栗本薫さんが亡くなりました
もう、報道で朝からニュースが流れていたので、
今更とも思ったが、やはりある意味、
これまでの私の読書人生で、一番長く、一番多くの本を読んだ作家なので、
私自身の決着をつける意味でも一言残しておこうと思う。
すべて正直に書くので、
「亡くなった方へ書くことか」とお怒りになる方もいらっしゃると思うが、
批判はそのまま受け止めるので、お許し願いたい。
もともと、私は栗本薫も
中島梓(主として評論、エッセイ、ミュージカル制作の時に
この名前を使っていた)も特に好きな書き手ではなかった。
何冊か読んで、4歳上のこの方の書くものは肌が合わないことがわかったので、
気にしている作家ではなかった。
ところが、半村良が「太陽の世界」全80巻を書くと宣言した時に、
「じゃ、私は全100巻の記録を作る」
と大御所に張り合うことを公にし、
80年に「太陽の世界」第一巻が出る前に、
79年に「グイン・サーガ」第一巻「豹頭の仮面」を発表したのである。
当時二人が実現可能かどうかもわからない構想を発表したので、
マスコミも面白がり、かなり取り上げられたし、
不確かな記憶ながら対談も行われたような気がする。
当時、栗本薫、弱冠26歳である。
それが面白くて、私は二人の作家の長編の行く末を見届けたくなり、
両方とも何があっても読むことに決めた。
ある程度の構想があったにしても
「とにかく長編を書く」というモティベーションだけで作家は書けるのか。
ともあれ心意気を買ったのである。
私が大学4年の時のことである。
ところが、第一巻の「豹頭の仮面」でいきなり栗本薫はつまずいた。
現在発売されているものは表現が変えられているが、
「癩病」の知識なしと言われても仕方がないというほど、
常識を疑う差別的な用語も用いて、
物語の初めの重要な部分を汚してしまった。
これは「コトバ狩り」以前の問題であり、
評論も行っている作家としては致命的な事件であった。
100巻どころか初巻で打ち切りになるのではないか、
半ばそうするべきだとも思った。
これは、後にマスコミが騒ぎ始める前に、
私が読みながら感じたことである。
彼女はあとがきを必ず書いており、
何巻目かに真摯な謝罪のメッセージがあったので、
しばらくは様子を見て、読み続けることにした。
実は今でも何故あの時あんな表現しか出来なかったのか
不思議で仕方がない。
機会があれば聞いてみたいところであった。
半村良は一度番組で話した気がするが、
89年に、早くも18巻まで書いたところで
「太陽の世界」については筆を置いてしまった。
どこかで理由を話しているのかもしれないが、
その年、私はアメリカに行き、そのままロンドン勤務になったので、
頭の中は未だに?マークだらけである。
栗本薫は一度も休まなかった。
何度も大病をしているが、書き溜めていたものもあったようだし、
調子が少しでも戻ると、本人は楽しくて書いていたのだろうが、
肉体的には無理を押して書き続けてくれたおかげで、
長く休んだという記憶はない。
100巻でお終いのはずであったのだが、
物語は膨らみに膨らんで、100巻で無理やり終わらせると、
何がなんだかわからなくなくなるということもあったろうし、
本人はもう登場人物が動くままに書いている様子だったので、
途中からは終わらせる気がなくなっていた、と私は思っている。
現在までのところ、正伝126巻、外伝22冊、
合わせて148冊が出版されている。
恐らく何巻かはすでに書き終えているはずであるから、
150冊にはなるのではないだろうか。
で、内容はどうなんだと問われると、答えに窮する。
30年150冊である。
血が沸くこともあったし、うまさに唸ったこともあったが、
本人意識していたかどうか、読んでいるほうからすれば
だるい、おそい、うすい、という時期も多々あった。
最近の数冊はお世辞にも命をかけて書いているという迫力はなかった。
毎回のあとがきには自身の病状も綴られていたので、
多分、未完に終わることは本人もわかっていたはずである。
21歳の時から51歳の今に至るまで、
もはや面白い面白くないを超えて、
ともに結末を楽しみにしようというある種の同士感さえ沸いてきていた。
膨らみきった物語である。
どうしても明らかにしておいて欲しかった謎が
いたるところに埋め込まれている。
異常とも思えるほど多作な作家であった。
グイン・サーガだけを読んでいた私にしてみれば、
他の作品には蓋をしてこれだけに全力を注入して欲しかった。
多分ほとんどの読者の感じているところであろう。
ネットで亡くなったことが伝わってすぐに、
「もう10年も読んでいる」、「20年付き合ったのに」
若い方々が、無念の思いをぶつけているが、
私は30年前の初巻の初版から付き合ってきたのである。
「君たちはあきらめなさい。私は納得がいかない」
と言いたくなる。
続きを書ける人は出て来ないであろう。
それは仕方がないだろう。
栗本薫、まだ56歳であった。
あと10年あれば終わらせてくれていたか。
怪しいところである。
心からご冥福をお祈りします。
大倉眞一郎