。
うちの「もみじ」は走るのが好き。
猫じゃらしを持って、狭いマンションの端から端まで走り回ると、
猫も時には私を抜き去って行ったりする。
競走になったりしている。

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家の中では私はメガネをはずしていることが多い。
大体本を読んでいるのだが、
私の場合は近くのものを見るときはメガネがないほうがよく見える。
ほんの10分猫と遊ぶからといっていちいちメガネをかけたりしない。
ここから間違っていた。
しかし、メガネをかけていても二日酔いだったので結果は同じだったかも。

猫と走り回るのは楽しいのだが、すぐに私も猫も疲れるから
通常は最初の数回一人と一匹は全力で部屋を駆け回る。
あとはやる気のない一人と一匹なのだが、事件は早くも2周目で起こった。

私はもともと普段歩いていてもよれる傾向があり、
よく足の小指の先を柱にぶつけて、
しばらく丸くなって呻いている。
使うこともないあんな足の小指に神経を集めておくとはどういうことなのだろうか。
みんな同じかもしれないが、私の足の小指は特に敏感にできているような気がする。

全力疾走といっても部屋の中のことである。
たいしたスピードは出ていないのだが、
またしても小指をどこかにぶつけた。
どこにどうぶつけたなんてわからないでしょ、普通。
二日酔いなのだからなおさらである。
「またやった。アホだな、俺は」
と私を見上げるもみじを無視してソファに転がり、
小指を押さえて仏様に
「この耐え難き痛みを取り除きたまえ」
と念仏を唱えていた。

痛みは一向に引かない、むしろ増すばかり。
やっぱりこういう時、仏様はだめだな、
神様にしようかと足をのぞいたら、あららら、
血が出ているじゃないの。
血は特に怖くない。
しょっちゅう血液検査で血を抜かれているからかもしれない。

皮でも剥けたかと丸くなって痛みの元を観察すると、
「..........」
こんな恐ろしいものは見たことがない。
自分の身体なのに。
てっきり小指の外側の皮を剥いたと診断していたのだが、
場所が少しずれていた。
小指と薬指の間から出血している。
どうしてよ?
さらに元を確認すると、
「うげげげげ」
指の間の股が裂けている。
どのくらい?
パックリ中の肉が丸見えになるまで。

こりゃいかん。死ぬかもしれない。
バンドエイドじゃ直らないことくらい私でもわかる。
行きつけの病院に電話すると医者が不在だという。
これがあの有名な患者たらいまわしか、
テレビ局呼ぶぞ、と怒鳴りかけたら、
ちゃんと近くの病院とそこの電話番号まで教えてくれた。

タクシーですっ飛んで行って、受付に
「大変です。股が裂けました」
と訴えたが美人受付嬢は落ち着いたもので、
「どこのですか」。

診察室に通されて身を任せると、
「おお、きれいに裂けてますね。どうしました?」
「いや、猫と遊んでて...」
「..........」
50のオヤジが平日から猫と遊んでて指の股を裂いたのである。
怪しく聞こえないのがおかしい。

すぐに縫ってくれた。6針。
「きれいにスパッと裂けてますから、多分そんなに時間かからないと思いますよ」
「先生。普通裂けますか?」
「普通裂けませんね」
「インドに行くんですが大丈夫でしょうか」
「インド?何しに」
「いや、ちょっと」
「3週間くらいはみたほうがいいですね」
よし、ちょうど3週間。問題なし。

実際3週間後には痛みは残っていたが、
デリーに向かう中国国際航空の機上の人となっていた。

こちらの先生、時々聞かなくてもいいでしょう、ということを聞くが、
さっぱりしていて気に入ったのでちょくちょくお世話になっている。
指の股を裂いた方がいたらご連絡ください。


大倉眞一郎


BOOK BAR staff| 11:53 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年09月18日

下関弁

下関弁当のことではなく、下関の方言にまつわる物語である。
無駄に長いけど、読んでね。

ちょうど「オクシタニア」で大阪弁がオック語の表現に使われていたし、
杏ちゃんの「田村はまだか」が同窓会の話で、このふたつに引っ掛けて
何か笑いネタをひとつと思案していたら、これ以上ないというのがあった。
笑えなかったら金は返す。

話を面白するためのかわいい嘘と単純な間違いが混入している可能性もあるが、
リアルにしたいので登場人物の名前はすべて本名である。
基本的に彼らは重要な役割を負っていないので、問題ない。
怒ったら今度下関で一杯飲ませよう。

私の高校時代の友人はバンドの仲間か、
落ちこぼれて自習時間のみ卓球部であった人間に限られているが、
今回は主として山陰
(下関ではさびれた所やねえ、というやや差別的な意味合いを含むことがある)
から通っていた友人と体験した話である。

高校を卒業して最初の夏休み、
下関を離れて東京で暮らす友人と一人だけ岡山の大学に行った
ハゲ山さん(本名:中村)の実家に泊まりで遊びに行った。
(50を過ぎた我々は今でもそのころのあだ名で呼び合う。
若い人たちに忠告しておくが、
歳をとって絶対に呼ばれたくないあだ名を持っている人は、
今から改名宣言をしておいたほうがよい。
私は今でも「イモ」と友人、及びその奥様方から呼ばれている。
さすがに奥様方は「イモさん」と呼んでくれるが、私はあまり嬉しくない。
これが死ぬまで続くかと思うとちょっと考えてしまうことがある。
葬式の時の弔辞とかはどうなるんだろう。
死んでも安心できない。
ちなみに、「ハゲ山さん」は高校時代、
ほんの少し薄いかもしれないという理由でつけられたあだ名であるが、
現在全然禿げていない。本人はともかく奥様の心情を察すると心が痛む)

全然話が進まない。

我々、モトブー(本名:岸田 小学校のころ太っていたから)、
岡部さん(こいつにはなぜかあだ名がない。なくても充分に面白いからだと思われる)、
ミキちゃん(本名:中川 単純に名前が幹彦だったから。男である)
に私を加えた4人は、昼は岩場で泳いで、
晩はハゲ山さんの家で酒呑み放題で豪勢な海のものをご馳走になって、
マージャンやって、歌でも歌おうやー。
と田舎ならではの完璧なプランを立て、山陰深部である湯玉に乗り込んだ。

ハゲ山さんのうちは漁業もやっているので、岩場でサザエを取っても大丈夫である。
と思うが本当に許されることであったのだろうか。
山陰で育った人間は、他にすることがなかったのでみんな泳ぎが達者である。
潜りも見事で海女さんのように、しばらく上がってこない。

私は。
私は泳げなかった。
町の子はひ弱である。
近くに海はあったのだが、町の海はきたなくて、どぶの匂いがした。
そんな臭い海で、ザブンザブン波がくる中、泳げるわけがない。

昔、生野小学校、山の田中学校
(やはりこの名前は恥ずかしい。
せめて山田中学校であってくれていたらと思う)
には、プールがなかった。だもんで誰も泳ぎ方なんて教えてくれなかったのである。
羨ましくもないが、私が卒業してからどちらにも立派なプールができたそうである。

というわけで30歳を超えるまで私は泳げなかった。

泳げない私はどうしていたかというと、
若武者たちが岩場から足の届かない未知なる世界の深みへ飛び込んでいくのをただ眺めていた。
彼らは焼けるような日差しの中に置いていかれた私を振り返ることもない。

「くそ面白くもない」
海に石を投げて、焼けるに身を任せていた私であったが、
突然、光明が射した。
あーっちの方から年のころひとつふたつ下の麗しい女性三人が
手持ち無沙汰にやって来るではないか。
つまり女子高生である。
今はそんなションベン娘に発情することはないが、
当時の18、19歳は全員一年中発情期である。
いかにせん。
いかにせんとあせっても、こちらは女性の手も握ったことがない。
本当に田舎の子は何でも遅い。
東京で同期の学生さんは、ほとんどいろいろと人生経験を重ねていて、
腹が立つったらありゃしない。今でも。

私のいたたまれないほどの焦燥感とは関係なく、
彼女たちはズンズン進軍してくる。
勘違いであることを祈ったのだが、私のほうに向かってくるように見えた。
それまで、そう思ったときはすべて勘違いだったので、
今回も見逃してくれるかと思ったら、やはりターゲットは私であった。

3人の中のリーダーと思われる美しく背が一番高い
可愛いビキニ姿の山陰のお嬢さんが、何事かを私に問うた。

問うなよ、もう逃げ出したいんだから、という姿勢に問題があったのだろう。
「&#$%¥*?」と流行の表現を借りてみたが、
彼女の言っていることが単語のひとつすら理解できない。
「へっ?」っと言ってみた。
「へっ?」じゃないだろうという顔をしたが、
親切なことにもう一度繰り返してくれた。
前より長く話してくれていたような気がする。

全身が硬直していて、脳まで機能が停止していたとしか考えられないのだが、
今度も火星人が話しているように感じた。
だが、今度「へっ?」じゃ俺の人生はメチャクチャになると恐れおののき、
とっさに
「この辺にゃ、イラはおらんよ」
と答えていた。
鳩が豆鉄砲を食らった顔を初めて見た。
美少女の顔のパーツが中心部に向かってしぼんでいった。
こりゃまずい。

話をつなごうと
「イラはおらんけー、泳いでもえーと思うよ」
追い討ちをかけたら、こいつはアホやったか、と返事もせずに去っていった。
失礼な奴らである、
ではなくて、浜に穴掘って二度とこの世に出て来れない地底人になりたかった。

危機は去ったが、荒涼とした心の荒野に一人たたずんでいた私に誰かが声をかけた。
「あんた、誰と話しよったほかね」(モトブー)
「あの女の子達は誰かね」(ミキちゃん)
「なんか約束したんかね」(岡部さん)
「可愛かったように見えたよ」(ハゲ山さん)
矢継ぎ早に質問を仕掛けてくる。
一生海女さんをやるつもりかと思っていた連中は、
海の向こうから成り行きを観察していたようであった。
女の匂いには敏感な奴らである。

「いや、イラはおらんよ、って教えてやったんやけど行ってしもうた」
納得しない。
「今、イラがおるわけないやろうが、バカかお前は」(モトブー)
「本当はなんて聞かれたんかね」(岡部さん)

わからない。わからない。全然わからなかった。
と罵倒されるままになっていたら、突然、啓示を授かった。

「あんたはどこの高校かね」

そう聞いていたような気がする、ではなくて、そう聞いていた。
なんでわからんやったんやろうか?

「いや、僕たちは高校生じゃなくて東京の大学生だよ」
と答えていたら、どうなっていたであろうか。

歴史に「もし」はないが、今でもこの時のことを頻繁に思い出し、その先を想像してしまう。
私、あるいは山陰出身の誰かの人生は変わっていただろうか。
むなしくも楽しいひと時である。

ちなみに、イラとは下関付近の方言で小さなくらげのことをいう。
刺されると痛い。盆過ぎに現れる。
もうどうでもいいことなんだけど。


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私が高校に行くのにひとつ山というか、丘を越さなければならなかったのだが、
この写真の道を毎朝夕歩いた。
当時はガードなんてなくて、
崖を踏み外すと10数メートル下まで落ちることになっていた。
ただ、落ちて死んだという人の話は聞いたことがない。
しかし、この写真見る限りやっぱり山だな。

大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 11:46 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年09月03日

クビ

雇っている人に会社を辞めてもらうのは、
宣告される側はもちろんだが、
する側にも、かなりの期間苦痛を残す。
想像以上の根性が必要である。

杏ちゃんが前回紹介した本は「リストラ請負人」の話であったが、
いろんなことを思い出した。

私はロンドンとマドリッドでその役を負うこととなった。
日本は欧米と違い、なかなか辞めてもらうことは簡単でないし、
労働流動性が低いので辞めてもらっても、
その先のことを考えるとリストラをするほうも大変なストレスを抱える、
とよく言われるが、
実は欧米と一口で言っても実情は国によって大きく異なる。
イギリスはサッチャーが首相になってから
実に簡単に辞めさせることができるようになった。
しかし、フランスではいったん雇ったら、
クビにすることはほとんど不可能といってもよい。
ドイツもどちらかといえば、フランスに近い。
だから、企業は採用に慎重になって失業率が高いままである。

私はイギリスにいたときに人事なんかもやっていたことがあるので、
小さな会社なのだが、こりゃいかんという人には辞めてもらう係であった。
こんな感じである。

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こりゃいかん、があった場合、何度かウォーニングを出して、
3度目くらいでストライクアウトである。
殴り合いにならないように段取ってはいるが、やっぱりドキドキ。
女性しか辞めてもらったことがないが、
みんな泣く。けっこうワンワン泣く。
ゲー、泣くなよ。
もらい泣きをするようなことはないが、やはり心は痛む。

このような事態を日本語ではいわゆる「クビ」と呼ぶが、
英語だと動詞で“FIRE”である。
この他のケース、扱っていたクライアントが丸ごとなくなってしまった場合、
つまり人が余ってしまった時は日本語で「人員整理」「リストラ」である。
イギリス英語では形容詞で“REDUNDANT”。

“I got fired”

“I was made redundant”

現象として会社を辞めさせられたということは同じであるが、
このふたつは微妙に違いがある。
前者は辞めさせられたほうに責任があるが、
後者は「俺が悪いんじゃないけど、扱いが飛んだからしょうがないんだよ」、
という意味を含むのである。
おおかたの人はどういう辞めさせられ方であれ、後者で説明をする。

スペイン、マドリッドでは小さなエージェンシーの大リストラをやるにあたり、
会計士、弁護士を引き連れて、月曜の朝いきなり会社に乗り込んで、
何人か同時に手分けをして通告した。
これは本当のリストラであったので、かなり引きずった。
退職金のような形でできるだけ辞める人の痛みが少なくなるよう努力したが、
きっとあの何もわからない日本人が勝手なことをしたと、恨んでいるはずである。
ちゃんとスペイン人のマネジメントとも相談したのだが、仕方ないだろう。

今の社会ではこんなことは仕方のないことだと、
日本で働いている人も納得し始めているようだが、本当にそうなんだろうか。
社長までやっていた人間が言うのもおかしいが、何か胸に落ちないものがある。


さて、おまけにロンドンオフィスでしばらく私の愛人、
じゃなくてアシスタントをしてくれて、
「ハゲはセクシーだ」と嬉しいことを言ってくれていたサマンサの写真で締めくくろう。
特に理由はないんだけど。

彼女は辞めてもらったんじゃなくて、自分から辞めて行った。
そういう時は残される側がさみしい。

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大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 14:20 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年08月27日

ブラリンピック

私は中学生のころからバンドをやっていたが、
念願であった中学生デビューは果たせず、
恐ろしいことに今も全くレコード会社から声がかからない。
欲のない人たちばかりである。

世界で通用するよう、ぼろ儲けできるよう、
英語でオリジナル曲を100曲以上書き溜めていたので、
いつでもこちらは準備できている。
音楽事務所の方々、レコード会社の方々、早い者勝ちですよ。

中学校を卒業してもバンドのメンバーは変わらず、
ほとんど週末は一緒に過ごしていた。
日曜は基本的には練習だったのだが、
のりが悪い時、祭日などは別の遊びを覚えて夢中になった。
俺も意外にワルだった。

それがブラリンピックである。
土曜、オールナイトニッポンを最後まで聞いて、
一睡もせぬまま薄暗い町に自転車でこぎ出る。
寝ていないからハイである。
下関の日曜早朝なんて車なんか全く走ってないので、
町中を暴走しまくる。ワルだぜ。
あの風を切って走る気分は経験したことのない人間にはわからない。
自転車なんだけど。

明るくなってきたところで全員の母校、
生野小学校へ(8月13日の記事『帰省』参照)。
当然誰もいない。
だから行っているのである。
ブラリンピックのために。
我々はブランコが大好き。
昼間は小学生が邪魔をするので独占できない。
この時間はこぎ放題である。

最初はどうしてもリードギターの人間だけブランコがこげなかったので、
そいつへの特訓であった。
ブランコがこげない人間がいるのか、
と不審に思う人もいるだろうが、
世の中は広いもので、ちゃんといるのである。
前に出る時は足を伸ばし、前に出きったところで、足を折る。
一ヶ月くらいかかったであろうか。
練習の成果が出て、彼も立派なブラリンピックアスリートになった。

全員がほぼ同じスタートラインについたところで、
ただ、ブランコに乗っているだけではつまらなくなった。
ブランコを競技にすることにした。
こいでいるだけではどうしてもどのくらい高くまでこげるか、
くらいの競争にしかならないので、やはり飛ぶことにした。
誰が一番遠くまで飛べるか。
普通である。
普通が一番基本でそれなりに盛り上がったのだが、
体操のように種目を増やし始めた。
その時点でブラリンピックと命名した。

立ちこぎ遠距離飛び
座りこぎ回転ひねり飛び
立ちこぎ回転ひねり飛び
座りこぎ高飛び
立ちこぎ高飛び
足こぎなし遠距離飛び

他にもどうでもいい種目を作った気がするが、
覚えてないので自然消滅したのであろう。
月面宙返りとか入れてなくてよかった。
きっと誰か骨を折るか、死ぬかしていたはずである。
ともあれ、それぞれの種目に点数をつけて、総合点を競うのだ。
イヤー、もうアニマル浜口どころではない盛り上がりである。
朝5時半くらいから2時間くらいかけてのハードな競技である。
それに寝てないもんだからテンションは上がるばかり。

ある朝、おっさんが寝巻きのまま頭を掻きながら、競技場に近づいてきた。
仲間に入りたいのかとコンマ一秒勘違いしかかったが、
やはり違った。
「まだ、朝6時半やど。うるさい。お前らだけの世の中やないんやけーのー」
まっとうである。
おっさんがいなくなってから、
「なに言いよるんか」
「ええ加減に起きれっちゅーんじゃ」
と小さな声で罵倒してみたが、
もうしょぼくれてやる気がうせた。

それが最後のブラリンピックとなり、復活することはなかった。

オリンピックを見ていて、こんな競技もあるんだと驚くことがある。
きっと我々のブラリンピックのように、
これも面白いかも、と
バリエイションをつけて増やしていったのじゃなかろうか。
なんとなく判る気がして、嬉しくなった。
という話と、俺がワルだった話でした。


                        大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 10:44 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年08月25日

豊洲、枝川、門前仲町

私は就職してまもなく江東区枝川の安マンションに引っ越した。
電車通勤が耐えられず、できるだけ会社に近くて、
安いところを探していたら、枝川になった。
聞きなれない方もいると思うが、木場駅から徒歩15分くらいのところである。
周りは倉庫以外なくて、どえらく不便であったが、
会社にはバス一本で行けて、
しかも住民が少ないので座れるのが何よりもありがたかった。
後はおまけみたいなものだが、
大正時代になって埋め立てが始められた場所で、
運河が縦横に走っており、玄関を開けると広い運河が横たわっていた。
それが不思議と趣があり、夕方には何もない町を散歩したりした。

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その後引っ越したが、
今も同じ場所から豊洲方面を眺めてみたりすることがある。
豊洲は昭和12年に埋め立てが終わり、
「将来の発展を願って豊かな洲となるように」と命名されたそうだが、
しばらく前に有楽町線が開通し、
現在、ご存知のようにすさまじいマンションラッシュで、
高層ビルが立ち並び、「ららぽーと」なんていうものまでできたので、
写真の面影もない。
何もないところにできたので、特に感傷的になることはないのだが、
もう昔の様子が思い出せない。
そういえばセブンイレブンの日本第一号店が豊洲にある。
1974年にできている。
よくあのころ、あんなところに作ったものである。
先見の明があったというか、ただ土地代が安かったからか、
私の個人的な七不思議のひとつである。
普通のセブンイレブンで、第一号店という傲慢さが感じられないのが良い。


さて、前回紹介した「大江戸神仙伝」には辰巳芸者が登場するわけで、
つまり文政年間には海の中だった枝川から15分歩いたところでは、
江戸時代はすでに芸者遊びができるし、
富岡八幡、成田不動なんかもちゃんとあって、ずいぶん賑やかだったようである。


門前仲町の大通りはもうつまらなくなってしまったが、
並行して走っている路地には小さな小料理屋が並んでいて、
粋な町であったことがうかがわれる。

たまに門前仲町に食事に出かける時には、
必ず富岡八幡と成田山にはお参りする。


ららぽーとは正直言うとどうでもいいのだが、
このあたりから大きく外れて住む気にならないのは、
江戸風情が残る場所から離れたくない、
ということのようである。

大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 03:32 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年07月19日

千日参り

先日、愛宕神社に千日参りに行って来ました。

一回お参りしただけで千日参っただけの効能があるという、
何とも都合の良いイベントです。

86段、傾斜40度の急な階段を一気に駆け上れば、出世出来るとの伝説もある、
「勝負事の神様」がいらっしゃいます。

ほおずきを買って、お参りをして、鯉に餌をあげて帰る・・と言うのが主な流れ
(鯉はどちらでも良いのですが、鯉たちの滝もへいちゃらに登ってしまいそうな
パワーが好きで行く度に餌をあげてしまいます)

社務所横には可愛い猫がポテッと座っており、何の気無しにカメラを構えたら
何だか十二支に入れなかった事が胸中穏やかでないと言う風な顔を撮ってしまいました。


初夏の朝にお参りをして持って帰ったほおずきも、
玄関先でイキイキと育ち鮮やかに色づいてきました。

どうやら顔知らぬ隣人がこまめにお水を与えて下さっている様です。

玄関先のほおずきを巡る、会話の無い交流。

千日参った御利益が隣人にも及びますよう。

    

                               杏

BOOK BAR staff| 15:54 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年07月17日

酔っ払い女、二人

去年9月まで広告会社をやっていたのですが、
私、一応社長であったにもかかわらず、
ほとんどの社員(特に女性)からは「おっちゃん」と呼ばれていました。

きっと社長であることを知らなかったのではないかと思います。

「おっちゃん」というと私の世代では「イエスの方舟」の千石イエス氏を思い出します。

彼は30年位前、事件が報道されていたころは娘を親から無理やり引き離し、
ハーレム生活を送っているとんでもないおっさんとされていましたが、
報道の熱が醒めると、ただ、千石氏を慕って集まってきた女性たちが
千石氏を中心に聖書の勉強をしていただけ、
ということがわかりました。
もちろん千石氏はスケベ親父ではありませんでした。

ということで、「おっちゃん」と呼ばれることは特に嫌ではなかったのですが、
何故そうなったんだろうという疑問は依然解けません。

当然、私もハーレム状態なんかではありませんでした。

社内はそんな具合で、ちゃんと仕事をしつつも妙なリラックスムードに包まれていました。

ただ、仕事は極めてハードな上、まるで時間が読めないため、
ストレスがたまるのでみんなでよく呑みにいきました。

おでん屋で飯食って、安いカラオケ屋に向かうのが、いつものコースで、
呑めない人間は呑まないのですが、呑む人間は底が抜けるまで呑んでいました。

特に会社を2000年に始めた時から一緒に仕事をしていた女性二人は、
お酒のギャル曽根みたいな方々でした。

店のワインを全部空けさせたことがあるくらいのつわもので、
次の日が仕事でも全然気にしません。

一人はわからなくなるとピグモンみたいになるのですが、
もう一人は腹を出して寝ていました。

杏ちゃんが放送で紹介した本と、その東南アジア編を借りて読んで、
二人を思い出しました。

女性だけで海外に出かける方々、
日本と違って場所によっては本格的に酔っ払うと危険を呼んでしまうことがありますから、
充分に注意した上で、楽しくお酒をいただいてくださいね。

    

                                          大倉眞一郎

BOOK BAR staff| 14:55 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年05月31日

ハッブルって...

ハッブルって


宇宙について考え始めるとあらゆることの境界が曖昧になってきて、

自分の存在さえ疑問に思えてきたりするのですが、

あながち間違ったとらえ方でもなかったんだと今回紹介した本を読んで安心しました。


さて、「ハッブル宇宙望遠鏡」と口に出して発音するだけで、なんだか気持ちがよくなる私です。

これについてもっと知りたい方は以下のアドレスにアクセスしてみてください。

写真を見たい方はGALLERYへ、その他にも面白そうなものがぎっしり詰まっています。

英語のサイトですが、見ているだけで楽しめます。


http://hubblesite.org/


大倉

BOOK BAR staff| 14:55 | カテゴリー:from 大倉眞一郎

2008年05月22日

1973年5月

前回の放送で、

私の中学、高校の時の日記が出てきたことをお話しましたが、

「女の子」のことだけでなく、

その時読んでいた本もタイトルだけ毎日記されていました。

高校からつけ始めていたようで、

ちなみに高1の5月(1973年)に読んでいたのは

「月と10セント」北杜夫

「珍約聖書」井上ひさし

「幻想の未来」筒井康隆

「沈黙」遠藤周作

「SFゲーム」著者不詳、SFとあるから多分SFなんでしょう。

「ビートルズ」著者不詳

「アダムの裔」小松左京

「タイムマシン」H.G.ウェルズ

「悪い夏」吉行淳之介

以上でした。

なんと一貫性がない読み方。ただ、ほとんど小説ですね。

SFはこの時期に日本の作家はほとんど読みつくしていたと思います。

毎日テニスやって、バンドの練習して、

勉強しないで、本を読んでいた日々でした。

杏ちゃんはもうこの歳のころから仕事してたんですね。

恥ずかしい。

大倉

BOOK BAR staff| 07:12 | カテゴリー:from 大倉眞一郎


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